『friends after3.11 vol.1』

◎わざとらしさ、あざとらしさ、嘘、作為的な演出は見ていれば分かる伝わる、感じられる。同じように、いやそれ以上に、物事を見つめる真摯さ、真剣さ、真面目で実直で嘘偽りのない心も、確実に伝わる。目や表情や言葉、口調、体から発する熱によって。

◎被災地に立ったら、その有り様を見たら、真剣な顔にならざるを得ない、言葉を無くして黙りこくるだろう。それが普通でそれが当たり前だけど、その思いを別の何かで塗り固め、塗り替える人もいる。この作品はそれをしていない。在りのままで、何を被せようとも、色を付けようともせずそのままの思いを、感情を気持ちを悲しみを移し出している。だから、本物であり、心を打つ。

◎ラストで津波に呑まれ流され崩され荒涼とした廃虚のような被災地の現場に立つ岩井俊二藤波心脱原発アイドルなんて言っている藤波心の顔が、目が、瞳が、唇が、肩が、腕が、足が、悲しみの現場で悲しみを体中に受け止めている。その表情に、その姿に嘘や偽善や欺瞞はこれっぽっちも無い。嘘偽り無く悲しみを感じ、受け入れ、そして体から発している。藤波心の涙に嘘も演出も演技もない。これが、これこそが沢山の人の命が奪われたその場所に立った人間の人としての自然な、在りのままの素の心の表情なんだ。

◎このラストだけを何度も何度も見返した。それまでのインタビューなどの映像も意味あるものだけど、このラストのシークエンスは、他の何よりも何千倍も、この震災と津波を、そして3.11を顕している。このラストシーンがこの作品が辿り着いた結論と言えるだろうか。このラストシーンに、3.11の悲しみや怒り、憤りすべてが詰まっている。このラストシーンを観れば、3.11の悲しみや怒り、憤りのを感じることが出来る。

3.11を扱った色々な映画、映像作品のなかで本当に心を打たれたのはこの作品が最初だ。
以前にこのブログで批判した”「3.11 ア・センス・オブ・ホーム・フィルム・プロジェクト」”の作品は、どれもこれも”ふざけるな!”と言いたくなるものだった。あんなものが3.11の悲しみや苦しみ、怒りを伝えられるか、伝えようと真剣に考えているか、いいかんげんにしろ、クソ映画人・・・と思った。だから3.11を扱った映画だとか映像作品というものに拒絶反応さえ持っていた、でもこの「friends after3.11」は全く違った。さすが岩井俊二というべき。

松田美由紀・・・・この人が出ていることはよくわからないけど、何かの力になっているのだろう。少なくとも不真面目さや不謹慎さは感じられない。この人もこの人なりに真剣に3.11と原発事故に向かい合っているということはわかる。

○冒頭から心臓を抉るような歌が、その言葉がぐいぐいと胸に突き刺さってくる。

○なんだ、脱原発アイドルって、藤波心って。ふざけてるのか、また売名行為か、災害便乗のビジネスか、吐き気をもよおすような偽善か・・・と思った、思っていたのだけれど、カメラに向かって語るその目、表情、言葉に、嘘や偽善が纏っているわざとらしさやあざとらしさや薄汚さが感じられない・・・チーンと鳴り響いて真っ直ぐにどこまでも空間を刺し突き抜けていくような、そんな真摯さ、純粋さ、一途さが感じられた・・・だから、これは今まで、あの3月11日から一年の間に作られた映画や映像や音楽やライブや・・・そういった偽善が見え隠れするようなものとは違うなにかがありそうだ、開始から数分でそんな風に思い背を伸ばし、威儀を正した。

○新宿のアルタの前でこんな反原発の街頭演説というか集会が行われていたのか。霞が関のテント村のことにしても、高円寺のデモのことにしろ、テレビや新聞はほとんど報道にのせない。大きな動きなのになるべく多くの人に知られないように、伝えないようにしている。スカパーでこういった明白な反原発のドキュメンタリーが作られるということは、大きな、そして貴重な、重要な、大事な意味がある。それを岩井俊二が絡んで撮ったということは、この作品とこの内容が、反原発の思いが一人でも多くの、意識をもった人に伝わるということで、その認知度を上げるために大きな力となる。

☆後半、岩井俊二藤波心が被災地を訪れてからの映像が、さらりとなんでもなく被災地を移しているようでありながら非常に濃く、そして重くこちらに様々なことを問い掛けてくる。映像の持つ力、その静かに強く押し寄せる力がある。TVでたくさん流れていた被災者のインタビューや被災地の映像より、絵が、映像が、それが発する力が強い。

○ボロボロになって焼け焦げた被災地の建物、その場所に立つと、人間は嘘偽りない素の心を、感情を表に出す。そう、あざとさやわざとらしさや演出や嘘のない人としての姿に目を耳を体を惹き付けられ黙って凝視してしまう。

●エンドロールでビールを運ぶ映像がでてきて、パーティーをする映像が流れる。最後にこんなのを観ると、やっぱりこの人たちは震災も原発も他人事なんじゃないかと、この作品に対する気持ちが引き戻された。震災後に「支援を呼びかけてパーティーを開催しました」なんて言って、都内で人を集めて酒をのんで美味そうな料理を食べている写真をブログにアップしてる芸能人や経営者なんて連中が結構いた。それを見て「こいつらは偽善だな、本当に被災地や被災者のことなんか考えてないな、うそっぱちの善意、支援だな」と思った。あの大変な状況で避難所で苦しい生活をしている人を、放射能から逃げている人を”支援”するといって青山や六本木でパーティーを開いている。こんな連中の支援という言葉は偽善だと思った。そして、この作品の最後に出てきたパーティーで楽しそうに食事をし歓談をする映像を見たら、この作品に出ている人も、やっぱり真剣に心の底から震災や津波原発や被災者のことなんて考えていないだろうと思えた、見えた。このパーティーがきっかけとなってこのドキュメンタリーの企画が進んだということだけど、まだまだあの大災害どまんなかの頃にこんなことをしているのかと思うと、最後にかなりがっかりした。どうなんだこれは、ホントに考えてるのかって気持ちになった。その気持ちを否めない。
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☆後藤政志氏
「制御棒でトラブルが起こった事故が沢山隠されていた。2000年以降でも制御棒が入らないという事実がのきなみあって、しかも隠されていてしかもいっぱい大量にあった。それはもう原子炉を運転する資格などないのだ」「ベントも動かなかった。あとから取ってつけたようなものだ。明らかに舐めている。真面目に考えていない。班目委員長はそんなことを考えたら設計できませんと言っていた。それは想定外というのではなく、事故の想定が想定不適切なのだ」「「安全に対する哲学が無い」「炉心が溶融したらダメです。格納容器は炉心溶融に対して設計などしていない」

☆鎌仲ひとみ
「爆発前にたくさん放出されているはず」「見えないし食べても分からない。なにもかわらないんだから」

田中優
「日本の電力会社は発電所を作れば作るだけ儲かる仕組みに鳴っている。経費を出せば出した分だけ電気料金でとれてしまう。広告宣伝費は合計すると日本第一位のトヨタの二倍にもなる。それでテレビ、新聞、ラジオといったメディアを広告宣伝費で支配した。金融の中では金利を高く払ってやるという仕組みの中で金融機関に最大の利益を与えてきた。そして金融機関は電力会社の株主になり原発を推進する側になってきた。結局電力会社は金融機関を儲けさせる仕組みで市場も支配してきた
「日本の省庁、官庁は電力会社から電気を買っていない」原発は電気が安いと言いながら自分たちはより安い第二の電力会社から買っているのだ)「日本の電力消費の内、家庭で使っているのは23.4%しかない。これ2011年のデータだ。電力消費の70%以上を事業者占めていて、しかも電気は最大消費に合わせて発電所を作っている。平均消費みれば発電所は58%位しか動いていない。現在時点でも60%位。一年の40%はお休みしている」
「電気が足りなくなるのは最大ピークの時だけ。その最大消費は一年のうちで10時間程度しか出ない。パーセント表示にして0.1%でしかない。電気が足りなくなるピークは。それに合わせて発電所を作るのではなく消費を減らせばいい」
「事業系の電気料金は使えば使うほど安くなるような仕組み。そうじゃなくて、減らせば減らすほど安くなる仕組みに変えればいい。そうすれば事業者はあっというまに省エネ製品に替えてくれる。そうすれば電気消費を半分に減らすことが出来るからもちろん原発なんてまったくいらなく、即座にすることが出来る」

山本太郎
「近々経済が崩壊したとしても、そこに健康が担保されていればいい。でも今この国がやろうとしているのは目の前のお金の回収。経済が破綻したとしても、そこに健康で働ける人がいなければ復興なんてできない」
チェルノブイリに入っていた放射線の専門家が福島に入って、ここはパラレルワールドだって言ってた。目で見える生活は普通だけど、実際に線量を計ると子供たちが放射線の瓦礫の周りで遊んでるようなものだ、そういう景色が広がっている世界だ」
「今回日本がこういう状況に陥って、放射能を世界中にばらまいて迷惑をかけている。おまけに子供たちに対して数値を引き上げたりして、たぶんどこの国の独裁者にも負けないくらいの不条理を押し付けられている。それなのに海外からの声は聞こえない。原子力は世界中の闇なんだと思う。日本だけじゃなくて闇が深く、広いんだ」

上杉隆
「国会議員にしろメディアに出ている人にしろ放射能はもう止まったと思っている。原発事故以降何人も作業員は亡くなっている」「とにかく何十万人という人が避難を余儀なくされ普通の生活に影響を受けている。単純に言って業務上過失致死傷といってもいいのに、不思議なのはだれ一人として東京電力に捜査が入るという質問も無いし、実際に入っていないし。記者は全員、お上の情報は正しいという前提で報じてしまう。それをそのまま報じる。放射能は出ていません。格納容器は健全です。安全です。直ちに健康に影響はありませんと」
「報道の人たちはなんで放射能のことを報じないのか。これを報じないのはメディアの自殺行為ではないか?あなたたちは良心の呵責に嘖まされないのか? 人間としておかしくないのか?
「東電の職員は自分たちの奥さんと子供だけは最初に逃がしている。報道関係者はみんなそれを知っているじゃないか、なんでそれを黙っているのだ」
「危機に直面したダチョウは砂の中に頭を突っ込む。現実から目を逸らすことで危機回避をしようとする。最もやってはいけないダメージコントロール。それが今回の震災で起こってしまった」
「あなた達は3月11,12,13日から一週間の記事をもう一回紙面に載せることが出来るか、テレビは同じものを報じることが出来るのか?そして私たちは間違っていなかったと胸を張れるか?出来ないわけだ、全部嘘だったわけだから」
「自分やメディアに対して忠誠を誓うのではなく、真実に対して忠誠を誓うべきだ」
ベラルーシでは健康に生まれてくる赤ちゃんが15%らしい。東電の事故はチェルノブイリを越えているんですよ、ベラルーシに日本を重ね合わせることが出来る。がんばろう日本、がんばろう東北なんて言葉は寒々しく聞こえる。本当にやるべきことは他にある。国がやろうとしていることを止めなければならない。包囲網を作っていかなければならない。全員参加で」

飯田哲也
原子力は必然的に無くなっていく。チェルノブイリの事故が旧ロシアの崩壊に繋がった。チェルノブイリがロシアの崩壊を後押しした」
民主党は官僚主導からの脱却を掲げて政権を獲ったが、あっという間に官僚に飲み込まれてしまった。官僚は非常に狡くて厖大な情報を持っているけれどそれを都合のいいように捩じってメディアに流す。この翻訳装置を変えなければ我々はいつまでたっても騙され続ける」

☆吉原毅
「公共的な使命を忘れるな。企業は損得のみを考えるものであっていいのか。企業とは志をもって社会に何ごとかをなすために作られた組織。物心主義、拝金主義、知らず知らずにお金に毒されているのではないか。健全な社会、人間の理想のもとにお金をコントロールしなければならない。それが金融機関の使命ではないのか」

清水康之
「日本の自殺者は年間3万人。それが単年度ではなく毎年です。アメリカの2倍、イギリスやイタリアの3倍。突出して高い」
「なぜ世界屈指の経済大国が世界屈指の自殺大国になっているのか」

☆タン・チュイムイ
「1980年代にブキットミラー事件というのがあった、アジアレアアースという三菱が投資している会社がレアアースを精製していた。レアアースがその精製過程で放射性廃棄物を出す。トリウムやウランが廃棄物に含まれる。政府は肥料工場だと言っていたが住民がレアアース工場だということを突き止めた。そして反対運動を始めた。10年掛かって訴訟に勝利したその工場はすべてを覆い隠し、再びレアアースの精製工場になっている」

小出裕章
「今現在、戦争よりも酷いことが進行している。福島で。そのことにほとんどの人は気がついていない。関西の人はほとんど他人事に思っている。絶望したらその時が最後の負け。自分に出来ることがある限りはやり続けるしかない。人間って一回しか生きられない。自分の人生で。やっぱりやりたいことをやるしかない、言いたいことを言うしかない」
原子力はいずれにしても衰退する。これ以上は出来なくなると確信している。でも原子力が生み出してしまった核のゴミは、100万年に渡って重りをしなければいけないゴミはもう気の遠くなるほど厖大に溜まっている。その一部は既に環境に漏れて人々を被爆させている」

☆この人はちがうんじゃないか!本当の反原発じゃなくて風見鶏、日和見の学者じゃないかと思う人のインタビューも入っていた。そういう人はなぜか大抵、堂々とした偉そうに踏ん反り返った態度でヘラヘラと笑っている。何かを誤魔化す人は大概そうだ、ニヤついたり笑ったりしている。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65766871.html
http://888earth.net/staffblog/2012/01/friends-after-311.html

http://www.cinematoday.jp/movie/T0012391