『シャッターアイランド』

・結局なんら起承転結もなく、せめて結があればいいともおもったがそれもなし。監督やら脚本家が仕込んだなぞ解き、宝探し、間違い探しにを映画をみながらするつもりはない。

・なにが、繰り返し観て秘密を見つけよう!だ。もうそういう手は下らな過ぎる。少しでも興業を稼ごうという腹積もりが見え透いている。そんなものに今だれがまんまとつかまる? つかまる人も少しはいるかもしれないが、そんなことをしたいのだったらソフトを買って繰り返しみればいい。こういったPRの文句を見聞きするだけでしらけてしまう。

・映画は話であり、物語であり、その展開と演出が物語として完結しときめきや感動をもたらすものでなければならない、そうでなければ映画じゃない。

・なぞ解き、間違い探し、宝探しをするのだったらTVゲームでいい。そんなものを柱にすえた映画など映画ではない。

マーティン・スコセッシが間違い探しと宝探し、なぞなぞゲームを映像で作って、それを”映画”だとして臆面も無く作り完成させ公開したゲーム映像。

・こんなものは映画にあらず。それを映画として公開していることもおかしいし、それを映画としていることをおかしい。

・こんなものは映画じゃない。

・・・・って、最近こういう風に感じる”映画”だって言われて公開されている商品が多い。うんざり。