『ションベン・ライダー』

●「翔んだカップル」「セーラー服と機関銃」と当時頂点とも言える人気だった薬師丸博子や人気アイドルをキャスティングして大ヒットを飛ばし、時代の寵児とも言われた相米慎二監督であるが、残念ながら今、相米監督のこの作品を観ると、これが映画か?と言えるほどに頭が痛くなった。

●未だに名セリフ、名シーンと言われる「セーラー服と機関銃」ラストでの薬師丸博子の「カイカン・・・」だが、この一つの非常に記憶に残るシーンによって、相米監督はマスコミから持ち上げられ、もてはやされ、話題の材料とされ、(当時の)日本の代表的な監督とされたのではないだろうか?

●「セーラー服と機関銃」(1980)に続くこの「ションベン・ライダー」(1983)を今回始めて観たのであるが、この内容の余りの意味の無さ、脚本も、演出も、映画という作品そのものとしても、余りにも酷い状態の映画だとしか思えない。

●今から24年も前の作品であり、そこには今から見れば古さがこびりついていることは仕方がないと容赦しても、この映画は中身が余りにも酷すぎる。河合美智子永瀬正敏などの若手新人を思いきって起用したキャスティングだが、彼らの演技は演技と言えるところまで達していない。叫んでいるだけだ。ガーガーとがなり立て、叫び、声の強弱でしか感情を表現できないような役者は最低であり、そういう演技は演技とは言えず、最も嫌悪感を持つものなのだが、この映画の中身はまさにそのどうしょうもない演技で溢れている。若さの持つ瑞々しさだとか輝きなんてものはこれっぽっちしか見て取れない。

●2時間にも及ぶこの作品は、正直観ていて苦痛であった。これ程観るのが苦痛に感じた作品も暫くなかった。30分程は我慢していたが、耐えられなくなり、DVDの映像を一旦止め、他のことをし、気持ちが切り替わったところでまた続きを見始めた。だが10分か20分もするとまた耐えられなくなり、映像を止めた。そして他のことをしてから「早くこの映画を観る苦痛を終わらせてしまおう」と再度見始めた。だが、同じことは繰り返され、結局この2時間の映画をすべて観るのにあれこれしながら半日以上掛かってしまった。

●そんな見方をしたせいもあるのだろうか? 観ていると頭が段々痛くなってきて、頭を押さえつけられるような閉塞感まで気持ちの中に広がっていった。一旦外に出て、新鮮な空気を吸って、頭を少しでもリフレッシュしてからでないと、また観続けることが出来ない気持ちだった。

●2時間の映画の進行がこんなにも遅く感じたことはない。何度も停止と再生を繰り返しても、時間は全然進まなかった。

●一部にはこの映画を傑作と評する人もいる。映画は(いや、映画に限らずとも)表現された物、それを観て受け取る者の感じ方は十人十色だ。しかし、亡くなった相米監督に対して忍びないが、この作品は邦画の歴史の中でも希代の駄作、失敗作、どうしょうもない愚作としか思えなかった。

●きっと「セーラー服と機関銃」の大ヒットで次回作を期待した監督の後ろに居た会社が、無理矢理作らせた作品なのではないだろうか? 監督も「セーラー服と機関銃」の大ヒットという状況に飲まれ、制作会社に押し付けられるように作らされた、そういう作品ではないかと想像する。
 勝手な想像であるが、たぶん相米監督も、この作品には満足していない、それどころか封印したいなんて思っているのではないだろうか?

●「翔んだカップル」を製作した今は無きキティフィルム(サンリオは関係ないんだっけ?)が、その後の失敗続きの映画製作をなんとかしたいため、もう一度相米監督に映画を撮らせて、金を儲けて赤を挽回したかった、その為に作らされた映画ではないだろうか?そういった金儲けビジネスの延長線上で、相米監督は自分の意志とは別の流れに押されて揉まれて、渋々監督を受けて、それでこの作品を作ってしまったのではないだろうか? まだ若かった頃の相米監督は出資会社やプロデューサーに反することもできず、煮詰まらぬ企画をやっつけで作ってしまったのかもしれない。

●中学生の仲間が誘拐された同級生を救いに行く、そこには麻薬密売、ヤクザ、拳銃などに今で考えても中学生とそんなものを結びつけられんだろうという設定。ましてやそんな中学生がヤクザ相手に同級生を救いだせるか? その救い出しまでの流れも目茶苦茶というかもう訳が分らぬと言った方がいい。登場人物のキャラクターも、話しの筋も、展開も、なにも煮詰められず、考えられず、思い付きで出たストーリーを思い付きで都合の良いように繋げて、目茶苦茶な演技の新人に下手な演技をさせて、なんら意味のない作品を作ったと・・・そうとしか思えない。

●唯一つ、砂粒のごとき小さな価値があるとすれば、2年後の1985年に相米監督が撮影した「台風クラブ」に通じる中学生の周りのことなど何も考えずただ思ったことをそのまま行動にして突っ走ってしまうあのピキピキとした若さ、そいうものはほんの少しだけ若い新人俳優の演出に見い出せる。「ションベン・ライダー」に価値があるとすれば「台風クラブ」に繋がる弾けた若さのエネルギーを表現しようとした監督の試行錯誤の発端という点であろう。良い意味にとってであるけれど。

●「台風クラブ」自体も自分はあまり好きな作品ではないが、特殊なものは持っていた。

●無き監督をあれこれ言うのはなんだが、時代の流れの中で歴史に残る(名作ではないけれど)一作「セーラー服と機関銃」を撮影してしまったがために、相米監督はその後もやたらとメディアに取上げられてはいたが、こんな作品を観てしまうと、相米監督には、癖はあるが監督としての才覚はあったのだろうか?と疑問に思えてしまう。 

●40歳という不惑の歳を越えてからの作品はヒットこそしていないが、そこそこ纏まってきているとも言われている。時間があれば「東京上空いらっしゃいませ」や「お引っ越し」そして晩年の作品も観てみたいと思う。だが、やはりまだ30代中盤で撮影されたこの「ションベン・ライダー」は名作などという声もあるようだが、唯の癖の強い癖だけで作ってしまった作品だとしか評価できない。少し良くなったといえど「台風クラブ」も自分にとっては同じ流れの中にある。

●今改めて昔の監督の古い作品を観ているが、好みや嗜好というものがあるとしても、今に通じる昔の監督、作品というのは非常に少ないと思う。今村昌平は今にも通じる強烈さを持ってはいるけれど・・・。