『希望の国』

・この作品を観て、少し、少しだけだけど園子温の監督作品に対する気持ちが変わったかも?

・繰り返される「帰ろうよ、もう帰ろうよ」というセリフが、もうこの国に帰る場所なんてないというメッセージが聞こえた。

・前作の「ヒミズ」から、なぜかこの人の作品にフランス・ヌーベルバーグ時代の雰囲気、匂いを、そして反体制、反社会、反権力的で、自由、解放といった雰囲気を感じるようになった。今回もそれがあった。

・映画のタイトルは『希望の国』だけど、半分辺りまで観たところで「この映画のタイトルは逆説、皮肉、アイロニーなんじゃないか、この映画は”もうこの国には希望なんて無い!この国は絶望の国なんだ”」ということを言っているんじゃないか、そう感じた。
☆監督は「正月に原発から20キロ圏内の相馬市に入ってそこで初日の出を見た、それを見ていたらこの国にもまだ希望はあると思った」と言っていたが、この映画の脚本を書き、この映画を撮影し、編集してこういう話として完成させるに至る間は、きっと「この国にはもう希望はない、この国にあるのは絶望だ」そんな感じで映画を作っていたのではないだろうか。

・電力会社や原発や行政や政治や社会などを非難するセリフはたくさん出てくる。だが、話の演出と流れの中に、どこかを、何かを痛烈に批判したり非難したり告発したりするような部分は少ない。全く無いというのではない、いや、やはり原発事故をきっかけとして生じる様々なことが、腹立たしく悲しく頭にくることが話の中で沢山描かれている、いや使われている。だが、そのどれか一つにも強烈な力が込められていない、淡々とした話の流れの中でそういったエピソードは道具的に使われている。そういった腹立たしく怒りが湧いてくるようなことも、なんとなくさらりと、スーッと風が通り過ぎるかのようにスクリーンを流れていく。映像で観る場面とその演出そのものは淡々とし、あっさりとしその事実とは別に重さを感じさせない、重さが乗っていない、ふわふわと空気のように浮かんでいる。だが、その映像の淡白さによって、その場面の中で登場人物が語る言葉が際立つ。頭に残るのだ。鮮明にこちらにむかってくるものが、登場人物がしゃべる”言葉”だった。その言葉が積み重なって、絶望とあきらめが映画の中にどんどんと漂いだした。映画は映像で伝えるもの、映像で語るもの、それとは背反するけれど、この映画は”言葉の映画””言葉が刺さる映画”だった。その言葉が突き刺さった状態で観るラストの映像が悲しみを静かに、大きく深く増幅させていた。

原発事故のことも、家の庭が警戒区域の境界になったことも、避難所のことも、強制退去のことも、放射能におびえ子供を守ろうとする妻のことも、その他のいろいろなことも、そのひとつひとつに強い怒りや、慟哭や衝動やそれを伝える熱は感じられない。そこから感じられるのは怒りや慟哭や熱ではなくて、静かで、冷めた、深い、悲しみだ。

・この映画のなかに漂っているものは、深い悲しみとあきらめの気持ちなんじゃないか・・・。

・日本という国は、俺達の国は、こんな国だったんだ、こんなどうしょうもない国だったんだ、こんなに腐った最低の国家だったんだ、俺達はずっとそんなことに気が付かないで、気付かれないようにされて今まで生きてきたんだ、そしてそれはちょっとやそっとでは変わりようのない、変えようのない、変えることのできないどうしょうもないほどこびり付いたものなんだ・・・だから、この国には希望なんてないんだ、でも俺達はそんな希望のない、こんなどうしょうもない国で生きていかなきゃならないんだ・・・・そんな、怒りとあきらめをこの映画からじわじわと感じた。

・この国には、日本には希望なんてないんだ、なかったんだ・・・それが『希望の国』というタイトルを付けた意味なんだと・・・そう思った。それが邪推だとしても。

園子温は「これからも311に関する映画を撮り続ける」と言っていた。映画を撮り続けることは、絶望と悲しみとあきらめを、少しでも押し戻すその為の努力なのかもしれない。

思想の悲観主義、意思の楽観主義・・・それが現実であり、それが理想であり、そうあらねば悪いことはもっと加速する。絶望とあきらめの侵食を少しでも押し止め、押し返すため、一歩、一歩、一歩、一歩、歩き続けなければいけない、そのスタートラインがこの映画ということなんじゃないだろうか。

・軽く繋ぎ合わされた一つ一つの話が最後には鉛のように重かった。重くなっていた。

・小野泰彦(夏八木 勲)と小野智恵子(大谷直子)夫婦の演技が染みる。素晴らしい。・・・NHKの番組で園子温が語っていたけれど、この夫婦の話は・・・悲しい。そして明るく振舞っていたけれど、その心の奥底に降り積もっていたのは、やはり絶望なのだ。二人のシーンでは思わず目を瞑ってしまった。そして音だけが耳に響いた。目で見るよりも映像が脳裏にくっきりと焼きついた。

・この映画を自分は逆説的に、そしてアイロニカルに捉える。そう、そうしっかりと捉えた上で一歩一歩進まなければならないのだろう。

・311の津波とあの原発の爆発で住んでいる所を追われ、避難所でダンボールの仕切りの中で寝起きをした人たち、放射能に追われるように遠くへ遠くへと逃げた人たち、一年七ヶ月前のあの頃、信じられないような体験をした人たちがこの映画をどう見るか、この映画を観たらどう感じるのか・・・それが気になった。

・『希望の国』公式サイト:http://www.kibounokuni.jp/

 映画「希望の国園子温監督の言葉 毎日新聞よりhttp://togetter.com/li/395824