『胡同のひまわり』(2005)

●胡同(ふーとん):北京市の旧城内を中心に点在する細い路地
●2000年以降の中国映画はハリウッドに追いつけとばかりに、その模倣だらけ。国家にコントロールされた作品ばかりが量産されるようになり、以前のような味わい深い作品が殆どなくなてしまった。だから、暫く中国映画は観ていないかった。
●親と子の再開と確執を軸にしているが、文化大革命収束後の中国の歴史をなぞりながら時代の変遷を表している。
文化大革命、明治、昭和、終戦前までの二回の戦争。
・1976年 中国 唐山大地震
・1976年 毛沢東の死
・1985年 蠟小平、笹川良一会談

文化大革命に翻弄された父親がつぶやく「時代が悪かった」そんな言葉しばらく聞いてないな。中国の目が光った状態で作られたこの作品中である意味文化大革命を非難するこんな言葉が出てくるというのは驚きでもある。《文化大革命は中国国家の礎を作る偉大な事業だった、だがこれからの中国の発展においては文化革命は過去のものでしかない》そんな中国共産党の思惑が滲んでいるのか。

●大学生になったシャンヤンが見初めた女性がスケートをするのーンは美しい、素敵だ。氷の上の光の輝き、光線の具合、見事だ。

●絵とも言える美しい映像。凍った川、逆光を多用したシーン。構図が素晴らしく美しい、上等な絵画になっている。

●光線の使い方、光のあてかたの良い映画は作品としても良い映画であることが多い。そんな方程式がこの作品にも当てはまる。

●父親役ガンニャン(スン・ハイイン)が名演

●中国、台湾、香港、韓国などの映画に必ずと言っていいほど出てくる、えぐいシーン、えげつないシーンがない。

●あり来たりな、薄っぺらな展開になっていない。単純素朴な話なのだが、その実、極めて深いところまで手が伸びている。考えが奥深くまで浸透している。何気ない映像を連ねた中に、深淵な情と哲学、その思いを見事に練りこんでいる。


●展覧会の部分までは予想できたがその後の展開は全く予想外。静かで美しく心揺さぶる話に急展開する。

●今までの人生を振り返り、自分のために生きていかなったことに気が付き、自分のために生きてみようと決めて家族の元を離れる老いた父親。それこそが文化大革命から始まる過去の中国を捨て、本当の自分探しを始めようとしている中国の姿だろうか。父親は過去の中国、これからの中国を象徴する暗喩になっているかのようだ。

●最初と最後に生命の誕生を持ってくる構成の巧みさ。

●玄関に置かれた向日葵が全てを物語る。太陽に向かって咲き続ける花。それは中国という国家か? 共産党という政党か? それとも今はそれらに支配されつづけているけれどいつかは本当の自由を掴み取ろうとする人民か?

●今の中国の非民主的、非人道的な体制、組織、内情を考えれば、夢や望みを語る全ての思想、文学、音楽、映像は皆、反体制、反中国共産党と言える。(強欲な守銭奴的な夢や理想は別物)

●太陽に向かって咲く向日葵。若い世代、産まれた子供たちの希望。それはこれからの中国の希望を表しているのか、それとも現在の中国に対する反旗か。どちらと捉えることも可能だ。

文化大革命下放され、人生を翻弄され、子供のことばかりを考え自分を忘れて生きてきた父親が、自分のために生きようと家族の元を離れ一人出てゆく。尊敬されるべく振るまい、子の未来を思い続けてきた父親は子から否定され、確執は取り除けないほどの深い溝となる。そして子供が成長し、新しい家族を持ったとき、父親は自分は間違っていたと気が付き一人旅立つ。

●父親は毛沢東であり、子は現代中国の青年達とも取れる。偉大なる建国の父とされた毛沢東文化大革命という大虐殺、粛正、思想教育、洗脳で若者と国家を自分の思う通りの存在に仕上げようとしたが失敗した。表面的には建国の父とされながらも、今人民の間で毛沢東の数々の所業は否定され、毛沢東思想を押し付ける国家を若者の心は否定しはじめている。

●この映画で描かれている一つの家族、父と子の物語は、そのまま中国という国の今に繋がる歴史をなぞり、失った自分自信を求めて去って行く年老いた父親はこれまでの中国であり、過去の指導者達であり、自由に生きようとする息子、新しく生まれた子供、太陽に向かって咲く向日葵ははこれからの中国。過去の間違いを見つめ正しい方向に進まなければいけない、そんなことを暗示しているかのようでもある。

●捉え方は自由だ、なんとでも解釈できる。しかしこの作品は過去を分かち、これから発展していくであろう中国を賛美しているようにも、同じく過去を分かち、否定し、これから中国は今までとは別の本当に民主的な道を進まなければならないのだと現体制を否定しているかのようにも見える。

●しかし、今の中国とその指導部は民主化の動きを抑え封じ込め押し潰す事により、これまでの体制をなんとか維持しようと躍起になっている。

●はっきりと表現せず曖昧なままにしてあるが、この映画は中国を肯定しこれから伸び続けようと現体制を賛美しているようにも、それとは逆にこれからは今までの中国ではなくもっと明るい未来へ、民主主義が根付く本当の人民の為の国家へむかっていかなければならないのだと叫んでいるようにも見える。国家のコントロールの下で撮影さら、検閲され、編集された作品に巧みに二つの顔を同居させている、ばれないように。この映画を作った監督の心はどちらにあるだろうか? きっとそれは後者であろう。

●名作と呼ばれべき一本だと感じる作品だ。