『魚影の群れ』(1983)

相米慎二監督の作品の中では、まともに、真面目に、真正面で観ることのできる作品。初期から中期の相米監督作品にはあざとらしく変てこで、奇異をてらったものが多く、どうにも好きになれないのだが、この映画は真正面から映画として観ることが出来るまっとうな作品。

夏目雅子円形脱毛症になるほど真剣に演技に取り組み、悩み、演技と対決した作品だという。今の女優、男優にそこまでの意志、思い込みで演技に取り組む人はいるだろうか?

・頭にナイロン・テグスが巻き付き血が吹き出すシーンが寒気がするほど印象的だ。

・フレーム、構図、カメラワーク、配置、カメラワーク、熟練監督のスキのなさ。緻密な構造の絵、映像。思いつきの変なアイディアや、奇妙な演出がない。実に正面から映画を録っている。直球勝負をしている。骨太で重厚で、軽薄さが微塵もない。手抜きをしているなと思うようなところなどまるでない。マグロとの格闘シーンでもよくぞこういう映像をとったものだと驚く。要するに相米監督作品のなかではこれは非常にまともなのだ。普通でもあるのだ、ただし重厚に積み重ねられた折り紙のごとき、とんでもない重さと厚さを持っているから並大抵の努力で撮られたものではない。シーン毎にスクリーンのこちら側では想像できないほどの努力や苦労が積み重なっているだろうと想像できる。この映画は普通の上に普通じゃないものがドスンと載っているのだ。相米監督作品としては珍しく普通に観ることのできる映画だけれども、やっていることは普通じゃない。

夏目雅子は当時何歳だろう? こんなに凄い演技、迫真の縁起。演技しているようには思えないところが凄まじい。女優の質、演技にたいする考え方、思い入れ、情熱、そういったものが今の女優と言っている役者とはケタ違いに激しく、強い。

・奇妙でヘンテコで、特異な映画ばかりの相米慎二だが、この映画は映画らしい映画であり、相米慎二はもっと早くからこういう映画を撮っていれば、監督としての名がもっともっと上がっていただろう。