『始皇帝暗殺』(1998)

監督:チェン・カイコー 主演:コン・リー

・中国映画らしさがありありと浮かんでいる。重く暗く汚れてどす黒くもあるが、それもいい意味で。

・映画として作品としての格、信念、心情、情熱、一本筋の通ったものがある。ただただ受けとヒットを狙ったような演出や脚本作りの今の中国映画とは別格と言えるだろう。

・中国映画がよかったのはこの辺りまでか。2000年を超える辺りから猛烈に変化し劣化が始まったのだ、

コン・リーは「SAYURI」以来観ていないな。チェン・カイコーに見出されたコン・リー、チャン・イーモゥに見出されたチャン・ツィー・イー。どちらも可憐なる美形だが、最終的にはどっかの事業家とか大金持ちと結婚してセレブの仲間入りして女優はおさらば。そのほうが楽で優雅でお気楽、悠々自適だろうが、女優業で名を上げたらあとは女優はポイって感じ、結局中国での女優というのはある程度の地位しかないし、大金持ちの懐に入って楽な暮らしっていうほうがいいのだろう。その意味で中国の役者は心底役者に打ち込んでいる訳でもないんだろうと思える。階段をのぼる一つの手段としてとらえている。

・いかにも中国的な泥々感。それは映像と演技の重厚さとも言えるのだが、やはりこのどろどろと粘着し怨念深く、人間の根っこにある意地汚いような雰囲気は中国映画独特だ。

・一時期の中国映画ブームがすっかり影を潜め、ここ数年は公開される中国映画もあまり話題にさえならない。ひっぱってくる配給会社も小さいところばかりだから、大した宣伝もしていないのだが、中堅会社も今の中国映画は日本にもってきてもダメと判断しているのだろう。

・ハリウッドの流行、日本のドラマや韓国映画の典型的ラブストーリーを模倣したような中国映画には中国本土での受けはあったとしても海外で人を動員するような力はない。それはいってみれば海外で全然ひっぱられない邦画と同じ。

・90年代初めまでかな?中国映画が独特の個性、色彩をもち、その特別性で海外においても文芸作として認められていたのは。今の中国映画は定型化された大衆受けの型にはめられた俗物映画であるともいえる。

・チャン・イーモゥの『HERO』って、この映画のかなりの部分を参考にしてる。というか焼き直し的でもある。