『肉体の門』(1988)

終戦後の動乱、GHQ占領下の社会状況などを描いている映画というと黒澤明「天国と地獄」の横浜、今村昌平「豚と軍艦」の横須賀、そういえば「ゼロの焦点」も背景は戦後の時代か。だがどれも部分的にその状況を使っているのであり、その状況、光景が主ではない。

●この「肉体の門」は最初から最後まで敗戦後の東京、新橋あたりの社会風景がたっぷりと描写されている。このヤミ市やドヤ街の光景が凄い、凄まじい。これだけのセットを作りどこで撮影したんだろう。かなりの予算の掛け方だ。

終戦直後の日本、東京はこんな状態だったんのかと思うと驚くばかり。20年前とかの昔の監督たちにとっては、終戦後の荒廃した光景、その中で必死に生きていく人間の姿、その力強さになにか懐古的な気持ちが強く残っている気がする。終戦後の苦しい時代、その渾沌とした中で精一杯、必死に、力強く生きていこうとしていた時代の雰囲気、それを忘れられず、それを映画で表現したいという思い。そういったものが一昔、二昔前の監督には共通意識として根付いているのではないだろうか。だが、もし今こういう苦しい時代を描いても・・・受け容れられるかどうかは難しいだろう。終戦後の荒れた時代にある種の憧憬といった思いを寄せる世代はもう過去のものではないだろうか。

●話はいかにもヤクザ映画の東映の十八番と言った感じ。正直なところこの映像、この強烈な女達のどろどろとした描写は観ていてちょっと引いてしまう。廃墟のビルで暮らす娼婦たち、米兵相手に体を売る姿、終戦後の東京の光景、それはこの映画の原作やこの映画を作ったスタッフ、監督たちにとっては強烈な真実の映像なのだろうけれど、今から見るとあまりに時代感覚が乖離しすぎているせいか、あたかもどこかの古びた劇場で演じられている喜劇でも観ているかのようだ。

●この映画の演出、表現は、時代性というものだろうけれど、今の感覚からすると、やはりあまりに古い。奇妙でありヘンテコだ。20年前の昼ドラマでも観ているかのような感覚におちいる。昔の作品でも今に通じるものは多々ある、しかしこの映画は今には通じない、今では無理だと感じるものだった。これが当時の最先端の演出であり、映画だったのだろうか? 

●爆弾のそばで倒れて死んでいる伊吹、それを観た浅田は純白のウエディングドレスに着替えて着て死んだ伊吹と不発弾の真下で踊る。そこにスポットライトのように差し込んでいる光・・・いやはや、驚くばかりのコテコテ、ベタベタのシーン。恥ずかしくなるほど珍妙だ。監督はこの演出で愛を表現したかったのだろうが、表現の形というものがこれでは倒錯している。これが20年前は受け容れられたのか? 感覚が大きくずれて変わっているとしか思えない。当時はこれで感動した人が、涙を流す人がいたのか?

●名前だけは知っているが観たことのない映画だったのでどんなものかと思っていたのだが、これはヘンテコなトンデモ映画と言ってしまってもいいだろう。あまりの感覚のズレに、今もしこれを劇場で公開したら観客はプッと思わず吹き出して笑ってしまうのではないだろうか? 最高トンデモ映画賞なんてものがあったら確実に受賞するかもしれない。その位にこの20年前の映画の感覚はズレが大きい。

●原作小説は過去に4回も映画化されている。そのうち1回は日活によって完全なポルノ映画として作られている。終戦直後のアメリカ人を相手とした娼婦、パンパンを主人公として描いていることで、おそらく大衆の下半身を刺激するエロ小説として注目を集め、その映画化も文芸作品というより性交、性描写、裸体などのエロを売り物として話題を集めるべく企まれたものであろう。とかく下半身ネタ、セックスネタ、性を題材にした小説、映画というのはそれだけで話題になる。『限りなく透明に近いブルー』にしろ『太陽の季節』にしろそんなものだ。

五社英雄が監督した1988年版『肉体の門』もエロネタ、セックスネタ、裸で注目をあつめヒットさせ金を儲けようとした映画だろう。当時の人気女優、美形、美乳、話題人をこれでもかという位ごっそりと掻き集め、女優だけではなく歌手から、女子プロレスからも話題作りに役立つ女を引っ張り込み、さらには西川峰子にも脱ぎをさせ、女優にも濃厚なセックスをさせ、十分すぎるほど男の下半身と脳みそを刺激して話題をつくり動員を企んだという魂胆があまりにあからさまに見え透いている。今の中身の無い映画作り、宣伝の走りがこんなところにあったのかとげんなりとしてしまう。

●戦後の荒廃した東京の様子を実にまめに再現していたり、ラストでビルを派手に爆破させたり(西部警察とか怪獣映画のようでもあった)パンパンの顔に強風を吹きつけて爆風を受けたかのように皮膚を波立たせたり、色々と面白いアイディアや映像に挑戦しているが、一本の映画としてこの『肉体の門』はエロ趣味でヒットを狙った、いわゆるキワモノ映画であり、感覚的にも極めて古く極端にズレまくった演出で塗り固めた自己中のオレサマ映画と言えるだろう。

●そんなどうしょうもない一作だとは思うが、バラック建ての小屋が並ぶ東京の様子や渾沌とした雰囲気の画面と性根の座った女優の演技には力がある。それはいい意味で東映やくざ映画で名を売った五社英雄独特のカラーだ。

●それにしてもよくもこれだけキワモノ的役者を集めたものだ。女優のちんどん屋飾りとでも言っていい。これだけ女優、男優で飾りたてれば豪華だし、人目も引く。一二は無くてもキャスティングとは言われるが、ここまでくると映画、ストーリーの質を高める演技力のキャスティングではなく、明らかに飾り付けキンキラキンのキャスティングだ。

●その昔TVで「アマゾネス」というムチムチ・ボディー女だけの部族を描いた映画が放送されて話題になったことがあったが、なにか「肉体の門」はアマゾネスをお手本にして作られているような気がする。イメージが似ているのだ。DVDのジャケットも、溜め息ものの酷さだ。笑えるけど。

浅田せん (かたせ梨乃)菅マヤ(加納みゆき)安井花江(山咲千里)乾美乃(長谷直美)菊間町子(西川峰子)血桜お銀(松居一代)ビッグママお京(マッハ文朱)お澄(名取裕子)彫留(芦田伸介)袴田義男(根津甚八)伊吹新太郎(渡瀬恒彦
サブ(光石研)キャプテンフォードオフィサー(クロード・チアリ)

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