『WIND ウィンズ』(1992)

○ TWO MADE A DREAM COME TRUE, ONE ALONE COULD NOT.

●公開当時劇場で観た印象を思い出すと「なんだかずいぶん話を端折ってる映画だな」というものだった。14ftボートでのレースシーンはスピード感が実にすばらしいし「これはヨットレースの映像シーンとしては白眉かもしれない」と思っていたのだが、なんだか最初に観たときの「話を端折ってる」という印象がどうしても拭えぬままだった。その後一度か二度、レーザーディスクで鑑賞しているが(それもだいぶ過去の話)今回改めて再見。

●この映画が日本でパッケージ・ソフト化されないのはなぜか? 日本公開時のスポンサーにJTとかまで入っているので、権利関係が面倒でソフト化できないのだろうか? それとも制作総指揮のコッポラがなにかごねているのだろうか?  北米市場でも暫くDVD化されていなかったのでネットであちこち探してドイツではNTSCでDVD化されていることを知り、ドイツからソフトを取り寄せた。だが、このソフト、音声がドイツ語に吹き替えられていて、オリジナルの英語音声が抜かれていた。英語ならほとんどセリフも分かるし、違和感もないのだが、流石にドイツ語吹き替えは違和感ばりばりで、とても観ていられなかった。それ以降このドイツ版は封印。最近調べたらアメリカではちょっと前にようやくDVD化されていたようである。YouTubeには分割されているがフルバージョン、映画がアップされていた。

●昔よりもTVの映像モニターとしての質が上がったこともあるだろうが、今回久しぶりにLDでの鑑賞でも映像は思った以上に美しい。元々の撮影自体がかなり質が高いし、海や空といった大自然を美しく撮影しているのは監督であるキャロル・バラード(『少年の黒い馬』『ネバークライウルフ』『グース』)の力にもよるだろう。(もちろんカメラマンの優秀さも言うまでもない)

●この映画の撮影は海のこと、ヨットのこと、自然のことにかなり詳しいカメラマン、スタッフが行っているだろう。ヨットシーンの撮影は見事にヨットマン目線だ。ヨットマンなればこそ、この映画を観ていると実際のレース艇に乗っているがごとく、シートワークやウインチワーク、スプレーの掛り方、セイルワークなどの映像が本物だ。実際にヨットの上でヨットマンが目にする光景をヨット乗りならよく観るような視点、目線の高さで、こまかな部分が実に上手く撮影されている。(ボースンチェアーとメインハリヤードで体を引き上げてセイルトラブルをクリアするシーンが何度か出てくるが、あの強風下であんなことちょいちょいやれる、やるはずがない、このシーンはちょっと演出過剰、見せ場を入れようとやりすぎているシーン。このシーンは実際のヨットの船上では、操船する海上ではあり得ないようなものなので、ヨット乗りとしてはしらけてしまうが)

●ヨットのバウが水しぶきを上げて切り込んでくるシーン、他艇をギリギリでかわすシーンなど、ヨットレースそのものの緊迫感とスピード感だ。メインの役者以外のヨットクルーもこれは本当に40フィート50フィートクラスのヨットに乗っていたヨットマンを使っているのではないだろうか? そうでなければあんなシーン撮影できないだろうし、デッキ上での動きも体に染みついたものだ。そんじょそこらの練習で覚えたてのような演技で出来るものではない。

●珍しくこの映画は劇場プログラムを購入していたので、それがあれば少しは詳しいことが書いてあるかもしれないのだが、、今見つからないのが悔しい。それにしてもこの映画のヨット帆走シーンは、どのシーンを観ても奇麗で爽やかだ。帆走シーンだけでヨットの写真集が出来る。シーンを切り取ってポスターにすれば全て美しい海とヨットのポスターになりそうだ。この映画のヨットと海は本当に惚れ惚れしてうっとりしてしまうほどの美しさだ。

●1992年と言えば日本ではバブルが崩壊しはじめた頃だが、まだそれほど状況は悪くは無く、世の中、そして自分の周りにも浮かれ気分は残っていた時代だ。この映画はそんな日本のバブリーな時代の末期に作られた当時としてもかなりバブリーな作りだ。

●改めて観ると各シーンへの金のかけ方がかなり派手である。現在の映画製作予算とは比較できないのだが、この当時で、このクラスの映画としてはかなり潤沢な予算を使って撮影されている。海上でのヨットレースの撮影には通常の地上での撮影よりも数倍手間、暇、そして金がかかるし、カメラワークの経験も数倍のスキルが無ければ難しいだろう。この映画は海上でのレースシーン、そしてそれを空から撮影したシーンなどが実に沢山ある。美しい海の映像、底を走るヨットの映像を撮影するために相当の予算と時間が充てられただろうと想像出来る。これはバックにコッポラが居たからこそ出来たことではないだろうか?

アメリカとオーストラリアのレース艇にしても実際に使われたものとは異なるが極めて本格的なレース艇が撮影に使用されている。まさかこの映画のためだけにヨットを作ったのだろうか? もしそうだとしたら、実性能はアメリカス・カップ艇には及ばずとも、かなり高額なヨット建造費も掛っているはずだ。(本物のアメリカス・カップ・レース艇なら一艘数億円だろうが、まあダミーヨットなら数千万から一億いかないかな? )実際に海上で走らせるのだから張りぼての低強度なヨットを作るわけにもいかないだろうし。

●ウイング・キールのデザインや細く長い船形、そしてスプーン・バウ、ヨットの性能に関する部分ではかなり本格的な再現が行われている。(実際にデニス・コナーの使用したヨットを再現しているわけではないが)

●いろんな意味でヨットに乗る人間に取ってこの映画は非常に興味深く、また心に残る、手元に置いておきたい作品だ。あのレースの緊迫感が、あの水しぶきが、あのタックの瞬間が、あの風をとらえて並走艇をひたひたと追い抜いていく瞬間が、その興奮がこの映画にはしっかりと、嘘ごまかしなく焼き付けられている。

●14ftボートのシーンも好きだが、最終レースでウォンパーと呼ぶスピネーカーを揚げるシーンが好きだ。真っ青な海、波立つ海面、セールを叩く風、そんな中でジェロニモ酋長の顔がどでかく書かれた大型スピネーカーがバーンと膨らむシーンは気持ちがいい。スピネーカーが最大に膨らんだとき、クルーが驚き、ときめくような顔をしてスキッパーに振り返り笑うシーンもいい。このシーンに使われている音楽もいいし、空から撮影したウォンパーが風をはらんでドンと走り出すシーンも最高にかっこいい! なんだかこのシーンは『ライトスタッフ』を観ているような気持ち良さだ。1990年台初期のハリウッドの映画人にはまだこういったアメリカが本来持っていた勇気や自由さを映画の中に表現するマインドが残っていたのだ。フィリップ・カウフマンなどもそうだ。金儲け主義だけに固められた今のハリウッドではなく、映画に夢や希望を託せる心がこの頃のハリウッドには残っていたのだ・・・ウォンパーのシーンを見ていたらそんなことを思ってしまった。胸がすくような最高に気持ちのいいシーンだ。

●マシュー・モディン (Will Parker) 、ジェニファー・グレイ (Kate Bass)の二人も非常に自然な感じの演技をしている。青い海、吹き渡る潮風、波を切るヨット、そんな中で撮影をしているうちに、役者の気持ちの中にも、海の素晴らしさ、ヨットの素晴らしさ、風を感じて海を走る爽やかさが浸透していったのではないだろうか?  二人の演技は演技をしているというよりも、海を、風を、ヨットを心から味わって楽しんでいるかのような顔だ。ラストシーンの柔らかな演出も心温まる。

●撮影:John Toll ・・・・・この後『シン・レッド・ライン』を撮影している・・・・なるほど、テレンス・マリックのあの美しい映像を撮影した人物、やはりと感じた!

●もうバブル崩壊が足音をたてて忍び寄ってきていたあの頃、日本で巨費を投じアメリカス・カップに挑戦することが決まった。ヨットに関わっている者は色めき立った。「日本がアメリカス・カップに挑戦する!」 TVや新聞などのメディアでも大きく取り上げられ、テレビ朝日だっただろうか? 特集番組を繰り返し、日本人にヨットというものが少しだけだけど認識されるきっかけとなったことは確かだ。ニッポン・チャレンジと呼ばれたその挑戦は1992年・1995年・2000年と続けられたけど、輝かしい結果に手が届くことはなかった。それでもあの頃は熱狂していたなぁって思う。山下達郎アメリカス・カップのCDを掛けながらハーバーに向かっていたあの頃。暗く低迷しているような今とは世の中の状況がまるで違っていたような気がする。そういえばこの映画が公開された後、葉山マリーナにジェロニモのマークを付けた船が新艇で入ってきてたなぁ。

●同じころハワイで行われていたKENWOOD CUPでケンウッドの会長が言っていた言葉を思い出す。「ヨットレースを主催するなんて、金が掛るでしょうとよく聞かれるが、ヨットレースはほかのスポーツに協賛するよりもはるかにお金が掛らない。船もクルーもみなシンジケートが出資しているし、我々は会場運営やPRをする位のものです。優勝賞金を払う必要もない。優勝者にはカップを渡せばそれでいい。企業にとってこんなにお金の掛らないスポーツへの参加はない・・・・・・ヨットマンは名誉と栄光だけがあればそれでいいのだから」・・・・・あの頃のバブリーで明るい状況を代弁しているかのようだった。

●実際のアメリカス・カップの歴史はこの映画で描かれるような爽やかなものでも、フェアな精神を土台としたものではない。132年間カップを保持したアメリカ、偉大なるアメリカのカップ!表向きではそう宣伝されていたが、それは132年間カップをレースの勝利で保持し続けたのではなく、132年間もの間、自国に都合のいいようにルールを改変し、自国が負けないように、アメリカス・カップアメリカの外へ持ち出されないように、アメリカがレースに勝てるように仕組んだ上で行われた競技だ。アメリカス・カップカップを保持するアメリカ側の虚偽、欺瞞、策略で132年間もアメリカを離れないようにしていただけなのだ。そんな負けるはずの無いレースで1983年にカップを失ったデニス・コナーはやはり愚かなる敗北者であったことは確実だ。1987年の奪還 1995年最喪失という凄まじいアメリカス・カップを背負った人生は壮絶でもあっただろうが・・・・今となっては、カップ争奪戦のなかで行われた数々の不正(ルール上では不正にはあたらないとしても)は歴史に残り続けるだろう。それは日本チャレンジが行った船体のほとんどの改造ということも同じ。自己に都合の良い勝者側のルールブックの改訂、勝手なルール解釈による不正はカップニュージーランドに渡ったことにより今後一切そういったことはならぬと、公に否定された。ルールブック自体にルールブックの勝手な改変を禁じるという文言が組み込まれた。そしてようやくアメリカス・カップはフェアな競技として生まれ変わった。栄光のカップは不公正なルールによって成り立っていた、それはアメリカの歴史の映し鏡のようなものだろう。

●2010年の今、日本の世の中にはアメリカス・カップなんて知らないという人がほとんどだろう。テレビも、メディアもほとんど取り上げることもない。どこか外国で行われているマイナーな競技といった感じだ。今から20年も前、海は、ヨットマンはアメリカス・カップにちょっとだけだけど熱中していた。日本がオリンピックでも、ワールドカップでもないヨットという競技で勝とうとしていた。なんだかあの頃の華やかさだとか、明るさがほろ苦くそして懐かしい。自宅の玄関に『WIND』の大型ポスターをずっと張っていた。夕日のなかでヒールして上っていくヨット。確かポスターには「one can not,but two can」なんて文字が書いてあった。「一人では出来ないけど、二人なら出来ることがある」と。あのポスターも色褪せ、破け、今とはもう無い。時間はずいぶん流れたなぁと思ってしまう。今後もこの映画を観るたびにそう思うことだろう。

●そういえば去年は珍しくヨットに関する映画が2本も日本で公開された。『モーニング・ライト』と『ジャイブ/海風に吹かれて』どちらも殆ど知られない位小規模の公開だった。『モーニング・ライト』は油壷のマリーナにパンフレットが置いてあったっけ。宣伝担当も流石にこの映画のPRはしんどくて、マリーナにパンフをおいて少しでも注目をとおもったのだろうけど、余りに公開館がすくなかったし、確かレイトショーだけだったりとかで、結局観ることはできなかった。『ジャイブ/海風に吹かれて』は銀座の映画館にポスターが貼ってあったけれど・・・・これはちょっと観なくてもいいかと思った。(笑) モーニングライトは観ておくか?

○4/27 探していた映画公開時のパンフレットが出てきた。製作費60億!20年前としてはとびぬけた予算だ。だがそれが嘘ではないことはこの映像を観ればすぐわかる。どれだけ金が掛っているのだろう、そして金以上の労力、努力がつぎ込まれているのだろうと思う素晴らしすぎる映像だ。監督キャロル・バラードは「揺れ動く小道具の上に俳優を乗せ、バケツの水を浴びせるようなステージ上の映画を製作するつもりは無かった」と述べている。

○セイリングシーンのカメラワークも素晴らしいが、役者の演技もまるで本物のセイラーのごとくだ。パンフレットにはこの映画のセイリング・テクニカル・アドバイザーにピーター・ギルモアが参加していると書いてあった。ヨットマンならピーター・ギルモアの凄さは知っている。

○ギルモアはマシュー・モディーンとジェニファーにセイリングの集中トレーニングを受けさせたという。実際の映画では1分に満たないシーンを撮影している間、クルーと同様に一日10時間も太陽や潮、寒さと風にさらされながらトレーニングをしたという。マシューもジェニファーも即席ではあるけれど、かなりのクルーに育て上げられたのだろう。撮影は2年間に渡って行われ、撮影に使われたヨットは実際のアメリカス・カップ・キャンペーンに参加した12mヨットだということだ。

Bigスピン:ウォンパーを揚げるシーン。このシーンは音楽もいいし、観る度に胸がスッとするほどいい!何度観てもいいものだ。