『魔性の夏・四谷怪談より』(1981)

鶴屋南北の「四谷怪談」映画化
監督:蜷川幸雄
萩原健一夏目雅子関根恵子森下愛子と随分と豪華なキャスト。

四谷怪談の怖さとは、幽霊になったお岩の怖さというゆうよりも、人間の醜さ、おぞましさへの怖さ。お化けの不気味さ、怖さというより、人間の”怨念”という人間には抗いようも逆らいようもない不定形の強烈な力に対する怖さ。

●『リング』『らせん』の怖さもTV画面や井戸から出てくる貞子の姿よりも、貞子の持つ怨念の怖さが観る者を心の底から怖いと感じさせるものだった。怨念は物理的に防御することも排除することも、遠ざけることも出来ない。どうやっても抵抗できないものだから、心底怖い。

●と、いいつつもお岩の髪が抜け落ち、顔がひび割れ、闇の中に浮かび上がるシーンや、殺された人々が穴のなかから這い上がってきて、伊右衛門を穴に引きずり込もうとする場面はやはり背筋に悪寒が走りぶるぶると来る。

●観念的、感覚的怖さに視覚的な怖さが相乗効果として加わる。それが四谷怪談の怖さ、不気味さ、日本の怪談話の定番中の定番たる所以か。

●今更怪談物なんて古いだろうと思って観たが、やはり怖いな。怖い上に不気味だ。

●小学生位の純真な子供がこれを観たら怖がるか? 男と女のどろどろ部分など子供にはふさわしくないシーンもあるが、お岩が出てくるシーンはやはり怖がるだろう。中学生や高校生位になったらどうだろう? 今のホラーは突然出てきてびっくりさせるという手合いばかりだから、こういうジワッと感じさせる怖さにどう反応するのだろう。全然怖くないよとか言うのかもしれない。斬新だと思うかもしれないけど、古臭いと言うかもしれない。

森下愛子(1958)、関根恵子(1955)、夏目雅子(1957)と三人の女優の年齢はほとんど差が無い。皆20代の若さピチピチの頃。しかし今の20代の役者とは全然ちがうどっしりとした演技の安定感がある。三者三様の個性と美しさだが、お岩を演じた関根恵子のまったくふらつきのない演技は凄い。今の20代の女優でこんな演技が出来る人がいるだろうか? 森下愛子は役柄もあるが、ちょっと軽くてちゃらちゃらしているか? 体の中から漂ってくるような演技ではない。他の二人に比べると見劣りする、いや他の二人が凄過ぎるのか。

夏目雅子はホントに美しい、色香が漂い、官能的、エロチック、脇役ながら発している光線は登場人物の中で一番に強い。まだ23か4だというのに改めてその凄さを感じる。この魅力的な光線の強さは、余りにそれが強過ぎて観客の目をお岩や伊右衛門よりも、そでに振り向けてしまう。それはキャスティングとしては良くない。メインで飾った絵よりもその隣のテーブルに置いた花のほうが人目を引いてしまってはいけない。その位夏目雅子は凄い。恐ろしい女優がかって存在していたのだなと改めて痛感する。

●夏は幽霊、怪談、お化け屋敷というのは感覚はかなり薄れてきている。お墓と幽霊はやはり夏のお盆の季節、怪談も夏の定番ではあるけれど、エアコンが普及して涼しい部屋で夏を過ごすようになって、今の夏は怖い話にぶるぶる震えて暑さを凌ぐというわけでもない。今年は節電節電でエアコンを使うのも遠慮がちだから怪談も多少は効果があるかもしれないが、今はこういった怪談に感じる怖さそのものも昔から比べれば相当に少なくなっている。都会の夜は明るいし、人も多い。真っ暗闇で人の気配もない、草木のざわめきぐらいしか聞こえないような田舎の山の中の一軒家とかでなければ、幽霊が出てくるような気持ちもしない。もっとも、そんな場所に行ったら、怪談なんか観なくても、家の外の真っ暗闇を見るだけでなんだか怖くてぶるぶる震えてしまう。怪談とか幽霊というのは、正体が分からなくて、はっきり見えなくて、なんだか分からないから不気味なのであり、怖いのであり、ありとあらゆる物がはっきりくっきり見えるようになった今、不気味さ、怖さという感覚も相対的に減少しているのだろう。

●怪談噺ではもう一つの定番である番町皿屋敷四谷怪談に比べると映画化されている回数も少ない。

蜷川幸雄が監督した映画はどれもこれも今一つパッとしないし、際立って個性的でもない。どれもこれもそつなくまとまっている感じであり、そこまでであってそれ以上が無い。