『グラン・ブルーその後、夏の海、思い出』

◎ 夏を前に「グラン・ブルー/グレート・ブルー」関連の思っていること、思い出を全部書き出してみた。ん、全部とは言えないか、まだ色々あるけど、かなりたくさん書いたからこんなもんでいいかな?「グレート・ブルー」は思い出の映画だし、多分これからも何度も繰り返し観る大事な一作だから、いつか思っていることをまとめて書いておきたいと思っていた。

◎ ジャン・マルクバールはジャックと同じでかなりストイックな性格のようで「グラン・ブルー」以降は出演する映画もかなりアート系のマニアックなものに偏っている。最近は映画に出ているという話も聞かないな。「ヨーロッパ」に出た後「Switch」でロングインタビューが掲載されていたが、映画業界にもかなり批判的で尖ったことをたくさん言っていた。ジャン・レノがそれをたしなめていたりしたけど。あ「Switch」どこにいっちゃったかな? 増えて邪魔になった雑誌と一緒に捨ててしまったのかもしれない。もういらないやと捨てたものが後々にまた読みたくなる、これもよくあることだ。

ジャン・レノはハリウッド進出してたくさんの映画出演をし「WASABI」なんてこれまたトンでも映画に出たりして、CMでも良く顔を見たし、あの丸めがねが流行ったりしたこともあった。ここ何年かはあまり目立ってないかな? ちょっと一時期流行りすぎたのかもしれない。

ロザンナ・アークエットは「デボラ・ウィンガーを探して」で監督までしたけれど、インタビューの時に余りにもおかしな答え方と動作だったのでドラッグ中毒じゃないかとか、映画に出演しているときの奇抜な演技もドラッグでラリって出してるんじゃないか、なんて噂も流れていた。彼女も最近殆ど話を聞かない。

◎ ローランス博士を演じたポール・シナーはこの映画の撮影後エイズで死んでしまったらしい。

◎ 主人公ジャックの元となったジャック・マイヨールは、1998年に「グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版」の公開とオメガ社がジャック・マイヨール1998モデルというシーマスターを発売したことに合わせてプロモーションで来日し、六本木にあったCAFE BAR「グラン・ブルー」で記者会見を行った。ちょうどその時、最前列でシャッターを切るカメラマンの頭越しに、遠くからではあったけれど、椅子に腰掛けてインタビューを受けるジャック・マイヨールを見ることができた。もうだいぶ老けて白髪の髪が本当にお爺さんという感じだったけど、この人があのジャック・マイヨールなんだと思ってちょっと感動した。2001年にイタリアの自宅で自殺したという話を聞いたとき、あの時椅子に座ってゆったりと話していた姿が目に浮かんで涙が流れた。

◎ 1988年の「グレート・ブルー」公開からもう22年も経過した。あの頃はキレイだった湘南の海は、今ではものすごく汚くなり、浜辺の海水は茶色と緑色が混じったような色になってとても泳ぎたいなんて気持ちにはなれない。バブルの頃の浜は端から端まで海の家が並び、朝から晩までライブをやったり、踊ったりで大騒ぎだったけど、今じゃ夏になっても半分位は浜辺のスペースが空いている。暑くても、青さなんてどこにもないこの海に飛び込んで泳ごうって気持ちにはなれない。海水浴客も20年前から比べたら相当に減っているんじゃないだろうか? それでも船でちょっと沖にでれば、まだ海は美しい青さを保っているし、沖から眺めていれば眩しい太陽の光線と海のきらめきはあの頃と変わってないなって思う。

◎22年、ものすごい時間が流れた。でも、初めて「グレ-ト・ブルー」を観た日のあの興奮は、まるで昨日のことのように頭の中に思い浮かぶ。良い映画は時間や思い出を風化させない。ずっと輝いたままで側にいてくれる。夏の暑さとギラギラと輝く太陽と、青い海とこの映画は、いつまでも自分の傍らで色褪せることなく輝き続けているだろう。

2011-07-20 『グラン・ブルー/デジタル・レストア・バージョン』これは別の海だ

2010-07-05 『グレート・ブルー』 数あるバージョンの中でこれがベストだ。

2010-07-06 『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』これは完全版ではない!

2010-07-07 『グラン・ブルー/オリジナル・バージョン』

2010-07-08 『THE BIG BLUE』思わずのけ反る程の改悪作品。

2010-07-09 『グラン・ブルーその後、夏の海、思い出』