『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued』

 -10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?-
・冒頭からバクバクととにかくスパゲティーや甘いものを食いまくるAKB48のメンバー、その映像が面白い。とにかく注文し、とにかく食いまくっている。その姿がごく普通の女の子に見えて、しかしその食べる勢いがまた元気でとめどなくというかんじでいい。あまりわざとらしい演出も感じず「AKB48のメンバーがバクバク食べる映像を最初に持ってくるというのはなかなかだな、巧い」とその後の展開に期待した・・・のだが・・・。

・続くインタビュー映像がきわめて退屈だった。それはまだ若い女の子たちなんだから、いろんなことをしたいし、あれもこれも恋愛もデートも友達と普通に遊ぶこともしたいし、この位の女の子ならやりたいことが沢山、喋りたいことなんて沢山あるのだろうけど、インタビューに答える姿は、アイドルグループの一員としてしゃべる言葉も内容も一定の枠のなかにはめられた、制限されたものにしか思えなかった、見えなかった。この歳の女の子が本当に弾けて、はしゃいで、夢を語っている姿にも見えない。ビジネスと大人の策と制限のなかで語られるインタビューには眩しいほどの圧力を感じるほどの輝きも熱も若さのほとばしりもない。このインタビューは結局一定の枠の中で制御され、自らも制御している言葉でしかないのだ。

・しかも映像の撮り方、構図、逆光を使ったライティング、空気感全てが岩井俊二の映像そのもの。「ハルフウェイ」の時にも同じような気持ちを書いたが、これは岩井俊二の映像であり、他の何物でもない、もう99.9%岩井俊二の絵、映像、世界であり、岩井俊二以外のなにものかは映像のなかに浮かび上がっていない。これでは監督である寒竹ゆりは何をしていたことになるだろう? 岩井俊二の門下であるから岩井俊二に似た映像になるというのは仕方ないとしても、これではそのまま全部岩井俊二であり、寒竹ゆりという監督の考えも、思考も個性もなんらこの映画からは感じられないし浮かんでいないのだ。であるならばこの監督は何をしていたのか、なんのために存在していたのか、ただ単に監督をしたという箔を付けるためだけのために監督:寒竹ゆりとしているだけであり、この作品の監督として自分を出していたとはとうてい思えない。

岩井俊二に言われたまま、岩井俊二のやり方をそのまま踏襲し、岩井俊二の映像をそのままコピーするだけの仕事であるならばそれは監督とは言えない。

・ビジネスや今後の戦略的なことを考えて、監督:寒竹ゆりとしたのだろうとも想像するが、これでは岩井俊二が撮影した映像に門下の監督の名前を付けただけといっても疑義は出まい。

・結局、岩井俊二という名声や名前、ブランドを使いたいがためにこの詰まらないインタビュー映像は撮られていて、岩井俊二のやり方、スタイル、個性のままに撮影も編集もされていて、この映画の中に監督:寒竹ゆりはまったく存在していないのだ、そう思わざるを得ない。

・インタビューの映像は岩井俊二的に柔らかな光で少女たちを包み込んでいるような、優しく和まされるような空気が漂い、やはり岩井俊二と思わせる質の高さが確実にある。それは凄いことだと再認識するのだが、インタビューに答える少女たちに本当の輝きがあるか、素のキラメキや弾けるような若さが流出しているか・・・していないのだ。絵は柔らかく美しいが、それだけであり、その絵が捉える少女たちは発散すべき輝きと光の矢の先端をぐにゃりと反対に減し曲げられ、内側に押しとどめられているかのようでもある。

・逆光の中で板野友美が図書館でつま先立ちをして本棚の本を取るシーン。これはそのまま『ラブレター』ワンシーンの丸写しではないか。胸をキュンとさせる良いシーンなのだが、それはもう岩井俊二のハンコがしっかり押されたシーンだ。

・さらに実際の秋葉原AKB劇場で歌とダンスを演じる場面は、真正面や観客席の後から撮影したものばかりで、まるで記録映像のごときであり、インタビュー映像から数段質が落ちる。

・こんな内容で2時間。かなり退屈でつまらなかった・・・ドキュメンタリーというものは何ら演出を加えなくても目を引くものなのだが、それだけの力がドキュメンタリーにはあるものなのだが、この映画はドキュメンタリーでもなければ、映画でもない。ドキュメンタリー風に撮っていながら、管理され制御され、制限された少女たちの姿であり、演出された絵であり、そこの少女たちの素の姿、心は見えてこない。少女たちはこれが自分たちのありのままの今と思ってしゃべっているのかもしれないが、それはコントロールされ作られたものを自分の素と思い込み、思い込まされているものではないだろうか。この映画が少女たちの今を本当に映し出しているか・・・それは違うな・・・。

・何のためにこの映画が撮られたのか作られたのか、AKBそのものの宣伝と金儲けのため、映画の上映よりもソフトでの収益のため。映像に箔をつけるために岩井俊二に依頼。だけど監督は寒竹ゆり。映画宣伝もかねてNHKが寒竹ゆり監督の「1ミリ先の未来 〜AKB48ドキュメンタリー〜」を放映。これもほとんど映画と似たような内容。岩井俊二が撮って編集して監督の名前だけを門下生のものに付け替えたかのようなものだった。そしてここに来てNHKで繰り返しこの映画を放映・・・なんだかそこにあるのは、今のAKB48のメンバーの姿や、青春、輝きを捉えようなどという考えではなくて、流行りの頂点でもうすこしガソリンを投入して燃え上がらせよう、ここでもう少し儲けよう、というような算段がありありと滲んで見える。

・これは題名とは全く違って、ドキュメンタリーにはなっていないし、ドキュメンタリーではない、だからといって映画になっているかといえば映画にもたどり着いていない、30分で飽き、1時間でつまらなさが苦痛になってくる。この作品の中に映画というべき演出はなされていない。全体を通した映画としての話がない。個々のインタビューに少し手をくわえて繋いだ、そんな映像だ。2時間という尺も劇場公開を意識して無理やり繋いで長くしたかのようにさえ思える。

・結局これは金儲けの算段のなかで企画され作られた、映画でもドキュメンタリーでもない、ただのマテリアルであり、材料を見栄え良く繋ぎあわせただけのものだとしか思えない。

・これは映画でもドキュメンタリーでもない、AKB48の人気の中で、パンの耳を切り売りしているような商材、大して手間などかけず一緒に出来上がってしまったものも無駄にするよりは売って金儲けにしようとした、そのマテリアルだ。

・改めて最初から見返したら、冒頭のバクバク食べているシーンもずいぶんとわざとらしさがあるなと見方が変わった。

・人気絶頂とはいえ、NHKが異常なほど番組構成でAKB48を応援しているような気がするのだが? 民放ではないのに、あからさまにAKBのビジネスとタイアップしているかのような番組の流し方。映画やDVD発売前の商品PRとしか考えられない番組・・・なにか怪しくもあり。

・しかし少し前に放送された「AKB48ライブ@SBD」を観たら、こっちのほうがよっぽどメンバーの少女たちが頑張ってはちきれそうなまでに輝いていた。あてがわれた曲、歌、踊り、ステージなのだけれど、そこでとにかく頑張って歌って踊っている姿、その映像のほうがドキュメンタリーとしてよっぽど感動するし、映像に力もあった。

AKB48のファンは、応援している人はこの少女たちの歌を、頑張りを応援しているのだろうか? センターから落ちたり人気投票で落とされたり、まるで人生ゲームのような、テレビゲームをAKB48という人形で楽しんでいるのではないか、そのシステムを面白がっているのではないか、そんな風に思う。

・このドキュメンタリー唯一よかったのは渡辺麻友が一番可愛いと思ったこと・・・か。