『人のセックスを笑うな』

●結局、最初から最後まで乳くりあっている映画? ああ、こういう年上の女性はいるよな、歳下を罪の意識もなく翻弄したがって、セックスにも、夫がいることにも同じく罪の意識はない。ただそうしたいのという女性の欲求を悪魔の子供のように充たそうとする女性。

●ああ、こういう♂もいるよなぁ。年上の女性に翻弄されて、でも抱きあってセックスしてるうちに愛おしくなって好きになって、まあ、それでフラット逃げられたらストーカーとかになってしまうんだろうけどね、こういう場合♂は。

●まあ、何にしても最初から最後までだらだらと、こんなに長回しで、このシーンを撮る意味がどこにあるの?という感じ。

●もうほんとに久し振りに、途中で出たくなった。でもそれは映画を作った人たちに失礼だと思っているし最後の最後でなにか強烈なものが画面から伝わってくるかもしれない。だから最後まで耐えてでも映画は見る。

●しかし、辛かった。眠かった。心底早く終われと願っていた。

●久し振りにどうしょうもない映画を見たというしかない。

●こういう女性に共感する女性もいるかもしれないが、その共感はタダの共感であり映画の価値とは相通じない別の物だ。

●なんで英語の題が RAUGH AT MY ROMANCE なんだ??? ふん、英語じゃsex って書くのを憚ったのか? じゃあ元々の邦題そして小説の題である「人のセックスを笑うな」ってのも、注意喚起、人目を引きつける寄せ餌的題名だったというわけか?

蒼井優は最近あちこちの映画にひっぱりだこだ。蒼井優が作品に出てるっていうだけで、どんな演技をするのか、どんな役なのか見てみたいと思わせる部分がある。つまり蒼井をキャスティングすればそれだけで蒼井ファンが作品を見る。興行に役立つという訳だ。

●しかし、この映画の中の蒼井優は、またどうしょうもなく詰まらない役だ。ちょっとしたしぐさや演技にこれは巧いなぁと思う部分はあるのだが、やはり蒼井は顔つきの幼さと持っているフィーリングから役が制限されている嫌いがある。

●多くの監督が蒼井をキャスティングして自分の作品で使ってみたいと思うのだろうが、どれもこれも脇役である。名脇役というのもあるが、蒼井優は脇役でキラッと光るものを作品に付加し、画面をピリッと引締る。それはいい。だが・・・蒼井はこれだけ多くの映画に出ているのに、主役は実に少ない。

「ニライカナイからの手紙」はベストなキャスティングで蒼井も主役を見事にこなした。「花とアリス」では主役を食ってしまった。「フラガール」でも準主役ながら、堂々と主役と体を張って渡り合った(ホントは主役かもね)。だが、この三つ位である。

●実質本当に主役としてキャスティングされたのは「ニライカナイからの手紙」だけであろう。

蒼井優は主役を取らせるには、女優として持つものが足りないのだ。いつも一様な雰囲気を持つが、それが全く別のキャラクターとして画面で観客を感動させるという所には無い。だから蒼井は脇役ばかりなのかもしれない。

●今回の映画を見てその思いは更に強まった。なんだか幼い少女がでかくなったという感じで、見ていてしんどい。

●「ハチミツとクローバー」に並んでこの映画は蒼井が出た映画の中ではどうしょうもなさで一二を争うだろう。(鉄人28号は端から除外)

●ということで、もう何も言う気にならない作品である。   オシマイ。

☆映画批評 by Lacroix