戦争映画に関する不気味さ怖さ。ブログ検索結果の不気味さ奇妙さ。

●8月の終戦記念日を境にして8月14日から16日辺りはこのブログに辿り着く検索キーワードで戦争映画が増えるのではないかと思っていた。しかしそういう傾向はとりたてて言うほどではなかった。このブログでも戦争に纏わる映画のことは色々と書いているが、前から気になっていたのは「明日への遺言」に関することだ。

●2008年の邦画の中でも『明日への遺言』は非常に優れた一作である。戦争に勝った側、負けた側で、戦犯という名の下に人間の命の扱い、犯罪としての扱いがこれだけ違うのだということを痛切に語りかける名作であろう。しかしこの映画、2008年の映画賞では殆ど受賞というものがなかった。ノミネートの段階までいったものはあるのだが、これだけの作品なのにノミネートすらしていないという映画賞も多かった。結果を見れば『明日への遺言』は殆どの映画賞から除外されてしまったかの感すらある。

●戦争を描いた作品、戦犯を語る作品、そこに何らかの主張を入れた作品はいまだに合法、非合法の団体、個人からとにかくあれこれと非難、攻撃されるという。『明日への遺言』もそういった非難や攻撃を映画製作が始まった頃から少なからず受けていた。ネットの中で検索すればあれこれと関係した記述は見つかる。

●映画は十人十色というのが自分の考えであり、映画賞というものにしても一律皆が揃い踏みしてこれがいい、あれがダメと画一的なものになるのはおかしい。しかしだ「明日への遺言」という作品が数多の映画賞をまるで受賞しなかったということには、なにか正当な作品評価とは別の思惟が絡んでいるのではないかと思えるのだ。東絛英機A級戦犯を取り上げた「プライド 運命の瞬間 」(1998)も劇場公開時から様々な上映反対運動や作品に対する非難などがあり未だにDVD化すらされない状況だ。(あえて火中の栗を拾いたくないとする企業の考えは分からなくもないが)

●「明日への遺言」はきちんと上映され、きちんとDVD化もされ鑑賞しようとおもえば誰にでも手に取ることが出来る状態にある。だが、多くの映画賞がこの2008年の秀でた作品になんらの賞を与えなかったことは「プライド 運命の瞬間」がDVD化されないことと同じで、映画賞関係者、主催団体が「明日への遺言」に賞を与えることで発生するかもしれない、かってよくあったような非難、批判、攻撃を受けることを最初から忌避したのではないのかと思うのである。もちろんこれは自分の勝手な推測であるが。

●このブログももう300件以上のタイトルがあり、そこそこの量になってきた。アクセス解析をすると8割がグーグルでの検索結果からこのブログに辿り着き、1.5割がヤフー、残りが直接入力などとなっている。

●ある特定の映画タイトルと批評という言葉をグーグルに入力し検索すると物によっては異なるが検索結果の上位にこのブログの記事が入っているものもあれこれある。グーグルでは検索結果に出てくるがヤフーでは検索結果にまるで出てこないというものも多い。しかしだ、グーグル検索で「明日への遺言」「批評」と入力して出てくる結果に妙な動きがある。 当初は検索結果に出ていたこのブログが「明日への遺言」「批評」の検索結果から消えた。どんな検索ワードを入れても検索結果にひっかかってこない。ひょっとした何かNGワードが文中にあって検索結果から除外されているのかと文を読み直してみたが特にそういった言葉も見当たらない。「戦犯」や「報復裁判」などという言葉がNGなら他の映画批評も検索結果から除外されそうなものだが、そうでもない。どうも何かこのブログの「明日への遺言」のページがグーグルから検索対象除外のフラグでも付けられているかのようである。

●思いついたときに検索ランキングを調べるページなどで「明日への遺言」「批評」としてこのブログのページが検索結果にひっかかるかどうか試していたが、このところずっと検索結果には表示されないという状態であった。それが終戦記念日を境にして、急に検索結果の第四位に2008年3月8日の日記が飛び出してきた。終戦記念日が近くなりこのブログで「明日への遺言」の批評をクリックする人が増えたせいだろうかと思ったが、ページ閲覧履歴を確認するとそうでもないようだ。では何故終戦記念日近くなって「明日への遺言」のページが今まで検索結果から除外されていたかのようなのに急に四位にまでランクされるほど飛び出したのか? グーグルが終戦記念日に関する語句、ワードの検索比率を一時的に上げた? そういう動きがあるかどうかは分からないが、今まで検索結果からほぼ完全に除外されていたページが上位に急に現れるというのも不思議で奇妙だ。そしてこの結果は二日程しか続かなかった。二日後にはまたこのブログの「明日への遺言」のページは検索結果から消えてなくなった。

●明らかに何か人間の恣意的な作為が加えられている?またはグーグルの検索パターンのアルゴリズムというものに「明日への遺言」のページがNGとされている何かがあるようだ。

●このブログを読んでいる人もさほど多いわけでもなく、このブログがなにかの影響を及ぼすような力を持っているわけではないが、たかが一つのブログ記事でも検索エンジンはそれを除外したり、削除したりという行為が漫然と行われている。検索エンジンによって支配される人間の行動、思考・・・もうこれだけグーグルに頼ったネット生活が定着している現在、人間の知識の収集や行動の動機はグーグルの検索結果によって大きく支配されてしまう。おそろしいことだが、それを避ける方法もある。しかしその方法まであえて使おうという人は極々少数であろう。

●なぜかこのブログの戦争に関する映画の批評ページは検索結果に出てこないものが多いような気もしている。「夕凪の街 桜の国」「ゆきゆきて神軍」、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」などはグーグルの検索結果に出てこない、または出てきても少ない、下位のランキングという傾向がある。グーグルの検索アルゴリズムまで詳しくは知らないが、なんらかの人間が作った計算プログラムが特定の事象に関する記事をNGとして検索結果から除外して表示させているというのは・・・もうそれがどうしょうもない世の中だとしてもそらおそろしいものが漂う。太平洋戦争の映画となると歯を剥き出して批判する団体などとアプローチは異なっていても生じさせる結果は同じなのではないか? まあそんなことをふと思ってしまうのだ。