『輝ける瞬間 -コンバット・カメラマン沢田教一の愛と青春-』(1999)

●1999年に名古屋テレビ共同テレビが製作し、12月にTV朝日系で全国オンエアーされた作品。その後東宝よりビデオ化されたTVドラマ。

●1960年台のベトナム戦争は今となっては遠い昔か? 以前椎名誠がテレビで話していたことを思い出す。「あの頃は街で若者にインタビューし、あなたはベトナム戦争をどう思うか?と問いかけると、若者は熱く自分の考えを語った。だが、今そんなことを街を歩いている若者に聞くことは出来ない。あの頃は社会全体が自分達の置かれた状況に意識を持っていた、変えようとしていた。今そんなことを語ると逆に不思議な目で見られる」と。

●日本人とベトナム戦争の関わりということになると、自分自身も戦場カメラマンのことが真っ先に思い浮かぶ。そんな中でも一之瀬泰三と沢田教一の二人の印象が強い。

●一之瀬泰三の生涯は「地雷を踏んだらサヨウナラ」として何度か映画化され、テレビ・ドキュメンタリー番組もいくつか作られている。そして同じように沢田教一に関しても・・・・。

●なぜベトナム戦争の場で写真を撮り、そして戦場で死んでいったカメラマンがこんなに注目され、その生涯が映像化されるのだろう?日本人とベトナム戦争。イメージとして結びつかないのに、その戦中に飛び込んだ若いカメラマンの生き方が、同じ日本人として、眩しくもあり、傷ましくもあり、そして日本人の中で特殊であるから、時を経ても人はそこに何か今に無いもの、自分に無いもの、そういったものを見てしまうのだろうか? 彼を見るがわからすれb

●作品中で語られる「戦争カメラマンは戦争という悲劇、人が殺されることをネタにして名を売ろうとしている」という言葉が重く難しい。確かに沢田にしても一之瀬にしても、キャパにしても、戦争で人が殺され、人が人を殺し、そこで苦しむ人をフィルムに納めることで金を稼ぎ、名を上げた。「戦争カメラマンは人の悲劇を餌にしてのし上った」と言われると・・・確かにそうだとも言える。だが、その写真によって悲劇は世界に伝えられ、反戦の機運も高まったということも事実である。どちらをどうとればいいのか、悲劇をネタにすることによって悲劇の真実が伝わった。戦争の無意味さ、愚かさ、悲惨さを訴える姿勢をとりながらも、実はそれで金を稼ぎ名をあげた。戦争カメラマンという職業は”二律背反””絶対矛盾的自己同一”といえる存在とも言えてしまうのだ。

●だが、全てにおいて完全なる善など人が持ちえるはずもない。真実、自分の行為に対して片方の目を敢えて瞑ることもしなければ、理想主義を語も語れない。写真を取ろうとした発端が戦争と悲劇を利用した名誉欲であったとしても、沢田教一の撮った写真を、その写真だけで見つめるならば、そこには悲しさ、悲惨さ、悲劇がしっかりとフィルムに焼き付けられている。そしてそれを見た人は心を打たれる。そして戦争の悲惨さとそこから生みだされる悲劇を、戦争を行う愚かさ、恐ろしさを知ることになる。そして戦争に対する反意を必ず心に湧き上がらせることになる。

●そうした沢田教一の姿をTV局が映像化するということは、報道という役も持ったTVという場で仕事をする人の中に、やはり戦争でその悲劇を伝え続けた1人の男の生き方、考え方、姿勢に対する羨望、憧れなどがあるのではないかと思う。

●現地ベトナムまでロケ班を送り、爆発シーンや戦場で銃弾が飛び交うシーンを撮影しただけあって、映像にはTVとは思えない迫力と、空気の中に籠もる熱帯の暑さまで感じられる。一地方TV局がこれだけ力を入れて1人の戦場カメラマンの姿を追った番組を作ったというのは非常に特異なケースである。きっと誰か局の中に「沢田教一の生き方を伝えた」と強く思う人がいたのだろう。

沢田教一という人間の半生を駆け足で追ったようなドラマではあるが、TV局としては異例とも思える力の入れ方で見応えはある。前述のように戦争カメラマンが戦争をネタにして名を上げようとしたという部分に踏み込んだ所はピューリッツアー賞などの業績だけを捉えるものではなく、視点として真剣さが伺える。

●『輝ける瞬間』というタイトルであるが・・・・このタイトルには微妙に違和感がある。沢田の生き方、その姿、撮影した写真に憧れ、羨望のまなざしを向ける側(このドラマのプロデューサー、脚本家等)からすれば、沢田の半生は自分の情熱を燃やして戦場をとり続けた輝ける生き方として目に映るのかもしれない。こんな風に生きたいと思うのかもしれない。だが、自費でベトナムに飛び込み、ピューリッアー賞という栄誉まで受けた沢田教一の生きていた日々は、戦争カメラマンの在り方と、戦争写真の捉えるもの、自分がカメラを向けるものの間で悩み、悶絶し、苦悩した半生だったのではないだろうか? 

●彼を見る側からすれば彼の生き方は輝いていたと捉えられるかもしれない、だが、このドラマの中のどこを沢田教一の輝ける瞬間と捉えるのだろう。ピューリッツアー賞を受賞した時、その時の彼は輝いていたかもしれない。しかし彼の中でその輝きは次第に消えていったのではないだろうか?彼は賞を取ること、大きな会社の部長となって仕事をすることよりも、もっともっと戦場でその真の姿を、その悲惨さを撮って撮って世の中に伝えたいと思い続けるようになっていたのではないか? 権威の側からの表彰であるピューリッアー賞も、世の中の賞賛も、有名になったことも、彼の中では一瞬の輝きに思えたけれど、それは本当に自分が心から納得する輝きではなかったのではないだろうか。彼はずっとずっと自分の中に、自分で確信出来る輝きを求め続け、そして銃弾に倒れ死んでいったのではないかと思う。沢田教一の中に輝ける瞬間はまだ訪れてはいなかったのではないかと・・・・・。

沢田教一の死後に出版された写真集に『泥まみれの死』というタイトルの一冊がある。彼の戦争カメラマンとして生きた時間には、決して「輝ける瞬間」があったわけはない。彼の生き方には『泥まみれの死』という言葉の方が真実を表している。戦場を駆け回り、戦争とそこに生きる人間を追い、最後には銃弾に倒れて戦場という野の中で死んでいった沢田教一。彼の生き方、死に方はまさに、泥まみれだったのだ。だが『泥まみれの死』という言葉は『輝ける瞬間』よりも、より気高く、より誇り高い彼の生きた真の姿なのだ。

●『安全への逃避』(FREE TO SAFETY)

ベトナム戦争ではアメリカはカメラマンやプレスが軍と同行し戦場取材を行うことをかなり自由に許可したという。アメリカ政府がとったこのリベラルの殻を被った戦略は、逆にアメリカ自信を窮地に陥れることになる。

沢田教一という人間を追った映像としては、映画『SAWADA〜青森からベトナムへ〜』(1996)。ドラマ『戦場に散った愛の物語』(2004)がある。

●財前はどうもミスキャスト、”沢田教一の愛と青春”とはなっているが愛の部分は映像が少なく、薄いし、青春という部分を描いている訳でもない。銃弾に倒れた後に妻の描写がまったくないというのもタイトルからすればおかし過ぎる。

チャゲアスの音楽も決定的にアンマッチ。