『ノー・マンズ・ランド』(2001)

●この映画はボスニアセルビアのどちら側に立つわけでもなく、ましてや(名目上)中立的立場である国連軍の立場に立っているわけでもない。戦争を取材するマスコミの側に立っているわけでもない。脚本/監督のダニス・タノヴィッチの視点は争いに関わっているすべての人間を悲しく見下ろすかのような場所にある。文学的な言い方をすればダニス・タノヴィッチの視点は神の視点だ。

●どんな仕事、業務、立場であれ、戦争に関わっている者は皆愚か者だ、愚かな人間だ。監督はそんな思いでこの作品を作っているのではかなかろうかと思う。

●映画を観ていればそれは明らかで、ボスニア人、ボスニア軍幹部、セルビア人、セルビア軍幹部、そして両方の兵士、国連軍の幹部、兵士、TVキャスター、全てを諧謔的に小馬鹿にしている。これはブラック・ユーモアという類いではなく、超絶的に皮肉り、蔑み、見下していると言っていいだろう。監督の視点はある意味、愚かな人間に絶望している虚無主義だとも言える。

●何気ないようでありながら実に細部まで練られ、考えられた巧みな脚本だ。巧みなセリフと行動で、登場する全ての人間が、どちらの立場、どんな職業、どんな役職であろうとも、全て愚かだということを炙り出し、見事に演出している。

●ジャンプ爆弾を背中に仕掛けられ身動きすることも出来ず、放置され捨て去られ一人塹壕に取り残される男の姿はまるで『ジョニーは戦場へ行った』で四肢と目、花、口、耳、全てを失って思考する意識だけで生きているジョニーに見える。そう、この映画は『ジョニーは戦場へ行った』や『西部戦線以上なし』に伝わってくる感覚が似ている。この二つの映画の現代版、同じ流れの中にある反戦争映画と言ってもいいかもしれない。

●とどのつまり、戦争の愚かさ、それを起こした人間の愚かさ、悲しさがテーマだということだ。

●『俺たちの悲劇がそんなに儲かるのか!』『世界中がクソだ!』二つのセリフが心に残った。

●世界的な大戦争はないけれど、小さな国で、民族で、争いはあちこちで続いている。大きな国が小さな国を痛めつけ、小さな国の人が殺されていく争いも、ずっと続いている。

●現代の戦争を描いた秀作と言っていい。