『シン・ウルトラマン』粗粗だけど、面白かった。驚きいっぱいの脚本に◎
どうかなぁ・・・と訝りながら観たが、面白かったね。
ウルトラマンという作品の素性もあるが、今までの庵野作品とちがって、絶望だとか破滅だとかなんかそういう系ではなく、夢や希望、温かさのある話になっていたのが嬉しい。
ウルトラマンが自己を犠牲にしてまでも地球の人々を助けてくれる。その自己犠牲の気持ちがグンと心に響く、それがウルトラマンの一番素晴らしいところであり、シン・ウルトラマンはそこを見落とすこと無く、しっかりと映画の真ん中に据えてくれた。だから自分はこの映画が好きだな。
よくもまぁ、こういう脚本を書き上げたものだ。
映画は何がなくても先ずは脚本。ダメな脚本ではどれだけ良い監督が撮ってもいい映画にはならない。良い脚本であればダメな監督が撮ってもそこそこいい映画になる。その典型とも言える。そして、脚本の次に大事なことはキャスティング。そこも定石を踏み外していない。
そして、TVシリーズの思い出深いところがあちこちに挿入されている。これもまた、庵野ならではといったところだろう。
業界に巣食うアホなプロデューサーなんかであれば、おそらく確実に「一番知名度が高くて人気があるのがバルタン星人なんだから絶対バルタン星人を使ってください」とか言うだろうな。
しかし、この映画でザラブ星人・メフィラス星人なんていう、TVシリーズを詳しく観ていないと分からないマイナーな異星人を使うとはこれもまた庵野らしさであろう。この選択は素晴らしいとしか言いようがない。
TVシリーズを観ていなくても充分にこの映画は楽しめるだろう。でもやっぱりTVシリーズを知っている方が圧倒的に楽しさは倍化する。
昔、リアルタイムにTVでみていなかったとしても、ウルトラマンに憧れTVシリーズのウルトラマンを観て感動した人が観たなら、シン・ウルトラマンは「おお!」「ああ、それそれ!」「ここでそれを使うのか!」とスクリーンを観ながら拳を握りしめて、悶絶するかも。
また、さらに良いのは、サウンドなのだな。TVシリーズのウルトラマンで耳に残っているあれやこれやの、あの音たちが効果的にシーンに組みわされ挿入されている。音だけでも相当に楽しめる。(これも、知らなかったらなんとも思わないだろうなぁ)
それにしてもなぁ、まさか地球どころか太陽系までを破壊する最終兵器がゼットンとは・・・庵野脚本恐れ入る。そのゼットンの音が・・・やはりTVシリーズを知っていないとあそこで身震いはしまい。
ゾフィーがなんとなくゾフィーらしくない姿で登場。(名前はゾーフィーらしいが)それに恐れをなしてメフィラス星人が逃げる・・・どういうことだ? となったら、ゾフィーが地球を消滅させるという。ええ、どうしてゾフィーはウルトラマンを救って地球を守ってくれる兄のような存在だったのでは? シンウルトラマンでゾフィーは地球人にとっての敵になるのか? 悪役なのか? と恐れ驚くが・・・まあ、脚本はうまくまとめてくれていたな。
でもなぁ、最後はきっとTVシリーズのように、ゾフィーが2つある魂をウルトラマンに与えて生き返られせくれると思っていた。ずっと「そうなれよ」「そうなるはずだ」「そうならなきゃ」と祈りながらスクリーンを凝視していたが、その祈りは叶わなかった。こういう終わり方にするとは・・・。
なんだかんだ言って、今までの庵野作品とはちがって、夢や希望がある元気づけられるような映画であった。
それは何よりもウルトラマンの自己犠牲の気持ち。自分の命を捨ててまでも地球を守りたいという心。そこに涙するわけだ。
まあね、昔からウルトラマンシリーズを悪く言う人というのはほとんど周りにいなかった。ウルトラマンは究極の善だったのだ。(タロウあたりまでは)その基本はこの映画の中でも守られていた。それがまた嬉しくもある。
なんだか、昔の憧れの特撮ヒーローや怪獣作品がどんどん庵野によって、庵野一人だけによってリブートされて行くのもちょっと癪に障るというか、腹立たしい。過去の名作が全部庵野で置き換えられてしまうじゃないか、という不満もあるのだが・・・。
それでもなぁ、おそらくかつてのTV SFシリーズのファン、怪獣映画のファンなどが、そう容易に口にはしないだろうけど・・・おそらく、おそらく、庵野作品のシン・シリーズを観ている多くの人はこう思っているのではないだろうか・・・いや、自分も強くそう思ってしまう。シン・ウルトラマを観終えた後も直ぐにその思いが頭に浮かんできた。
たぶん、皆が思っていることは・・・
庵野による・・・
「伝説巨神イデオン」の復活!!
じゃないかなぁ・・・・。