黒澤映画のこと、映像ビジネスの将来性など・・・・

●映画好きの知人と数人と会食。黒澤映画に関してあれこれ色々面白い話を聞かせてもらった。以前にも書いているが、『酔いどれ天使』で真夏のシーンなのに志村喬が吐く白い息の話題を話したところ、黒澤映画にもあれこれやはりミスっている部分はあるということを教えてもらった。『天国と地獄』で真夏のシーンなのに画面に出てくる富士山がしっかりと雪を被った真冬の富士山であるというのは初めて教えてもらい、これは確認せねばと思った。この指摘をしたのは外国人だったということだ。そのほかにも倒れる前に背中にたくさん付いていた枯葉が起き上がると何も付いていないシーンがあるとか、黒澤好きで何度も映画を繰り返し鑑賞している人は流石に細かいところまで見ているなぁと感心。

●しかし、そういった黒澤監督のチョンボのことを取り上げているサイトや本、記事というのは少ない、いや殆ど無い。完璧主義者などと呼ばれ、天皇と呼ばれ、もうゆるぎない評価を受ける映画界の巨匠である黒澤明に対して、ファンも、知人も、関係者もちょこちょこあるミスを指摘しようなんて気持ちが削がれているのか、またはここまで有名、映画の師となった人物だから、その人のミスやマイナス面を取り上げることは却ってご法度になってしまっているかのような雰囲気もある。それはあまり良いことではないと思うのだけれど。良い点も悪い点もきちっと誰にでも分かるようにし、その上で各人の判断に任せればいいのだ。悪いところを語らないようにし、臭いものにはふたをするというような動きはとどのつまり決して良いものを生み出さないというのが世の常なのだ・・・・その点で今の黒澤ファン、研究者、色々と少なからず良くないものも内在しているのではと思う。『トラ・トラ・トラ』の問題が明らかにされないのも黒澤明に関わる人、ファン、研究者の中になにかマイナス面を見えないように、見ないようにしようとする意思が共通して漂っているかのようにも思う。

●来年の黒澤明誕生100周年のAK100のプロジェクトはなんだかどれも話がうまく進んでいないような気がする、映画作品としては今でも語り継がれる黒澤明だが、個人としてのイベントなどは今一つ話が広がっていかない感がある、映画監督が残したものはやはり監督その人よりも作品ということなのかもしれない・・・・。時間が経てば経つほどそれは顕著になってくるような気がする。

●黒澤作品は好みもあるが、やはり好き。凄いのだが、あまりに有名、偉人になってしまってそこにはおかしな取り巻きや環境、雰囲気までもが生みだされてしまっているのかもしれない。

●またマイナス面ではなく、これは凄いという話も聞くことが出来た『七人の侍』で島田勘兵衛が町を歩く浪人を見て野武士と戦うに値する武士を判別する下りがあるのだが、あの男に声を掛けろと言うその浪人には一つの決まった法則があるという。敢えてそれは書かないが、その法則を指摘したのは剣道の師範とされる人だということだ。その話を聞いてみると「なるほど、そこまでしっかりと細部にこだわって武士たるものの姿勢、技を判別していたのか」と驚きながら聞いていた。こういう点もあまりあちこちには書かれていないが黒澤明と美術、衣装、その他のスタッフがいかに綿密に現実性を出すかということで細かく絵を作っていたのかということが分かり驚くばかりであった。



●やはり通の人と話しているのは面白いしとても役に立つ。話は黒澤話から今後の映画界やDVD、ブルーレイのことにまで進んだ。

●1998年頃に大ブレイクしたDVDという映画商品はパッケージメディアとしては初めて大成功し、最盛期には売れるタイトルならば数百万枚もの販売がなされた。しかしそれも十年が経過した今、DVDの売上は激減して下降線を辿るばかりだ。十年も経過したのだから一つの商品が衰退曲線を下がっていくというのは物の常であるが、これまでDVDの好調な売上によって支えられてきた映画製作費の回収はどんどんと苦しくなっていく。

●一本の映画のトータルでの売上というのは作品による上下はあっても劇場興行で30%、二次利用のDVDセルやレンタルで60%、そのほかのテレビ放映などで10%という回収比率で安定していた。劇場興行以外での収益が70%以上あり、ここが製作費回収の大きなマーケットでもあった。しかしその中で一番大きな二次利用のセル、レンタルの売上がどんどん下降している。セルはCDと同じように店舗売上も毎年下がり、レンタルも大手二社がほぼ独占で最盛期の半分以下という店舗数になり、しかも最近では100円レンタルなどが始終行われている状況で、莫大な売上を回収していたレンタルマーケットからの金の流れも減る一方だ。

●売上回収のメインとなるマーケットがどんどん縮小していく中では、製作費の回収目処も立てづらくなっていく。DVDが隆盛を極めたおかげとハリウッド映画のマンネリ、低迷が重なって邦画バブルとも呼ばれる日本映画の時代がちょっと前に訪れたが、それも二次利用マーケットの縮小と共に過去のものとなっていきそうだ。この状況がさらに進めば結局映画をどんどん作れるのはTV局や大手プロダクションのみということになりかねない。

●家庭に何十枚もDVDなどのパッケージメディアがあっても狭い日本のマンション、家では邪魔になるだけなのだ。「この映画がとても気に入った」と思ってDVDを買っても繰り返し何度も観るような作品は滅多に無い。一度か二度見たらいいほうで、あとはそのままDVDラックの飾り物となっていく。だったらレンタルでいいという思考も強くなる。それがさらに進めばネット上での配信と形を変えていくのは自然な流れ。

●ブルーレイはDVDに変わる高画質メディアとして期待はされているが、DVDが隆盛を極めたようなどんどんと売れる、ブレイクする商品にはならないであろう。もうパッケージメディアの収集に人は疲れてきて飽きてきているのだ。ブルーレイは確かに美しいが通常に一度か二度見る分にはDVDでもなんら問題がない。DVDでたくさんリリースされたカタログタイトルを敢えてBDに買い換えようなどというのは一部マニアだけであろう。

●こうして製作費リクープの屋台骨である二次利用パッケージメディアの売上はどんどん落ちていくと、やはり映画を作ること自体が厳しくなっていくことが容易に予想される。

●ハリウッドも落ち込む興行と落ち込む二次利用に打つ手立てはない。そしていずれ全く無くなるということは無いが、パッケージメディアでのビジネスは徐々に徐々に縮小化していくだろう。ワーナーは「ダークナイト」のBDにオマケとして本編映像がダウンロードできるサイトとパスワードを記したカードを同梱した。いずれ映画を筆頭とした映像作品は全てネット上で運ばれ、ネット上でダウンロードし、鑑賞するというスタイルに移行していくと皆が思っているであろう。ハリウッドも売上が落ち、製作の手間、物販としてのコストが掛かるパッケージメディアのビジネスからは手を引き、アメリカからダイレクトに世界中に映像を送るビジネスをいずれ完成させるであろう。映画興行自体もDLPのスタイルが進めばフィルムをかけて映画を上映するという仕組みは無くなる。こうしてハリウッドから全世界にダイレクトに映像が商品としてネット上で運ばれ売られるようになれば、パッケージメディアのビジネス、セルもレンタルも二次利用のビジネスは消えていくことになる。それが後何年先になるかは分からないが、五年後には相当に進み、十年後にはパッケージメディアのビジネスはなくなっているかもしれない。

●ハリウッドの作品を日本で流通させるには日本にごく少数の人員を配置しておけばいいということにもなる。

●そして邦画のほうはどうなるか? 邦画もハリウッドスタイルに習いネット上からの配信という形で劇場公開以降のビジネスが組み立てられるようになるだろう。だが、そこに対応できるのはやはり大手資本の企業しかない。小さなところはその大手資本の傘下に入ってそのビジネスの流れに乗せてもらうしかなくなる。

●DVDという商品の出現で伸び続けたホームエンターテイメントのビジネスは踊り場を過ぎ売上は下降していく流れにある。そのホームエンターテイメントからの資金回収に頼っていた映画製作のビジネス・スキームも根本から変わりつつある。

●五年後、2014年はどうなっているか? 映画自体が無くなることなどないが、映画を中心とした映像ビジネスは大きな変化をしていることだろう。ハリウッドはコングロマリットの支配が完全になり、全ての情報コンテンツはハリウッドから直接各国に配信される。リージョナルな各国の代理店や支社はコスト、人員を切りつめていき利益は直接的にハリウッドに流れ、各国での中間損失を極力なくすようになる。国内もTV局や大手製作会社、映画会社が映画製作の中心となり中小はその傘下に取り込まれなければビジネスを継続することは出来なくなる。

●果たしてそれが現実のものとなるか、それとも??・・・・甘い期待が出来るということではなさそうである。