『稲村ジェーン』(1990)

●なに気に”稲村ジェーン”でGoogleのブログ検索してみたら、驚くほどいっぱいブログ記事が出てくる出てくる。それも一か月以内とかでも随分ある。もう20年も前の映画なのに。”稲村ジェーン”という映画に関して書かれているページも実にたくさんある。そういう映画ってほかにあるかな? 無いんじゃないだろうか? この映画はたぶん湘南の海や、いや、湘南ではなくても夏の海にあのころとっぷりと浸かってひと夏を過ごしていた人にとっては忘れられない思い出の一作になっているのだ。

●『稲村ジェーン』の感想を書いたり、批評したりしているページではことごとくこの映画はひどい作品だと書かれている。分けのわからぬ作品だ、ストーリがあるのか? 意味不明だ・・・・そういった批判もいっぱいだ。もうこの映画は最低日本映画の一本として定説になっているようでもある。

でも、やっぱりこの映画は好きだ。イイ映画なのだ。何度も繰り返して観てしまう映画なのだ。思い出に残る映画なのだ。たくさんの映画を観ていくなかでもこれからもずっと心に残り続ける一作なのだ。

カッコつけすぎの言い方かもしれないが、それは感覚の共鳴かもしれない。あの夏、あの海、あの空気、そしてあの頃のあの湘南・・・そういったものをこの映画を観ていると思い出し、そして「そう、そう、そうなんだよ」と映像と自分の感覚が驚くほどに一致するのだ。監督の持っている感覚、映画が醸し出しているイメージ、温度感、空気感、あの海の、あの時代の空間の感覚、それが驚くほどにシンクロするのだ。

あのバブルの時代のあの湘南の夏の海の感覚を、あのけだるくともキラキラとしていて、閉塞感なんかまったくなかったあの時代のあの夏の感覚を感じとって、しっかりと肌にも心の中にもしみ込ませている人にとっては、ストーリーの整合性なんかまるでなくたって、この映画は抱きしめたくなるような一作になる。あの時代のあの湘南のあの海の感覚を味わっていない人にとっては、まるで話のわからない、変てこな最低映画になる。この映画はそんな作品じゃないかと思うのだ。

●この映画の中には間違いなく”夏”の空気が感じられる。あの暑さあの風がこの映画のなかには確実に漂っている。ファーストシーンを観ただけで、夏を感じられる。砂浜でもカフェでも海でも、この映画のすべてのシーンにしっかりとあの湘南の夏が映し出されている。そしてあの匂いや空気感までもが映像から伝わってくるのだ。
(『波の数だけ抱きしめて』も夏の映画だけれど、あの映像には湘南の夏の空気感は漂っていない。暑さだとか海の匂いも薄い。千葉で、夏では無い時期に撮影されたことが映像に如実に出ているのだ)

●この映画が持っている夏の感じ、それはたぶんこの地で育った桑田佳祐だからこそ再現できた映像なのではないだろうか? そして監督桑田佳祐はこの映画でストーリーとして何を表現したかったのか、何を伝えたかったのか・・・ではなくて、”あの夏”を再現したかったのではないだろうか? そんな風に思うのだ。そしてこの映画は他のどんな映画よりも確実に、しっかりと、本当に、”あの夏”を再現している作品である。そこがあるからこそ、この映画は心に残る一作になっているのだ。

”あの夏”を持つ人と持たざる人で、この映画は最高にも最低にもなる。それは作品そのものの評価とは違うのだけれど・・・・。

とどのつまり、映画は観る人の主観であり、独断であり、偏見。この映画は映画としての評価は低くとも、”あの夏”を知り、”あの夏”を感じることの出来た、感じることの出来る人にとってはきっと抱きしめたくなるような一作なのだ。

●今でも休みになれば相模湾を望む海沿いの国道134号は大渋滞。それでもたくさんの人がここにやってくる。この海とこの場所に流れる空気を感じたくてやってくる。そんな人たちが、今でも稲村ケ崎を通り過ぎる時に、きっと必ず『稲村ジェーン』っていう映画があったよねって思っていることだろう。湘南のこの海と、映画『稲村ジェーン』は切り離せない糸でつながっている。この海を素敵だと感じ、この空気を心地よく感じた人が、たぶんこれからもずっとHPやブログで『稲村ジェーン』のことを書き続けていくだろう。 そういった意味でもやっぱりこの映画は素晴らしい一作なのだ。(”映画”そのものとしてではないけれど)

●1990年の夏、汗ばむシャツで有楽町の映画館に入ると『稲村ジェーン』は大混雑で次の回を待つ人でロビーは溢れ返っていた。通路に並んでいると前の回の上映のエンディングが聴こえてきて「真夏の果実」が通路まで流れてきていた。流れてきた「真夏の果実」を聞いただけで、なんだかジーンと来てしまったのを覚えている。「真夏の果実」という歌には、楽しかったけど、本当に楽しかったけれど、もう今年も夏が行ってしまうんだ、こんな楽しかった夏が行ってしまうんだ寂しさや悲しさがメロディーに染み込んでいる。だからこの歌を聞いただけで、過ぎゆく夏、終わってしまう夏を思って胸が締め付けられるようだった。そして期待を持って観た映画にも、まぎれもない、キラキラと輝いて楽しくてしかたなかった、そして甘酸っぱくて切ない”あの夏”が宿っていた。

ラストシーンの「暑かったけど、短かったよね夏」という言葉はあのとき大切な夏を過ごした人の心になによりも響く一言でもあったのだ。


●ドキドキして、ボーっとして映画館を出て、もう薄暗くなった有楽町の街から電車で家のある駅まで帰って、そして駅前に置いてある自転車をこいで街にあるちいさなおばさんが座っているCDショップに行った。「サザンの稲村ジェーンのサントラありますか?」おばさんは3枚だけ仕入れていたサントラをレジの後ろから座ったまま取り出して一枚を渡してくれた。そしてその夜はずっとサントラを聴き続けていた。あの1990年の夏、自分は3回位劇場で「稲村ジェーン」を観たと思う。それだけ熱中していた。原宿の稲村ジェーンカフェにも何度も足をはこんだっけ。
 
●そんな風に自分の中に熱を帯びさせてしまうような映画は数少ない。自分でも不思議なくらい、この映画を好きになっていた。

●翌月位に発売されたキネマ旬報の読者の映画批評を読んだら、確か女性の読者だったと思うけれど「この映画にはまぎれもない夏があった」って書いていた。それを読んでウンウン、そうなんだって首を縦に振っていた自分を覚えている。

●もう20年も経って、あの頃よりも海はずっと汚くなった。あのころはまだ夏の浜辺で泳ごうって気持ちもあったけれど、今の薄茶色の海に入る気はない。船で少し沖にでればまだまだ相模湾は綺麗だけれど、あのころ浜辺から観ていた海を今は逆に海から浜辺を観ている。

●この映画の時代、1960年頃の海はもっともっと綺麗だったのだろう。海は変わってしまったけれど、この134号沿いの海辺に漂う雰囲気はあまり変わっていない。やっぱりここは、この海は特別な海なのかもしれない。そしてその海を舞台にした『稲村ジェーン』も特別な作品なんだなと思う。

●この映画はDVDにもBDにもパッケージメディア化はされないのであろう。LDプレーヤーも、もう生産されていない今、捨てきれずに数枚だけ残しておいたレーザーディスクをDVDにダビングして保存しておこうと思い立ち、10年ぶり位でこの映画を観た。LDの映像ってこんなに汚かったっけ? そんなことを思いながら再び観た『稲村ジェーン』にはやっぱり”あの夏”の匂いがただよっていた。

●批判はされていたけれど、当時ずいぶんとヒットしていた。作品の出来だとかいうのではなく、あの1990年の夏の終わり、この映画は明らかに社会現象化していたのではないかと思う。この映画を観ることが夏を見送る儀式だったような気もする。

●あの当時はよくカラオケでも「真夏の果実」を歌っていたっけ。あの頃の夏は本当に暑かった。バブルもありサーフ90もあり、湘南の浜辺も、日本の夏も一番にギラギラと賑やかで楽しかった夏。これからもきっと、あの夏を思いだすたびに、この映画のことを思い出すだろう。