『チベットの女/イシの生涯 』(2000)

原題: SONG OF TIBET

日本公開2003年1月15日

●イシとギャツオが夫婦になるまでの話は『グリーンデスティニー』に非常によく似ている。身分の設定などの違いはあるが、これはチベット版『グリーンデスティニー』かと思ったほどだ。製作年度ではこの作品の方が一年早い。監督はシェ・フェイ。

●無頼漢の騎馬民族が中国の女を奪い、草原に連れ出し、抵抗をうけながらもだんだんに情を交わし、体を重ねて愛し合うようになる。これは中国映画の一つのパターンか?

チベットの風景、ラサの街並み、寺院、僧侶の姿などに厳粛さ、荘厳さ、崇高さといった今までチベットに感じていたものが、チベットのそこかしこに鎮座する神仏が放つ神々しさが感じられない。激しくも静かに響くチベットの胎動、鼓動が映像の中では停止している。チベットを映している映画なのにチベットに思えないのだ。

●外国人の監督が東京を、日本を撮影すると、なにかいつも日常的に自分たちが感じる日本ではなく、アジア、香港、中国の街が映し出されているように感じることが多い。同じことがこの映画にも当てはまる。中国人の監督が撮影したチベットは中国の田舎、中国の街的であり、これまで感じていたチベットの空気感と違っている。この映画に映し出されているチベットは強圧支配を続けている中国人の目から見た中国色をしたチベットであり、本当のチベットの姿とは違っている。これは、チベットの文化、人、生活、そこに流れる脈動が無い、中国というフィルターで濾し取られた表面だけのチベットなのだ。

●映像からうけるこの印象が映画をどんよりと支配している。この映画は中国の領土拡大、侵略の政治的意図をものの見事に反映し、中国の強制支配者側の考えでコントロールされ、作られた映画ではないか、映画に漂う空気がそれを物の見事に現している。

●話の内容的にはそういった部分は見えないようになっているが、この映画をチベットの国民が観たらどう思うのか「これは本当にチベットの姿ではない」そう呟くのではないか。寝床の上にこれ見よがしに飾られた毛沢東肖像画。こんな小さなシーンにさえ肩を震わせる人たちがたくさん居るのではないか。

●政治的な話ではなく、映画その物としてもこの作品のストーリーには疑問符が多い。

●初恋の僧侶、荘園の旦那、自分を略奪した行商人の頭と、その都度、その都度、あっちを愛してこっちを愛してと描かれているが、これではイシはただご都合主義で生きるためあちこちの男にしがみついている愚かで悲しい女だ。結局イシは誰を愛したのか、誰に愛を貫いたのか。これでは誰も愛していないというお話になっているではないか。結局イシには真の愛などどこにもなく、生きるために男を取っ換え引っ換えして、自分を生かすために男にしがみついて人生を送ってきた貧しく悲しい女にしかなっていない。

●ラストで「イシは幸せな生涯だった、人を心から愛し、愛された、愛は永遠のもの」なんて締め括りをしているが、なんなのだろう、この超ご都合主義的な語りは。ちょっとそれはないだろうという感じだ。そんな愛などこの映画のどこにもない。この映画は愛したり、愛されたりする男と女などどこにも描いていない、ただくっついたか離れたかというだけだ。

●なんとか一人の女性を巡る大河的な話を作り上げようと、話を無用に捏ねくり回した脚本が捏ねくっただけで一本の話の筋としてのまとまりも筋も客観性も失い、独善的で理の通らぬ愚かしい話になってしまっているのだ。

●反中国的な感情、政治思想がなくても、これは酷い映画だ。

●ラストに近付くにつれて映像が美しいものも出てくる。ポタラ宮と朝日に染まる山並が、この映画の中出てきた唯一チベットらしき風景であった。

●中国のシェ・フェイ監督は北京電影学院で副学長を務め、チャン・イーモウ等、第五世代の監督たちの教官でもあったということだし、ベルリン国際映画祭グランプリ、モントリオール国際映画祭監督賞を受賞などで中国映画界の巨匠という地位にあるということだが、この映画は強圧支配を強めていた中国が支配者側の立場と目で撮った、チベットを中国化した映画と言えるだろう。おそらく共産党指導部の徹底したコントロールと、彼らに気に入られるようにして作られた一種の政治誘導映画であろう。いやひょっとしたら中国人監督がこういったチベットを題材にした映画を撮ることで反中国のチベット人民意識をなだめようと言う意図があったのかもしれない。

●しかしそれはきっと逆効果にしかならなかっただろう。この映画を観たチベット人は目を細目、劇場の暗がりのなかでこの映画をしたたかに冷笑していたのではないだろうか。

●この映画撮影当時から激化していたチベット独立、中国支配に反対する運動は激化し、遂に「2008チベット動乱」が起き、市民や僧侶までが虐殺された・・・・。
http://www.tibet.to/
http://www.bitters.co.jp/tibet/
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=3522