『靖国 YASUKUNI』

●あれこれと反日だ、事実誤認だ、いや偽造だ捏造だ、情報操作だと話題になり、公開延期、表現の自由などとキナ臭さまで漂っていた作品だったし、その後に後付け、誤魔化し、捏造、詭弁のような発言が製作者からも、宣伝側からも、そして国会議員や新聞などからもわさわさと湧き出してきていたようなので、敢えてそういう話は極力無視し、頭の中から排除して映画、作品そのものとして、なるべく余計な外部からのあれこれを加味しないで冷静に観たらどうなるか? そんなふうに考えてこの作品を鑑賞してみた。あれこれこの作品に関する情報は既に頭の中に入ってきているのでそれを100%排除して鑑賞することは土台不可能であろうが、極力素の状態で、ありのままにこの作品をじっと観てみようと思った・・・。
●最初に靖国刀を鍛えているという刀鍛冶の人から話がスタートするのは興味深い。靖国神社御神体が刀だという話も初耳であった。(映画の中で語られたこの件に関しては諸説喧々がくがく言われているようなで、その話が本当か嘘かというのは脇に置いておく)

●千鳥ケ淵で花見もしてるし、靖国通りも一時期毎日のように通っていたし、靖国神社の前も数えきれないくらい通っているのだけれど、靖国神社に足を踏み入れたことは無い。いつもあの辺は警察官がうろちょろしてるからそれを横目に見て通り過ぎるだけだった。ましてや夏休み、お盆のころにあの辺をうろつくことなんてなかったので、8月15日の終戦記念日靖国神社でこんなことが行われているとは今まで全く知らなかった。殆どニュースにも取り上げられないようだし。(靖国絡みのことは天皇家と同じでTV局としても積極的には触りたがらないのだろう。) 集まる多くの人は戦没者を悼む気持ちで靖国神社に来ているのだろうが、そうではない人も来ているようであるし、見るからに右翼という人物や、どでかい日章旗旭日旗(って言うんだね)を高々と掲げて靖国神社に入ってくる人、旧日本軍のいかにも野戦服という格好で参拝する集団、真っ白い海軍の制服で参拝する集団、自衛隊の制服そっくりの格好で合わせ参拝というのをする集団。(これは右翼団体か?) などなど、はたまた参道に設けられた売店のテーブルでビールと焼き鳥を摘みながら戦争談をする人、ベンチに座って戦時中をふりかえるおばさん。これは観光モード的? はたまた小泉支持の外国人、靖国神社の参道で星条旗を掲げてつまみ出されるし、さらには夜の靖国神社に日本軍の格好で刀をもってやって来る人。(これはやらせだろう、としか思えないのだが? ほんとうなんだろうか?)、参道は溢れかえらんばかりの人で埋め尽くされ、日本国万歳やら陸軍中佐なんとかやらそういったのぼりがあちこちに見える。 などなど、こんなことが終戦記念日靖国神社で行われているんだと始めて知り目を丸くした。

知らなかったこととはいえ、終戦記念日靖国神社がこういった状況になっているとは、日本人の目からしても驚きの光景、これを外国人が見たらほんとうに奇異に見えるのではないだろうか?

●この光景を見ていて感じたことがある、なにかどこかに似ているなと。この光景はなんだかアニメのイベントやらコミケやらオタクっぽい人が沢山集まるイベント会場の雰囲気に非常に近い物がある。一種独特の同じ嗜好性を持った人が一同に会するイベント。その嗜好性は非常に狭小で同列的。三角形の頂点の一番隅っこに向かってみんながなにかをオケラの様にほじくっているという感じ。もちろん反対派もこの群衆の中にはいるだろうし、物見遊山の人もいるだろうけれど、群衆のほとんど大多数は靖国神社擁護派、公式参拝賛成派という人だろう。そういう人たちにとって、8月15日の靖国神社は年に一度の一大イベント会場なんではないだろうか?  軍服や和服で来たり、右翼っぽい格好で来たり、はちまきして声明文を読み上げたりしてる姿を見ていると、コスプレイベントに参加して自分をアピールしたいから来てる人って感じにも見えてしまう。やっている人の年齢は明らかに違うんだけど、8月15日の靖国神社の様子って、オタクイベントに非常に似てない? 類似性があちこちにみられない? なんかそんな気がするのだ。たとえば、小さなリュックサックを背負っている老人が何人か目に付いたのだが、それってオタクイベントに集まっていたオタク若造がそのまま歳をとって老人になったかのような印象である。

靖国神社参道の特別テントで行われている「終戦60年 国民の集い」  (戦没者追悼中央国民集会 靖国神社20万人参拝運動の提唱)のその場で、首相の公式参拝の反対、糾弾を叫ぶ二人の若い男。取り押さえられ、押し倒される。この場面で青いTシャツにこれまた小さなリュックを背負った老人が異常とも思えるくらいの執拗さで「オマエは中国人か、中国人かこの野郎、中国へ帰れこの野郎」と叫んでいる。この老人は若者二人が靖国神社の外に押し出されるまでずっと後を追いかけ執拗なまでに「中国人か、中国人かこの野郎、中国へ帰れこの野郎」と連呼している。この映画の中で一番に人種差別的な人間はこの老人。

●映画全体は靖国刀を鍛える刀鍛冶の老人の姿の映像の間に、靖国擁護派、反対派の映像を交互に繋いでいるので、構成として公平的。まあ若干反対派の比重が大きい気がする。映画全体が反日的だとかいう反靖国、反公式参拝という色に染められているというわけではないのだが、賛成派の映像は先にも述べたように妙な軍隊の格好や、昇りを掲げたり声明文を読み上げたりと見ていてなんか変な感じがするものばかりなのに対し、反対派の映像はカチリと硬質だという違いがある。魂の返還を求める戦争遺族。合祀取り下げを靖国神社に要求する台湾人女性と靖国神社側の問答。合祀取り下げを求める僧侶の映像などは息を止めじっと見入ってしまうものだ。

●日本の終戦記念日である8月15日に靖国神社周辺でこんな様々なことが起きているということを、主張を偏らせず靖国反対、賛成どちらの側からも映しているこの映画は、ドキュメンタリーとして、映像資料として面白いし価値もある。繰り返しになるが終戦記念日靖国神社とその周辺でこんなことが行われているということを自分は殆ど知らなかったし、たぶん同じようにこう言った状況を全く知らない人も日本には相当に沢山居ることだろう。その点から言えばこの作品がDVDになり、観ようと思えば買うなりレンタルするなりして、日本と終戦記念日靖国神社とそれを取り巻く人々、問題を誰でも映像で観ることが出来るという点で、この作品は映像資料として充分に価値のあるものである。

こんな不思議で奇妙な光景が今の日本の靖国神社で繰り広げられているというのは、日本人からみても、外国人からみても、特殊で異様であろう。

そして、自分はこの光景を秋葉原のイベントに集まるオタッキーの映像や、メイドカフェや萌え系アイドルのイベント、ミニコンサートで異様な振り付けで踊る黄ばんだTシャツやジーパンを着ている集団に非常に似通っていると思う。日本のオタク文化の光景は海外では奇妙な日本文化として見られているだろうが(最近は受け入れられているようだが)。もちろん靖国神社に関する問題というのは、そんなチャラチャラしたものではなく、もっと深く深刻で重いものなのであるが、今の日本で8月15日に靖国神社に集まっている人やそこで行われている光景は、本質的な問題とはまるで別次元であり、靖国神社終戦記念日靖国問題というお題目だけを借りた、表面的にそれを被っただけのイベントになってしまっているのではないだろうか? この作品の映像を観ているとそんな気が非常に強くなった。

●だから私はこのドキュメンタリー映像の部分だけを観れば、それは反日だとか反戦だとか、靖国反対だとか、合祀反対だとか、公式参拝反対だとか、そういうことを主張する映像というよりも、暑い真夏の一日に日本で行われ起きている、実に奇妙で風変わりなイベントの記録映像だと捉える。

●この作品は事実歪曲だ、捏造だ、誤魔化しだとかなり非難された。自分もその意見に多少なりとも同意する。終戦記念日靖国神社を取り巻くドキュメンタリー映像の部分はこれまで述べた通りだが、この監督はそのドキュメンタリー映像の合間に靖国刀の刀鍛冶の映像、インタビューを挟んだ。映画監督、として単に靖国神社とその周辺で起きたことを繋ぐだけの作品ではなく、なにか自分なりのスパイスを加えたかったのだろう。だが、刀鍛冶の映像と靖国神社での終戦記念日の映像を交互に映しながら、その中に南京での百人斬りの映像、最後にむかっては昭和天皇が日本刀をかざす映像、日本軍による斬首の写真(これも捏造だなんだと言われているらしいが)を繋いだ。この映像の流れを見れば、ストーリーの結末は靖国刀靖国神社→戦争、そしてその戦争で人間の首を刎ね、多くの人を惨殺したものが靖国刀だという方向に導かれる。 これでは温和にインタビューに答えていた刀鍛冶の老人が最終的には惨殺の武器を製造した、そして今もそれを造り続けている悪しき人間に結びつけられてしまうではないか。刀鍛冶の老人はまさかこんな流れで自分の映像が使われ、最後はああいった映画の終わりかたにもっていかれるとは思ってもいなかっただろう。90歳を過ぎた老人は「もうどうでもいい」と口をつぐんでしまったようだが、この映画の映像の繋げかたでは老人をだまし利用したとも言えるのではないか? 

●ドキュメンタリーを撮影した監督が、真実を歪曲し、観た者がある結論に誘導されるかのような編集を行っている。それはドキュメンタリーとして最悪であり、ドキュメンタリー映画を撮る監督として失格であり、その思想、資質に大きな問題があることのまざまざとした証明でもある。ドキュメンタリーならば真実を正確に映像として伝え、判断は観た者にこそ委ねるべきである。さもなくば、自分はこう考える、あなたはどうか? と主張を入れることだ。だがこの監督は主張するわけでもなく、ぬらぬらとある結論を想起するような映像の補完と張り合わせを行っている。このドキュメンタリー映画に思想、結論、を故意に誘導しているととられる編集、演出を行った監督の行為は愚挙であり、こんなことをする監督にドキュメンタリー映画など二度と撮るなと言いたくなるのである。 こういったやり方はそれこそ戦時中の軍部のプロパガンダ映画と同じではないか? アメリカもナチス・ドイツも日本軍も行った映像による情報操作、国威高揚、戦意教育と同じではないか。この監督の映画は戦時中の軍部の作った映画と落ちるところが同じではないか。

●この作品は反日映画だなんだと非難され上映中止にまでいった経緯があるが、昭和天皇南京虐殺、日本軍の斬首の写真などを映像の中に挟み感情操作、誘導をしているからそういう風にいわれたが、この映画の根本に、底流に、精神に、この監督の思想に本当に”反日”があったかというのは疑問だ。監督は体よく演出するために面白そうな映像を都合よく繋いだだけであり、そこに思想的な根の深さだとか真剣さが感じられない。同じ言葉を発し、同じ思想を主張するとしても、それ発する人間がどの深さからその言葉を吐き出しているかが問題だ。この監督は咽の入り口どころか舌の先っぽだけでこんな映画を作っていると感じてしまう。腹の奥底っから脳みそのずっと深い場所から、考えに考え悩みに悩んで、ある重さをもって吐き出された言葉がこの映画には載っていない。

●だから、この映画は反日映画としても表面的な浅さであり、槍を突き刺すような反日映画なんかではまったくない。上っ面の色をちょっと変えただけの映画の中の反日部分があるだけであり、反日映画なんてものとは言えない。そしてこの監督はドキュメンタリー監督としても失格。

●日本人、そして日本にとって天皇靖国というのはタブーの領域に入っている物で、それをあれこれ言おうとすると途端にあちこちから攻撃を受ける。だから日本人ではない外国人が公平な目で見て天皇靖国を描くことは良いことなのではないかと思うのだが、ちゃんとした考えをもった人にちゃんとした考えで取り上げてもらいたいと願うものである。

●捏造や事実誤認、反日だなんだという部分から離れて映画そのもののことを書こうとしたが、やはりこれだけ話題になっているとそういう分けにも行かず言葉をつづっていくなかで捏造や事実誤認、反日という部分にも触れざるを得なくなってしまったが・・・・この映画、終戦記念日靖国神社周辺で起きている様子を映した、あまり良くはないドキュメンタリー映像資料として、見ておく価値はあると言っておこう。

●あれも理解に苦しむ、そっちも理解に苦しむ・・・と巧妙詭弁ですべてを正当化していた小泉映像を見ていたらムカついてきた。なんでこんなのに日本は日本をあずけちゃったんだろうって。石原の演説にしても然り、やっぱ日本の政治家は全部解任したい気分になる。

●この映画に関する書き込みはあちこち山のようにあるが、桜井よしこさんのブログが静かに共感できるものだった。
「事実がどのように曲げられていくのかをこの映画で学ぶ」・・・そのとおりと言える。
「映画“靖国 YASUKUNI”で真に問われるべき問題」