『告白』

●中島監督は是枝監督と並び今の邦画で”この監督なら観よう”と思う、監督で映画を選べる監督だ。

●原作小説『告白』は第一部と第二部の最初まで読んで本を閉じた。
「読む前に観るか、読んでから観るか」往年の角川(映画)の名科白だが、この作品に関しては読むことを途中で止めた。中島監督の映画『告白』を出来るだけ素で味わいたいと思ったから。

●この作品(原作)は少年法の、法として、犯罪者への裁きとしての重大な欠陥を告発していると言っていいのだろうか? 光市の母子殺害事件を筆頭とする少年事件に関する日本の法、そして悪の法を偽善の皮を被って正当化する弁護士、人権擁護主義者への、人間として甚大な憤り。それが原作の原点と言っていのだろうか?

●たった一人の女性、母親が少年法の悪と偽善の壁を乗り越える。少年法に護られた悪を悪で粉滅する。その姿、それは少年法に対する慟哭の鉄槌と受け取った。

●まさかこんな血みどろで、ホラーと言えるような内容だとは思わなかった。(この驚きは原作を読むことを途中で止めたことが良かったといえるだろう)

●『ひぐらしのなく頃に』のように最初から残忍なホラー映画だと分かっていたら観ることはなかった。大嫌いだからだ、そういう映画は。

●映像のセンスは相変わらず個性的であり、しかも突出している。中島監督のワン・アンド・オンリーの世界だ。

●中島監督はジュリー・テイモアに通じる。だからこそこの斬新な映像感覚でもっと胸のすくような爽やかな感動をもたらす映画を作ってもらいたい。こんな暗く闇が覆いかぶさるような作品ではなくて。

松たか子の演技は確かに秀逸。木村佳乃もベストキャスティング。
(それにしても木村佳乃はなんだかこういう少しおかしな方向に走ってしまったような役が多い気がする。美人過ぎる堅く尖った顔つきがそういう役を呼び込むのだろうけれど、たしかにこの役もベストキャスティングなんだけれど、もっと別な役をやればと思ってしまう)

●犯人Bが狂気に至る様の描き方もシュールで残酷。犯人Bは善良な心があるからこそ、優しい心があるからこそ狂っていく。この少年がぼーっとした目でベッドに座っている様は深刻にぞっとするものがあった。子供なのに押しつぶされそうな悲しさ恐ろしさに耐えるBの姿に、見ている側が震えた。確信犯のAよりもBの姿の方が痛切だ。

●時間を遡る爆発の映像とその瞬間は・・・・絶句してしまう迫力。ここはホラー映画でないのに、それ以上の恐怖、凄惨さを観ていて感じる・・・・そして悲しさも・・・。

松たか子のラストの一言には・・・・息が止まった・・・・この一言が出た瞬間、それまですべての恐ろしさが最高温度に達し、一気に胸の中でグラグラと沸騰した。・・・・この一言に・・・絶句した。そして唖然とし、この作品の恐ろしさをまざまざと感じ、背筋に悪寒が走った。

●TVCMを知ることも、見ることなくこのラストをスクリーンで観ることが出来たことは幸運だった。あのTVCMを見ていたらこれほどのラストの震えは体感出来なかっただろう。余りに残酷な映画の内容を回避しごまかすようなあのTVCMは愚だ。「なにが極限のエンターテイメントだ!」とCMには大いに文句を付けたい。

● そして更に、このCMでエンディングをさらけ出したことは愚挙だ。このTVCMを観てしまったならば、ラストの驚きと恐怖は何十分の一に減じられる。このTVCMを観てしまってから映画を観た人は、可哀相であるがこの映画の最初で最後の一回きりの怒濤の恐怖を、味わうことなく永遠に失う。

●映画を観たあとに再び観るTVCMは怒濤の恐怖が蘇る。TVCMを観てから映画を見た人、観ないで映画を観た人、この差は激しく大きい。

●ラスト30分、映画を締めくくるエンディングに向かって怒濤のごとく恐ろしいストーリーが展開される。スクリーンを観ながら頭の中に『地獄の黙示録』で死を目前にしたカーツ大佐が「horror and moral terror 恐怖だ、地獄のような恐怖だ」とつぶやくシーンが頭に蘇ってきた。

●こういった暗く救いの無い作品は嫌いだ・・・しかし、最初に観た衝撃は激しい。こういった作品は二度と観たくはない、だがラスト30分は、心の中でほとぼりが覚めた頃もう一度観て見たいとも思う。

●中島監督の類い稀なる映像をもっと美しく、爽やかに感動する作品で観たい。こんな暗く救いようのない作品ではなくて。ジュリー・テイモアを凌駕するような素晴らしい映像作品がこの監督なら作れると思うから。


●女子高生がずいぶんと美形ばかり揃えられているが、橋本愛には驚く。完全美人の顔立ちに若くしてこの演技、そしてこの凄まじい死・・・・。
岡田将生はいつも好青年の役なのに、今回はその極めて好青年のイメージをくそ真面目過ぎてバカな役柄に上手く当てはめている。これも巧みなキャスティングだ。


●なんにしても、かなりガツンと来る映画であることは確かだ。キャスティングの凄さ、脚本の凄さ、映像の斬新さ、そして作品の完成度・・・・こんなダークな内容でなければ称賛していただろう。

●必見と言いたいが、映画を観終えて暗く重苦しい気分になることがもうはっきりとしている。



●映画は観終えて爽やかな気持ち、清々しい気持ち、心新たな気持ち、深く考え自問する気持ち、問題意識を喚起されるようなものであってほしいし、そういう映画が好きだ。この映画のように一部はそこに当てはまるとも、暗く暗澹たる気持ちになるような作品は、好きではない、嫌いだ。だが、観て考える価値は確かにある。

●しかし、エンディングに向けてこの映画はどんどんと抱えきれぬほど重くなっていった・・・ヘビーだった。

●『告白』という映画は、観終えた後、グサリと胸に短剣を突き刺されたまま暫く抜けないまま苦しむ。そんな作品と言えよう。

●やはりこの監督は、この作品は・・・凄い。

●とにかく思ったことを吐き出した。これは批評になんてなってないな。取り合えずの感想の羅列。思いついたことの羅列。後日修正する・・・かも? 細かいことを講釈したくなくなった。この映画は映画全体の塊としての強烈さがある。それほどに衝撃を受けたということ・・・・なんだろう。

2010/0616 追記
○教師森口、犯人A、犯人B、Bの母親、美月、良輝、全員がモンスターだ。『CUT 2010/06』で監督は登場人物を誰ひとりとしてモンスターにしたくなかった。人間味を持たせたかったと語っている。だが、主たる登場人物は皆、心がモンスターと化してしまった人間ではなかろうか? だからこんなことが出来たのだ。人間味をまだ少し残しているからこそ、人間として弱かったからこそ、それを補おうとしてモンスターになってしまった人間ではないかと思うのだ。映画を作った監督の意向、発言に反して、登場人物は全てモンスター化した人間である。

○実際の14歳、中学生がこの映画を観たらどう思うのだろう? 今の自分たちの学校生活、友達、クラスメイト、先生、その状況がこの映画の中に映し出されていると感じるのだろうか? 聞いてみたい気がする。

○この復讐を認めるか、どうか? ・・・・認める。少年法などというものに庇護され、それを利用して犯罪を犯す幼少な者を許す気にはなれない。その幼少者によって奪われた命、その悲しさ、恨みを被害者だけが飲み込み苦しみと悲しみに耐えるというのは許容出来ない。法により裁かれず、裁かれたとしてもたいしたことはない、自分は法によって保護されるとわかれば、法に護られ報復も受けないとわかれば幼少なモンスターの暴走は止まらない。後からも膿み出てくる。それを止めるのはやはり恐怖と報復しかない。自分の行為に対する懲罰が行われると認識させなければならない。それが抑止力になる。

○報復が報復を生み、連鎖するというのは、国家や宗教など個人を超えた集団のイデオロギー、心理によって形成される。小さな個人間の報復は段階的、永続的に連鎖しない。連鎖は直接関わりあった者の間で収束する。その連鎖は狭い。被害者と加害者、その親族の間で輪は閉じる。個人間の報復は直接関わった人間の間以上に連鎖していかない、強い心の繋がりのある関係以外の者にまで連鎖していかない、連鎖は止まる。他人の憎しみや苦しみまで背負いそれを晴らそうというほどの自己犠牲を行う個人は希有だから。個人は個人の人生を自分で守るのだから。

○苦しみは殺された家族の側だけが飲み込むもので良いはずがない。(但し、加害者に恨みを晴らす為に、犯人Aの母親を殺すというのは・・・・否。復讐は直に本人に行われなければと思う。これでは犯人Aの母親に同じ無念さと悔しさが連鎖してしまうからだ)

○昔、武士の時代、親の敵討は認められていた。それは人が人を無闇に殺めること、その暴走を止める抑止力にもなっていたはずだ。恨みの気持を晴らさなければ被害者とその家族は永遠に苦しみ、加害者はのうのうと生きる。そんな不合理を正すためにも、この復讐は認められるべき・・・・たとえそれが法治国家であっても、放置国家であるがゆえにも。それが素直な気持ちでもある。(母親を殺すことによってより残酷な復讐を果たすというやり方は否定する)

○「"悪法もまた法なり"って言うから」そんな事を言っている人を見ると腹立たしくなる。ソクラテスの名言は「悪い法律であっても法は法であるから、通用している間はそれを守らなければならない」と解釈されているが、果たしてそれは本当か? ソクラテスは本当にそう考えていたというのか? いや、この解釈はその後の為政者が都合よく解釈し民衆を抑え込むために考えた解釈。「悪法も法だ、それが通用しているのなら守らねばならぬ」そう言ったソクラテスの言葉の後には「だが、その悪法は潰し、壊し、正しい法に書き改めなければならないのだ」という意志があったはず。ソクラテスが悪法を敢えて許容したことばかりが強調されているのはあたかも人民への思想操作なのだ、ソクラテスは悪法に落胆し、諦め受け容れたのではない。自分がその法を被ることによって、悪法を変えよというメッセージにしたのだ。

○「悪法も法なり」などと言っている偽善者には未来に向かって悪法を変えようとする改善の意志が無い。「悪法は"悪”法なり」なのだ、それは変えていかなければならないものなんだ。

2010/8/29 追記
◎ネット上にある、あちこちの批評、レビュー、感想などを読んでいるが、この映画に関して、役者の演技、演出の巧さ、エンターテイメント性などを語るものは多いが、"復讐"や"少年法"について言及し、なんらかの自分の考えを表に出しているようなものが少ない。 「凄かった、重かった、松たか子が巧かった」などの記述が多いが、この映画が語る"復讐"と"少年法"について述べているものはほとんど無い。映画批評家と言われる人ほどこの点に全く触れていない、いや、敢えて触れないようにしているのか?
◎キナ臭い判断、ピリピリ、チリチリと火種が燻っているような事に対して積極的な自分の立場を表そうとしないのは日本人的傾向だ。 欧米の知識人は政治的にも、主義、思想上も自分の考え、立場を明確に主張する傾向がある。自分の考えはこうだと、自分の思想的立場を示した上で論議を行う、公の前に進み出る。
◎だが、日本人は明確に自分の主義主張、政治的考えを表に出し余計な火花が降りかかることを回避する傾向がある、いやそれが顕著だ。
◎中島監督が、この映画のテーマというものを"復讐"の是非に置いていたのか?それとも純粋に映像エンターテイメントとということにしていたのかは分からない。だが 公開前に女子高で"復讐"をテーマとした討論会なども行われていたことからすれば、やはり映画の中で語ろうとしていたことは復習の是非ではないだろうか。(下記ページ参照)
◎数多の映画批評家、個人ブログは映画のテーマと思われる部分について殆ど語っていない。演技、エンターテイメント性、演出、映像の技巧の事ばかり語り、この映画が何を言わんとしているのか、この映画が何を突き付けようとしているかにこれっぽっちも触れていないし、触れようとすらしていない。ぬるぬるとさらさらと回避している。
◎"復讐"の是非、"少年法"の是非について、意識的か、それとも無意識にか、解釈と自分の判断を避けているかのように思われる。いや、きっとそこに踏み込むと、そこに手を付けるとやっかいになると、無意識に自己保全の狡さが働いてこの二つのテーマに言及することを回避しているのだ。明確な自分の考え、立場、判断を示すことによって生じる不用意な火の粉を最初から振り払っているのだ。
◎それでは批評も批判も感想も、上っ面だけの浅薄な戯れ言に過ぎない。
◎テーマはなんだ! と言うのはおこがましく、あまり好きではないのだが、少なくともこの『告白』という映画に関して、批評家や感想を述べる多くの人は"テーマ"というものへの言及を回避している。"テーマ"である"復讐"や"少年法"に触れ、自らの判断を表明することを避けている。・・・・そんなものは"批評"になんて値しない。そんなものは感想にすら値しない。そんなものは映画の何をも語ってはいない。そんなものは二枚舌の舌先で語られる軽薄で無責任な芸能ゴシップと同じものでしかない。
◎日本の現行法にはこんな法律がまだ残っているらしい。というか近代になってこういう法律を作ったことは現行法の歪みに繋がっているのかもしれない。
「決闘はしてはいけない。申し込んだ人、申し込まれた人、決闘立会人、証人、付添人、場所提供者、みんな罰する」(決闘罪ニ関スル件
 1889年制定。決闘を申し込んだり受けたりすると6カ月以上2年以下の懲役、実際に決闘したら2〜5年の懲役。立会人も場所提供者も罰せらる。また決闘に応じなかった相手をバカにしても罰せられる。


☆映画『告白』公式サイト:http://kokuhaku-shimasu.jp/index.html
(あなたは賛成派、否定派?)
☆『松たか子VS中島監督 告白イベントで激論抗争勃発!?』
松たか子中島哲也監督が復讐をテーマに対立意見をぶつけ合った。
http://www.cinemacafe.net/news/cgi/report/2010/06/8391/
強い刺激、反応楽しみ 映画「告白」中島哲也監督
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100601/tnr1006010809002-n1.htm

◎2012年5月10日 2年ぶりに再見。
・劇場で観たときのショックもあって、あれからもう一度観るというきもちになかなかなれなかったのだが、DVDで観ると細かなところまで監督の表現の凄さが分かるな。そしてやっぱりこれ、物凄く恐ろしい話であり、作品だ。再度観てやっぱりこれはホラーだなって思えた。これこそ海外でいけそうなものなのだがなぁ。そういえばどこかがリメイク権買ったという話があったがどうなったんだろう。

・いやはや後半はほんとうにショッキング。息を呑むなぁ・・・。