『ロッキー・ホラー・ショー』(1975)

●1975年だから今から34年前の作品になるかぁ。懐かしき古き良き時代のハリウッド映画の雰囲気なんて題には書いたが1970年代だからそれほど古い時代というわけでもない。だが34年という年月は充分に長い。

堅苦しい映画ばかり見ていると肩の力を抜いた単純に楽しめる映画が見たくなるが、そういうときにこんなロッキー・ホラー・ショーなんていう超オフザケの映画はイイ。なんだかこの映画を見ているととても懐かしさだとか温かさを感じてしまう。まだ映画が映画であった時代。好きな映画を自由に作れた時代。動員、収益、評判なんてものにばかり取り憑かれてびくびくしながら映画を作っているような今とは違って、やりたいことをやりたいようにやるんだよ、それが映画なんだよと言っているような時代に作られた本当に自由にのびのびとした窮屈間閉塞感の感じられない映画だ。カルト映画として一部熱狂的? 異常ともいえるファンを作り出しているのもこの映画の持つ自由、豪放快楽、俺たちは俺たちのやりたいようにやってるんだぜという突き抜けた感じが人を惹き付けているているのではないだろうか。自分もこの映画のもつ雰囲気は非常に好きだ。そして、めちゃくちゃでありエログロであり倒錯した世界でもあるのだけれど、この映画には温かさ、優しさ、ほのかさが漂っている。トゲトゲしくなく、誰かを傷つけるようなこともなく、なにか温かいモノがあるのだ。

●一般的には倒錯した、キチガイ、お馬鹿ムービーと認識されているけれど、この映画の持っている感覚は映画が映画らしくあった時代、映画人が映画人であった時代の記憶として観て感じるべきモノをしっかりと携えている。

デカダンス 芸術的退廃と呼ぶ向きもあるようだが、これが退廃だろうか? 退廃ではなく、アンチテーゼであり、権威主義、権力主義、事大主義、教条主義へのシュールレアリズム的な諧謔であり、諧謔をもってした権力的なものへの痛切な批判だとも思える。

●ずっと前、実際に劇場でファンクラブが行う上映会に二度行った記憶がある。確か有楽町のシネ・ラ・セットBOX東中野で観たと思う。コスプレしたファンクラブの連中が上映中に声を張り上げ、セリフを合唱し、雷が光るシーンではスクリーンの前に飛び出してきてライトセーバーの様なモノで雷の光のと合わせて踊ったり、まあ初めて見たときは「なんだこの世界は?」と思ったが割合楽しんでいた。そんな感じだったから映画自体はなんだか途中途中の印象的な部分が記憶に残っているだけで全部のストーリー(なんてものはないかもしれないが)を通しで記憶しては居なかった。今回DVDで鑑賞してようやく全部をキチンと観たということになる。

●それにしても役者が全員超強烈な個性だ。Dr.フランク・N・フーター(ティム・カリー)がエレベーターで下りてくるシーンでハイヒールの部分がアップになり踵でカツカツと足下を叩くシーンはゾクゾクとした期待感がふくらみ、あのゲイの格好で出てきて両手を広げてわめくあたりは「もうこれだけやってくれればサイコーだよ」と思わず拍手したくなる。

●その後名女優の仲間入りするスーザン・サランドンは殆ど下着姿でマジ顔でギャグな演技をしているし、リチャード・オブライエンは一度見たら忘れられない容姿。いや、全員がそうなのだ、超強烈なのだ。

●ドクターの屋敷でタイム・ワープ・ステップを踊る連中、『ふられ気分でRock'n'Roll』(作詞作曲TOM,1984)を歌っていたトムキャットはこの踊りの部分と衣装をコピーしてたのかも?

●おふざけ映画だがミュージカル的な部分でもいい。ロックミュージカルということになるんだろうが、歌い出しの仕方や歌い方への力の込め具合などもちょうどいい。『ドリームガールズ』『シカゴ』などの最近の名作などと言われるミューカル映画はただただガーガーとがなりたて、叫んで大声を出して歌っているようなもので、これがミュージカルか!ともう徹底的に批判したくなるようなもので全く好きになれないのだが、ロッキーホラーショーはミュージカルとしての体裁もキチンと守っている。

●演劇の演出家であるオブライエンの作品を映画化したのだが、演劇臭さはあっても、演劇をそのままカメラで撮影してハイこれで映画化しましたというような三谷作品的な作りとは全く違う。これは演劇のテイストを巧く用いた映画になっているのだ。

●あまり観る人も少ない映画だが、やはりこれは映画がまだまだ映画であった時代の良い作品だと思う。