『ワンダフルライフ』(1999)

●初七日、死後一週間の期限、キリスト今日でも仏教でも死後の区切りは似ている。結局、国が変わろうとも、人種、国籍、宗教が変わろうとも、根底に流れているものは繋がっているということなのだろう。

●ドキュメンタリー出身の監督の最初の映画ということもあり、映像もフィクションの中にノンフィクションを包んだようなドキュメンタリー風。アイディアとしては面白い、良くありそうなアイディアだが、ごろごろと転がっているようなものと、しっかりと意思をもって積み上げられたもの程の違いがある。同じような設定の作品がありそうだが、この映画は設定だけにとどまらずそれが映画の中にしっかりと根をはり巡らしている感がある。

●熟達し、円熟し、熟成された磨き上げられた銀のような凄い役者を潤沢なまでに使われているが、燻し銀の中で別種のきらきらとした光を放っているかのようなARATA小田エリカの演技がなかなか良い。こういう役者の組み合わせ、配置でまだ若い演技もそこそこの役者の内部の光る部分を際立たせるという手法もあるのかとかなり感心。

●古い学校の校舎のような場所、古い学校の教務員室のような場所、ベンチ、撮影現場の風景、これらの一つ一つが心を和ませる仕組みになっている。古く懐かしいものを巧みに使ったスタイリッシュとも言える映像。普通なら洋風のおしゃれなイメージでスタイリッシュを演出したりするかもしれないが、全てに日本の部品を使い日本的スタイリッシュというイメージが作り上げられている。

●静かで美しい映像

小田エリカが校庭のような場所で降り積もった雪を手で払うシーンが非常に良い。語らず、説明せず映像で伝える感情、心の中、美しさ。

●他ではあまり観たことのないような作品。こういう感じの作品を是枝監督が最初の頃撮っていたのだと少々驚くが、この静かさ、美しさは「誰も知らない」にも「歩いても 歩いても」にも繋がっているなぁと気がつく。

●おしむらくは、夏を前にして暑くなってきたこの時期にこの映画を観てしまったことだろうか。

●作品はなかなかのものだと思うのだが、今この時期にこの作品は正直退屈さを感じた。それは作品が悪いから感じた退屈さではなく、夏に向かって心も体も、頭の血液もドクドクと激しく動き始めている時期にこの静けさがマッチしないということ。

●きっと秋が深まる頃、大晦日とか、2月頃の深い雪の中でとか、そういう時期にこの映画をしんみりと観たらもっとしっかり作品を味わえるかもしれない。観た時期が悪かった・・・

●映画なんてそんなもの、真冬に夏の映画を観てもいまいち乗りきれないというのと同じ、観る環境、季節、体調、心の状態・・・そんなもので映画は如何様にでも変化する。映画が変化するのではなく、観る側の心への浸透具合が変化するということ。

●秋が深まった頃か、雪がしんしんと降り積もる音もないような冬の夜、そんな時にこの映画をもう一度観てみたい。

●良い作品だとは思ったけれど、今の自分の心に上手くしみ込んできてくれない、心が別の方向を向いているから。人生の終わりが近づいたころ、人生が秋色になった落日に観たらグッとくるのだろうけれど、それはまたちょっと違うことだろうし。この映画もある程度歳を重ねて人生の良さも苦しさも味わった人が共感するような作品だろう。中高大学生位が観ても、良いとは思ってもしみじみと心に染み込むというところには行くまい。たぶん。

●今回の鑑賞は完全に未消化、いずれ状況をみながら「今あの映画を観たら一番心に染みるんじゃないだろうか」そう思えたときに再度観てみたい。