『ビッグ・ウェンズデー』(1978)

●サーフィン・ムービーの代表作として語られる映画だが、これは単なる波乗り、お気楽サーフィン映画ではなく、青春の葛藤、社会への反発、ベトナム反戦など描いた社会派映画と言うべきだ。

●青春の悩み、暴走、反発、落胆、挫折、恋を描いた秀作としては、作品の色合いは異なるが『さらば青春の光』(1979)と双璧をなす。(製作年度もこの二作品はほぼ同じ)

●最初に観たときはカッコいいサーフィンの青春映画としてしか捉えていなかった。だが、今改めてこの映画を観るとサーフィンは映画のベースであり、そこに盛りつけられている話は実に多彩であり、しかも深い意味をもつものばかりなのだなと気が付く。

●思えばこの映画を最初にTVで観た頃は、ベトナム戦争も、徴兵拒否も、社会での挫折も、青春の終わりも、すべて知識として知ってはいたけれど、それが本当にどういうものなのかという理解は無かった。

●この映画が語っている悩み、葛藤、反発、挫折、落胆という部分は、時間がずっと経過した今になってようやく分かるようになったと言えるかもしれない。

●この映画は
(1)若い頃に青春ど真ん中で活発な頃に観た時。
(2)青春に陰りが見えてきて、もうただ無邪気に遊んでいるわけにもいかないと思える時期に観た時。 
(3)歳をとって社会の裏表も分かって人間として静かに落ち着いた頃に観た時。
それぞれの人生の時期によってきっと印象が少しずつ変化するだろう。

●そして観る度ごとに「前に観た時は純粋に楽しめたんだけどな」とか「あの頃はこんなシーンに特に何も感じなかったのにな」とか「あの頃は何も分かっていなかったんだな」と過去を振り返り、自分の成長と変化、時間の流れ、そして老いすらも感じる映画なのかもしれない。

●映画は観た時の自分の状況、生き方、考え方、人生経験、年齢によって様々に心の中で変化する。この映画は10代後半から30代後半辺りまでの男の人生の流れを実に端的に、的確に描いた青春の指標と言える作品なのかもしれない。

●監督のジョン・ミリアスが「自分たちの青春時代を思い出して作った映画だ」と言っている。35歳の頃に撮影した映画だから、ミリアスにとっては青春と言える時代の最後の頃に作った作品となる。自分の人生経験を素直に映像として描き出しているから、下手に作為的な演出もしていないから、あざとらしさがないから観る側の心に染みてくるのだろう。

アメリカであろうと、日本であろうと、青春というものは本質的に同じなのだということにこの映画を観ていると気付かされる。青春は、輝き、暴走、反抗、批判、諦め、挫折という共通の過程を経て人間を形成する一時期。それは国が違っても人間という生き物に共通した定理なのだろう。この映画を観ていると強くそう感じる。

●ジャック、マット、リロイの三人を中心としたサーフィン仲間は自宅パーティでバカやったり、メキシコで羽目外して危険な目にあったり、無軌道で無謀でこういうめちゃくちゃなことを若い頃にはやりたくなるし、やっちゃうんだよなぁと観ていて羨ましくなったり、気恥ずかしくなったり。特に自宅パーティのシーンは笑える。

●海辺のサーファー達が思いきり女の子を抱き寄せてバカやってふざけてる姿を観ていたら、邦画の『八月の濡れた砂』 (1971)や『太陽の季節』(1956)・・・これはちょっと時代がズレるが。を思い出した。定番的に葉山、湘南、ヨット、海、女、パーティ、セックスなんてことを描いている邦画で「ビッグ・ウェンズデー」と同じように海辺の若者の生態? を描いているのにこの2作品は非常に暗い。女の子たちと遊ぶのもやっちまいたいからというベースの上に描かれている。海辺の青春を描いているのに全く明るさがない、爽やかさがない。青春の悩みや葛藤を描いているとしても全部それが内側に向かってジトジトと鬱積している。海辺の若者の青春群像を描いた!なんて言われているが、その描き方は「ビッグ・ウェンズデー」とは雲泥の差がある。海、若者、青春を描いていてもアメリカ、カリフォルニアと日本という土壌の違いは大きいだろうが、カラットして外向的で爽やかな「ビッグ・ウェンズデー」に比較して邦画は暗く陰湿だ。『八月の濡れた砂』や『太陽の季節』は原作者の青春も映画と同じようにジトジトして陰湿だったのだろう。この青春を重ね合わせるような人も多分同じ。こんな映画が当時の日本で青春映画だなんて言われていたのは、日本自体も暗く閉塞して陰湿だったからかも? 『ビッグ・ウェンズデー』明るく爽やかな青春と比べると『八月の濡れた砂』や『太陽の季節』の青春は卑下て捻くれて陰湿なミジメな青春だ。こういう邦画がもてはやされていた時代には戻りたくないものだ。

ベトナムから還って来たジャックがボードに乗って海に漕ぎ出すシーン好きだ。水を掻くジャックの手と飛び散る水の色、光り方を見ると夏の暑さと冷たい水の感触が体に湧き上がってくる。この映画の映像は"夏の暑さ“や"夏のにおい”"夏の肌触り“"夏の空気感”までを映像に写し撮っている。

○海を描いた映画は数多くあるけれど、こんなに夏の輝きを感じられる映画は他にない。こんなにも夏の海のきらめきを、夏の空気までを伝えてくれる映画は他に無い。(海水のべとつき感までも感じてしまう)

○大事なのは発色の良さだとか、解像度だとか、輝度だとかそういうものではないそこにある空間そのものを写し取ることだ。この映画のカメラマンは小手先の美しさに走った映像ではなく写真のようにシーンを撮ったのではなく、夏の海“そのもの”をフィルムに写し取っているのだ。優れたカメラマンには、映画には、フィルムにはそんな芸当が出来るのだ。人間の感情や心の動きまで感じられるシーンがあるように、ビッグ・ウェンズデーには“夏の暑さと輝き、夏の太陽を受けた海の輝きそのものがしっかりと写し取られている。

○ジャックがボードを漕いで海に出ていくシーンを見ると、いつでも“あの夏の感覚”が心に湧き上がってくる。この映画の中で本物の夏を感じさせてくれる素晴らしいシーンだ。

○時代背景は1962年から約10年間となっていて、2時間の尺の中で思った以上に時間が素早く流れている。ややもすればぎくしゃくし、話の流れが理解しにくくなる可能性もあるのに、実に巧みな編集でストーリーはなめらかに繋げられている。カットや編集を意識して観ていてもこの映画は非常に面白いし為になる。

○台詞で多くを語らず、説明せず、映像で登場人物の感情を表現しようとしているところが非常にいい。ベトナム出兵前のジャックが一人海に入り、一人何かを噛み締め呑み込むかのように波に乗る姿。ジャックの悩み葛藤している心の中がサーフィンをしている姿に映し出されている。最近の、喋って説明ばかりしているような映画と明らかに違う、情緒的な演出。本来映画は映像で語り伝えるものだったはず。この映画には映画的な良さがしっかりと息づいている。

○敢て説明すべき必要のない部分はざっくりと切り取られている。ベア‐が結婚し、その後一文無しになり妻にも逃げられ落ちぶれてしまったいきさつなどは何一つ説明されていない。だが、観る側は「そうか、そうなったんだ」と納得出来る。要らぬことまで説明したり描いたりせず、贅肉はそぎ落とし、観客に感じさせる編集、ストーリーテリング。見返す度に「見事だ」と唸ってしまう。

○海のシーン、はじける水しぶき、水面のきらめきが実に美しく撮影されている。フィルムの状態もよくなかったのかもしれないがDVDの映像は少々古くて、今のレベルから言えば御世辞にも綺麗とは言い難い。しかし、写し取られた映像には明らかなあの"夏の光“と"夏の暑さ”が宿っている。ただ単純に綺麗に撮るだけではこの光と空気感は再現されない。ほんとうの夏に、本当の夏の光を撮影しなければ、そして夏の光を感じ取れる優れたカメラマンが撮影しなければ、映像の中に夏の光を再現することはできない。

○出兵前の送別会で最後に一人がジャックに向かって「テキトーにやれよ」と言っているシーンもイイ。

ベトナムから帰還したジャックが軍服、革靴、サングラスで砂浜を歩いてくる。砂遊びをしているメリッサがジャックを見上げて「アンクル・ジャック! ジャックおじさん」と叫ぶシーンも泣けてくる。頬をふくらませて込み上げる思いを堪えてジャックに抱きつくペギーも良い。今回初めて分かったことだがジャックが海に出て行ったあとメリッサの服にジャックの胸に付いていた勲章が付いているワンシーンに気が付いた。こんな小さなワンカットだけれど、これはジョン・ミリアスベトナム戦争にたいする皮肉であろう。ジャックがベトナム戦争や戦争を否定し、もらった勲章なんか価値がない、要らないと比喩している。

○墓地で戦死したワクサーを語りあうシーンもいい。墓地から帰る時ジャックが「これからは仕事を見つけて、働いて、税金を払う生活をするのさ……つまらん」と語る。グッとくる。青春が終わりかけていることを認めなければいけない、そんな悲しさと諦めが漂う。

○この2時間の映画の中には、その他にも素晴らしい、心に残るシーンは沢山ある。一つの映画の中にこんなに素晴らしいシーンが沢山ある作品というのもめったにない。

○だが、何と言っても、ビッグ・ウェンズデーが打ち寄せてきた浜に一人ボードを持ってむかったマットが、崩れかけた浜の門柱をくぐったとき、両脇にジャックとリロイが待っているシーンがとことんに素晴らしい。このシーンでは言葉は一言も交わされない。何の言葉を交わさなくても三人の間で語り合っている心の声が聞こえてくる。なんて素晴らしいシーンなんだろう。その後、三人が並んで砂浜を堂々と歩いていくシーンのなんと気持ちのよいことか。

○この映画は単なるサーフィン映画ではないから多くの人に好かれている。男同士の友情を、恋愛を、夢を、こんなにも眩しく優しく温かく描いている映画は他にない。だから男性、女性、年代に関わらず、多くの人がこの映画を愛しているのだ。だれしもが抱きしめたくなるような青春のあの甘酸っぱさ、寂しさ、悲しさ、懐かしさ、そういったものがこの映画を見る度に蘇ってくる。
素晴らしい映画だ!

○今はもう変わってしまったけれど、1990年頃の新島羽伏浦は"ビッグ・ウェンズデーの浜辺"にそっくりだった。港から新島中心部を抜けて羽伏浦に向かうと、浜の手前はちょっとした芝生から砂に変わり浜の手前は数メートルの砂壁になっていた。その壁から海を見ると、美しい真っ青な大波がドッパーンっと押し寄せてきていた。壁を下りて浜に出ると美しい砂の浜辺が続いている。振り返って後ろを見たとき「この雰囲気はまるでビッグ・ウェンズデーのあの浜辺にそっくりだ、ここってまるでカリフォルニアみたいだ」って思った。その後浜の入り口は工事され階段が作られあの頃のありのままの浜辺の雰囲気はなくなってしまったけれど、今でもあの時の手付かずの浜を思い出すと、あの頃はよかったなぁなんて感傷に浸ってしまう。

○3年か4年前の夏、茅ヶ崎の海岸に作られた大型スクリーンでビッグ・ウェンズデーの野外上映会が行われた。あの時は本当に行きたかったのに、どうしても都合が付けられなかった。夏の湘南の浜辺で夕方の涼しい潮風に吹かれながら、浜辺のスクリーンでこの映画を観ることが出来たらどんなに素晴らしい体験になっただろう。今でもあの夏の日に茅ヶ崎に行けなかったことを後悔している……。

○毎年のように、夏が近づくたびにこの映画を観る。津波のように高くせり上がり、うねり、襲いかかってくるかのような大波と、その真ん中に浮かび上がる”BIG WEDNESDAY”の文字。このシーンを観ると胸が高鳴る。初めて観た時はまだ、ベトナム戦争も、徴兵拒否も、青春の終わりも、人生の厳しさも、なにも分かっていなかったけれど、段々とそういうことも分かってきた。たぶんこれからは、こんな眩しい時代を懐かしみながら観ることになるのだろう。


○いつまでも心のなかにいつも仕舞っておきたい永遠の名作。

ビッグ・ウェンズデー(原題: Big Wednesday)
公開: 1978年
監督: ジョン・ミリアス
出演: ジャン=マイケル・ヴィンセント/ウィリアム・カット/ゲイリー・ビジー

☆2012年5月22日追記
NHK BSにて夏を前にしてということだろう。ビッグ・ウェンズデーの放送があったので観てみた。
ハイビジョン画質ではなく通常の画質だがBSだから少しDVDよりくっきりしているかな?という印象。この映画がレストアされてブルーレイまたはハイビジョンになったら海はどのくらい綺麗に映るのだろう?なんて思っていたのだが、作品自体の古びた、枯れたような、懐かしい思い出という雰囲気があるので、あまりくっきりはっきり鮮やかな高解像度、鮮明な画質よりも、今のままのほうが懐かしさや甘酸っぱい青春をかんじさせてくれていいんじゃないかな? なんでもかんでもブルーレイがいいってわけでもないかもしれない。映像にときどきでてくる傷やセリフの聞き取りにくさは修正してほしいけど。

・日本語の字幕に関してはDVDとは微妙に違っていた。特に自分が気に入っていた「テキトーにやれよ」というセリフは「しっかりやれよ」みたいなセリフに変わっていた。字幕担当者によって微妙な作品のニュアンスは変わってしまうものだが、今回のBSで放送したものは、どうもセリフから尖ったところや、この時代のサーファーとかヒッピーの自由さ、反体制的な刺々しさが削られ、丸く婉曲な言い回しになっているような気がする。細かく較べてみないと(そういう暇つぶしはもうやる気はないが)わからないが、まあまた再放送があったらBDに録画してちょっとチェックしてみるかな?

・でもやっぱり・・・この映画はいいねぇ。