『テレビは何を伝えたか』

松本サリン事件をテーマとしたメディア・リテラシー教材DVD
‐報道の送り手と受け手の関係性を考えるために‐
・教材企画:長野県メディア・リテラシー研究会
・映像制作:長野県松本美寿々ヶ丘高等学校放送部

●マスコミがマスゴミなんて言われるようになったのはいつの頃からだろう??

●あの事件が報道されたとき、最初のニュースを聞いて「馬鹿なことをするのがいるんだ・・」と思い、早々と犯人が分かったことに安心した。しかしその後、地元の学校に通う子供が二人いる家族であり、奥さんも重傷というニュースを聞き「そんなまだ小さい学校に通っている子供がいる人が、化学兵器とも言われる猛毒を調合するだろうか? 一人暮らしの孤独な人物というなら想像もできるが、妻や、子供が二人もいる一家の屋台骨とも言える人が、そんなことをするだろうか?」とニュース報道に疑問を抱いた。なにかこの報道には素直に受け入れられない怪しい臭いが漂っている。確かにあの時そう思ったし、きっとあのニュースを見たり聞いたりした人のかなり多くの人は自分と同じ猜疑心を報道に抱いていたのではないだろうか? それがどうして実際のTV局、報道の現場にいる人間には作用しなかったか? おかしいといった局もあったのに(TBSスペースJ 下村健一、ザ・ニュースキャスター 磯貝陽悟)その声はメディアの中で広がらなかった、主たるTV局、報道は警察権力の発表をリピートするだけの存在に成り下がった。

●ずっと昔、椎名誠がTVの番組で話していたことを思い出す。「ベトナム戦争当時僕らは街に出て道行く若者に、あなたはベトナム戦争をどう思うか?と問いかけ、その答えがそれぞれの思いと共に返ってきた。だが今、道行く人に戦争や政治のことを聞くことが出来ない。そういう問いかけをしても答えが返ってこないと思う」と。

ベトナム戦争や60年安保の時代、世の中が、日本がおかしな方向に走っている、間違ったことをしている。だから声を上げなければいけない、黙っていてはだめなんだ!という意識が大人、大学生だけではなく、高校生やもっと若い世代の中にもあった。だが、今の学校教育の中で受験や就職のために学生生活を送るような高校生の中に、自分たちから社会問題を提議し、おかしいと思ったことを確かめ正したいという意識はあるだろうか? そういう意識が芽生えたとしても、そんなことをしていたら社会の中で生きていけないよ、と摘み取られるのが今の世の中ではなかろうか。

●松本サリン事件の一年後、河野さんを犯人としたマスコミ各社の誤報道が判明したとき、事件現場から程近い高校の放送部の学生が、自分たちの直ぐそばで起きた事件と、無実の被害者を犯人と断定して報道したマスコミの姿に純粋な疑問を持った。きっと怒りも。そして作られたこの映像は新聞、TV、報道にかかわるマスコミに対する、真正面から直球勝負の一撃。

○「どうしてあの犯人を間違えた誤報道が起きたんですか、起きたことをどう思いますか?」きっとこんな風に高校生が問いかけたのだろう。それに答える各報道機関の社員の姿に気になる所がある。

「その答えによっては自分自身の首をしめますからね。テレビというものは本当のことを伝えているわけではない」

真剣な目付き、高校生からの問いかけに自問し、悩みながらも真剣に答えている姿が映像にはっきりと映し出されている。松本サリン事件で自分たちが行った誤報道を、自分が所属するマスコミの姿を真剣に考え高校生に真剣にそれを語っている。目、顔つき、その言葉でこの女性の真摯さ、高校生の問いかけに真剣に自分も考えているということが分かる。

しかしだ、この女性以外の記者の態度、質問に対する答え方は一体何なのだろう。
長野放送松本支局松本報道製作部の記者
NHK松本支局記者
・テレビ信州松本支局報道制作局報道部記者
この三人はエヘラエヘラと口もとに笑いを隠しているかのような顔だ。なにをニヤついてインタビューに答えているんだろう。この人たちの目に表情に真剣さが感じられない、警察や会社、組織に責任を転嫁しているかのような言葉。高校生を見下してカメラが回っているから仕方なしに当たり障りのないことを逃げの言葉を探しながら答えているかのようだ。この三人のニヤけた顔でインタビューに答えている映像は非常に不快感を感じる。「なんだ、こいつらは、この高校生の質問に真剣に答えようとしているのか、お前らは。このインタビュー取材を高校生の学芸会の発表程度に思っているのではないか」まるで自分らが高い立場から高校生に教えを説いてやっているというような姿がこの三人の記者の映像に二重写しで浮かんで見える。

○きっとこんな連中が取材し、報道したのだから、はっきりとした裏付けもなく、警察発表のみを鵜呑みにし、何かあっても自分には火の粉が降りかからないよう、逃げ道と言い訳と責任回避の道を用意した上で偉そうに報道をし、間違った報道を訂正することも、自ら検証することもなく、報道被害を拡大させていたのではないか、まさにそう見える。インタビューにも適当に核心をはぐらかしながら、なるべくマズイことに繋がらないように言葉を発しているように見える。先の女性とこの三人のインタビュー映像における真剣さの違いは甚だしい。

○この三人のインタビューを見ていたら、マスコミが松本サリン事件で河野さんを犯人と断定しそれを一年も流し続け、人権侵害に当たる報道を重ねたこと、それは起こるべくして起こったことなのではないだろうかと肌寒くなった。

○こんな程度の記者がマスコミだ、報道だと借りた虎の威でふんぞり返り、肩で風切って偉そうに取材をしていたら、報道被害なんてものはなくなることはないだろう。

○その後に続く各報道局の責任者クラスのインタビューでは、さすがに前の3人のような体たらくな返答、応対はしていない。長く報道の立場に立ち、局の報道を仕切る人たちの言葉と態度にいい加減さは見えない。
テレビ信州 報道制作局報道部長○
信越放送報道制作局報道部長○
長野朝日放送報道制作局報道部長△
それでも、この人たちの部下である記者が、報道の重みだとか、その責任を部長クラスと同じように考えているとは思えないわけで、この人たちの下で働く若い記者にこの人たちが伝えるべきものを伝えきっていないのことがあんな、ニヤけた顔でインタビューに答えている記者に映し出されている。この事件に対する態度、誤報道とマスコミの在り方という部分において三人の記者はインタビューをしている高校生よりもさらに低いレベルにあるのではないだろうかと思えて仕方ない。

○高校生が「マスメディアが真実を伝えているわけではない、怖い、恐ろしい」と認識している。
「自分が思い描いていたマスコミと実際に取材して知ったマスコミにギャップがあった」
「凄いニュースって作られてるなって。そのまま伝えればいいのになって思った。」
「テレビは怖い」
そう話している。
きっとこのまだ16,7の高校生はTV局や、新聞、マスコミ、報道というものは正しいものをしっかりと伝える義務と責任のある機関だと考えていたのだろう。そう信じていたのだろう。それが松本サリン事件を機とした各報道機関の誤報道をしることにより、マスコミと報道を作る人間の嘘やいい加減さ、無責任さを知ることとなったのだろう。それを知ることは彼や彼女らにとって計り知れない大きな前進と大きな絶望に繋がるかもしれないけれど。

○マスコミはいつからマスゴミと言われるようになったのだ。記者も、カメラマンも、真実を伝え、不正を暴く一人のジャーナリストである前に、会社の社員であり、組織の一部であり、体制には歯向かうことのない雇われ社員の立場を守ることが強くなった。もうマスコミになど期待しても無駄だという記持ちが社会に蔓延している。

○高校生が撮影した映像をメディアで発表しようとしたとき、取材された各TV局はそれを許可しなかったという。「きちんとした手続きで取材したにもかかわらず、局からの要請でオンエアは実現しなかった」彼らはそこにも報道機関の嘘を痛烈に感じ取る。

○そう、そうなのだよ、そんなもんなのだよ日本の、いや世界のマスコミなんて・・・そう耳元で教えてやりたくなる。

○この作品が作られた13年前と違い、今の高校生はマスコミのことなんてこの時代よりもずっと信用しなくなっているだろう。それが今の現実でもある。

○今の高校でこんな映像を作ろうなんて言ったらどうなるのだろう? それを許可する教諭、校長、学校、教育委員会はないんじゃないだろうか? そんなことをしている位なら勉強をしろ。就職に不利になるような目立つことはするな。そう動きを止められるのではないだろうか?

○1997年にこういった作品が高校生の手で自主的に作られ、世を問うたこと、それは極めて貴重なそして重要な事実として残り続けるであろう。

○高校生の活動が、この作品がほんの少しでもマスコミや報道機関、そこに働く記者たちの心を動かしたと信じたい。ほんの数ミリ、かすかな動きであったとしても。だがそれが今に繋がっているとは、とても思えないことも事実。