『鬼が来た!』(2000)

英題/原題:DEVILS ON THE DOORSTEP/鬼子來了

●2000年のカンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ受賞

●よくありがちな日本軍の蛮行を描いた作品かと思っていたのだが、まるで違った。蛮行は描かれているがそこに監督の視点があるわけではない。

●監督の視点は人間の弱さ、悲しさ、であろうか? そして人間の愚かさということであろうか?

●戦時下における日本軍の中国占領、その占領下の中国人、そして日本軍を中国人の監督が描けば、どうあっても日本軍を非難し、中国人が日本軍によって受けた蛮行を告発するような作品になる・・・と思うし、占領された側の国民からすれば意図せざるとも反日的な感情がストーリーに、演出に、フィルムに滲んでいくことだろう。だが、この作品にそういった感情は滲んではいなかった。作品から滲みだしていたのは中国人でも、日本人でも、軍人でも、一般市民でもなく、占領した側、占領された側でもなく、殺した側、殺された側でもなく、どちらの側でもなく、個としての人間が見た、人間の愚かしさへの悲しみ、嘆き、虚しさであった。

●この監督の視点は、なんだか高い空の上から人間の愚かさを肩をおとして見つめている仏陀のようだ。「お前たちははなぜにそんな愚かなことをしているのだ」と悲しい目をして空の上から見つめている仏様。中国の側でも日本の側でもなく、もっと大きな”人間”という範疇で監督は作品を描いている。戦争と日本軍の蛮行は監督が人間の愚かさと悲しさを描こうとしたその背景であって主題ではない。中国人の監督が日本軍占領下の中国を描きながらも、監督の目はもっと広く、もっと大きく、人間の愚かさと悲しさに向けられている。

●監督の視点から見れば、日本軍の蛮行も、中国人が自ら助けた日本軍兵士に殺されるというエピソードも、人間の愚かさを表現する絵具の一つであり、それがテーマではない。

●この監督がこの映画で表現し、伝えようとしたことは、諸行無常、人間の悲しさ、愚かさ、儚さに深くため息をつき嘆く仏様、その教え・・・ではないかと思ってしまう。

●描かれているモノからすれば、この映画は反日映画であり、戦時下の日本軍の蛮行を告発する映画という範疇に入れられてもおかしくはない。だが、この映画にそれこそ『靖国』のような反日映画だ、上映反対だという動きは少なくとも自分の知る限りでは起きなかった。それはなぜか? カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ受賞という箔がついたからか? そうではあるまい。この映画を観た人が、この映画に“反日”的な意図、作為を感じなかったからではなかろうか? 監督の思想は映画に乗り移る、スクリーンから観る者に語らずとも伝わる。この映画は反日的なシーンは多々あれど、それが反日を意図したものではなく、この監督は中国側でも日本側でもなく、どちらかに偏向した立場ではなく、フラットに人間の悲しみを描こうとしているということが観客にも伝わったから、妙な反対運動などがおこらなかったのだろう。それは『靖国』に対する動きとは驚くべき違いだ。

●観る側は作る側が思っている以上に鋭い。そして正直だ。監督の浅はかな小手先のごまかしなど観客は直ぐに見抜いてしまう。監督や作品の浅はかさやいい加減さ、都合のよさ、誤魔化しも観客は直ぐに見抜く。『靖国』は意図も簡単にそれを見抜かれた。『鬼が来た』は見抜くまでもなく、作品にそういった不純物が混じっていなことが観客にもわかったのだ。だからこの作品は静かに受け入れられたのだ。

●中国では最初の検閲らしきものをスルーしたということで、未だに上映禁止、ソフトなどの発売も禁止らしい。それはたぶん当局にとってはもっと反日色の強い作品であるべきだと考えるのに、この映画に反日色が薄く、占領された中国人の側も含めて人間の愚かさを描いているから、却って腹立たしいのではないか? だから中国の当局者にとって、この映画は気に食わない映画なのではないか、と思う。作品の質とは別のところで「日本軍の蛮行を描くならもっと徹底的にやるべきだ、それなのになんだこの映画は、日本を非難するどころか傍観しているではないか!」という思惑があって、この映画は中国で上映禁止にされているのではないか?

●想像以上に作品の質は高く、そして根本に流れる思想には仏教哲学的なものを感じる。人の哀れとでもいうべきだろう。

●全体を面白おかしくジョークで脚色している点は、シュールレアリズムにおける諧謔に通じる。

●白黒映像の美しさ。逆光の多用と浮かび上がる埃に粒とその反射。少々コントラストが強すぎる気もするが、久しぶりにモノクロ映画の美しさを感じた。黒澤明作品を彷彿させる。

●香川は最初高圧的な日本軍人、傲慢で尊大な日本軍人をを見事に演じている。が、後半になるといつもの情けないオヤジにかわってしまっている。ちょっとこのギャップが違和感あり。香川の存在自体が諧謔なのだけれど。

●旧帝国軍人というのはまさにこういう感じだったのだろ。その描き方は日本人から見ていても違和感はなく、たぶんこんな感じで、こんなことを堂々としていたのだろうなと妙に納得してしまうものだ。よくぞここまでしっかりと日本軍人の姿を悪態を描いたものだと感心してしまう。

日中どちらにも偏らず、作品として自ずから立脚している

●監督の視線の先にあるの「悪い人間はいない、みな悲しい人間なのだ」ということかもしれない。

●自分を助けた者を自分で殺さなければならないこと。その矛盾、苦悩。このような話はキリスト教でも哲学でも昔話などでもよく出てくる。やはりこの作品は根本に宗教性、哲学性がしっかりと横たわっている。

●『アラビアのロレンス』でロレンスが砂漠の中から救い出した少年を、自分が射殺することになったシーンが思い出された。

●監督・脚本: 姜文チアン・ウェン)・・・中国人側の主役も兼ねて出演している。ヒゲを生やしているところもあるせいかもしれないが、なんだかこのダメオヤジ具合・・・中村義洋監督に雰囲気がめちゃくちゃ被る。『松ケ根乱射事件』に出演していた中村義洋監督のダメオヤジの雰囲気とあまりに似ている。

●想像以上にクオリティーの高い、深い思想性、哲学性を持った作品であると思う。もう一度しっかり観直す必要がありそうだ。

●日本軍人は中国で日本鬼子(リーベングイズ)と呼ばれていた。日本軍が行った蛮行を描いた『リーベンクイズ/日本鬼子』(日中15年戦争・元皇軍兵士の告白)・・・これも観てみたいと思っているのだが・・・・・・。