『アバター』

●文句なしに面白かった。上映時間が3時間近いので(なぜか最近映画がやたらと長いのばかりが増えているが。長くても中身の無いもの、せっかく撮ったのを切るのが嫌だからだらだらと長くなっているようなものが多いと感じている)さて、途中で何度時計の針を確認することになるだろうか? なんて思っていたが、全くだれることなし詰らなくなることなし、最後の最後まで文句なしの面白さだった。久しぶりにハリウッド作品でちゃんとした映画らしい映画を観たなぁという気にさせてくれた一作。さすがキャメロンというところだろう。

●3Dの上映に関しても「そんなものいらないんじゃないの? 映画はなによりもストーリーの良さなんだから3Dなんて・・・・」と思っていたが、これも杞憂であった。いや3D以前に作りこまれた映像が美しくクオリティーが高いから見応えがあり、絵の美しさに感動したのだろうけれど、3Dのおかげで美しい映像の迫力や臨場感が相当にアップしているシーンが多々あることは確かである。

●最初にトレーラーを観ていたときは「なんだこの青い生物は? 不気味? なんだかアニメ『プリンス・オブ・エジプト』のキャラみたいじゃないか?アメリカ人が作るキャラクターの顔立ちはみんな似てくる、変なの?」とこれまた怪訝な気持ちを抱いていたのだが、映画が始まったらなんのその、この不気味な顔つきのキャラクターたちがなんと生き生きとしていることか、その表情を観ているだけでも実に興味深く面白い。先入観というものは自分の経験の中から湧いてくるものだが、やはり先入観にとらわれては駄目だなと自戒。といっても先入観と勘はどこでその違いに物差しをあてるかは難しいのだが。

●とにかくも見ていて本当に面白かった。本来映画とはこうあるべきものだ。一回見て、ストーリーがすっかり分かって、文句なしに楽しめて、上映時間が終わったらすっきりして「ああ、よかった」と思って出てくる、それがエンターテイメント映画のあるべき姿だ。(別のタイプの映画もあるけれど)

●最近の邦画にしてもやたら伏線を張りまくりで二回三回と観て、お宝探しでもしているかのようにあれこれ小細工を見つけることを楽しみましょうというような作品があるが、そういうのは好きではない。映画は2時間なり3時間の上映時間の中できっぱりすっきりさっぱりと楽しみを最大限に供給すべきものだと思う。こましゃくれた小細工だらけの映画なんぞいらんと思ってしまう。そういう自分の思いからするとこの『アバター』は本当に直球勝負、正面突破、真っすぐでまっとうな堂々とした王道を走る映画だ。3時間近くを実にたっぷりと楽しませてもらった。こういう作品は昨今では非常に少ないと思う。

●ストーリーは言ってみれば今まで沢山描かれてきたようなパターン化したようなお話であり、ラスト・オブ・モヒカンポカホンタス、その他にも似たような話の映画は沢山ある。先住民と侵略者の争いというのがベースでそこに恋が生まれるという良くある話なのだが、この作品は映像の美しさや奇抜さなどが手伝ってそのありふれたお話がキラキラ輝き弾みのある面白い話になっている。キャメロン監督の手腕の見事さといえる。

●とにかくこの『アバター』は面白い。もちろん粗もあるのだがこの映画は上映時間中とっぷりと映画のお話の中に意識を取り込まれて自分の頭の中をあたかも自分がパンドラの中にいるかのようにしてしまえる非常に面白い作品だ。観賞後の余韻を味わいながらネットでトレーラーをもう一度観たりしていると「ああ、もう一回観てもいいな・・」と思えてくる。一回目に観た時は映像に陶酔し、倒錯したかのようにボーっとて意識を目の前の映像に取り込まれてしまっていたけれど、もう一回また観たいなぁ、もっと今度はしっかりと観たいなぁと思ってしまう。それもやはり大きなスクリーンで、もちろん3Dで、そしてクオリティーの高い音響設備のある劇場で、できることなら目の前にほかの客がいないくて、なるべく前の方の席で自分の視野にスクリーンに映し出される映像以外は一切入り込まないような席でこの映画を堪能したいと思ってしまう。

●これまでの3D映画がなにか子供だまし的なもので、大した驚きもないようなものであったので、今回も3Dにはさほど期待はしていなかった。映画が始まって最初に感じたのは「んーやはり今までの3Dと似たようなものだな」という印象だった。いかに技術を込めた3D映像でも自分に向って飛び出してくるような絵は作ることが困難だ。この映画の3Dも単純に視野角のずれから奥行き感を出しているものなのでスクリーンから奥に伸びていくような絵の感覚はあるのだが、スクリーンからこちらにむかって飛び出してくるような感覚はない。スクリーンという平面から奥への立体感であり、本当の立体感というのとは違う。ガラスの外側から映画を観ているかのようなものだ。だが、暫くその映像を観ていると、木の葉がちらちらと落ちてくるシーンやまるでクラゲが漂っているかのような森の精の浮遊シーンなどが、あれっと思うほどに手前に浮かんで見えてきた。これは目がこの3Dに慣れてきたからなのだろうか? 段々と奥行き感だけかと思っていた映像が手前にも映像が浮かんでくるいるような立体感も感じるようになってきた。ただ、そういうシーンは少ない。ドンと目の前に突き出すような映像は数か所位であっただろう。やはり殆どのシーンは一枚ガラスの向こう側に伸びる奥行き感になっている。昔ディズニーランドで観た3Dではスクリーンから飛び出した手が自分をつかむようなリアリティーの凄さがあったのだが、ああいった思わず仰け反って体を避けてしまうほどの3Dが映画で実現されれば凄いとは思うのだけれど。また、字幕にまで3D処理がされフォトショップでテキストが立体フローティングさせたような文字で見えるのはいかがなものかと思う。字幕はそのまま通常のテキストでいいのではないか? 実際には観てはいないが字幕だけを通常テキストとすると画面全体の3Dの雰囲気を壊すおかしな印象の文字になってしまうのかもしれないが、字幕がふんわり浮いているような感じは字幕を目でとらえていてあまり気持ちのよい物ではなった。

●粗といえば、パンドラの先住民を排除するそもそもの理由とされる鉱石については殆ど何も触れられていない。ただ地球ではキロ20億もの価値があると言われるだけだ。監督はナビィ族の言葉をわざわざ研究して作ったということだが、結局は地球人と会話させるため「英語学校を作って教育した」というちょっとご都合主義過ぎる説明でナビィ族に英語をペラペラと話させている。ここら辺はもう少し煮詰めて別の意思疎通方法でも考えてほしかったかなと思う。ここら辺は設定に正統性持たせるためとはいえあまりに短絡的で強引過ぎる。先住民族をまとめ上げるために派手な怪鳥と意思を疎通させるくだりも、いままでネイティリの先祖のたった一人しか出来なかったことをパッとやって来たアバターのジェイクが成し遂げてしまうというのも短絡的すぎる。まあそういう粗と言える部分もなくはないのだが、やはりこの映画は超がつくほど面白い、アバターにかこつけたダジャレではないが、あばたもえくぼで、そういう粗の部分も良しとしておこう。

VFXCGIの凄さは言うまでもないが、この映画で初めてフルCGの人間の動きに違和感を感じなくなった。その昔の「ファイナル・ファンタジー」(2001)では皮膚感や目の動きなどかなりリアルな人間をCGIで描いていたが、どうにも人間の動きがぎくしゃくとしていて滑らかではなく、動きから動きへの直線性がやはりまだまだ人間は描ききれないなと思わせるものだった。暫くして作られた映像作品の『ファイナル・ファンタジーアドベント・チルドレン』にしても顔の表情や髪の毛、衣服のたなびきなどは相当にクオリティーアップしているのだが、いかんせん人の動きはさほど進化なし。そして2007年にフルCG映像と大々的に宣伝して公開された『ベオウルフ』にしてもキャラクターの動きは正直まるで進化しているとは思えないものだった。なぜにこんなにCGIの技術が進化しても、実際の映像では人間の動きがこんなに直線的でぎくしゃくしてあからさまにCGIだと分かるものしかできないのか?そう疑問に思っていたのだが、今回の『アバター』ではそんなもやもや感はまったくもって払拭された。この映画の中のネイティリ族の動きはもうナチュラルそのものだ。これだけ自然に違和感なく人物(人間ではないが)が動くのは驚きだ。キャメロンのこだわりか、金の掛け方の違いか? 時間の掛け方の違いか? なんにせよこれだけナチュラルな動きの人物がCGIで出てきてしまった以上、今後CGIで人物を描こうとする監督、スタジオ、プロダクションは『アバター』と同等かそれ以上のことをしなくては手抜きといわれることになるだろう。予算も時間もスケジュールも・・・大変に膨れ上がることになるであろう。

VFXのことで言えばもう一つこれは良いなと思ったのが、あまりに妙なアングル、カメラワークのシーンがひとつとしてなかったということ。『ファイナル・ファンタジーアドベント・チルドレン』にしても『ベオウルフ』にしても無理に見たことのないようなシーンを作ろうとして、コンピューターの処理にどっかりのっかったままで、走っているオートバイがぐるぐる垂直に回転するようなシーンを入れたり、とてもあり得ないというような位置から人間を移動させたりというようなCG担当者の独走のようなシーンが見受けられた。こういうものは『あずみ』『ウォンテッド』『トランスフォーマー』などでもあった。人間の視覚として認知できないスピードのシーンや、違和感を覚えるようなアングル、視点の移動などはコンピューターに頼り切った映画製作者の愚挙である。その点この『アバター』においては凄い!と思えるシーンが殆どであり、これは異常と思えるようなシーンは殆どなかった。映画全体を統括する監督ジェームズ・キャメロンの作品の質に対するこだわりがこんなところにも出ている。きっとキャメロンが全体のCGI映像、VFXをしっかり管理し、抑制し、コントロールしていたからこそ妙なシーンが一切作品の中に紛れこむことがなかったのだろう。

●エイリアンでのヒロインであり、キャメロン作品の常連でもあるシガニー・ウィーパーがもう本当におばさんになってしまったけれど、こんなところで気丈な学者役で出てくるとはこれも良し。あのエイリアンからもう長い年月がたったのだなぁと思ってしまう。アーマード・スーツなどもキャメロンの過去作品を思い起こさせるものでなかなか憎い演出である。ミシェル・ロドリゲスは顔つき、体つきからか男勝りのこういうタイプのキャラしか回ってこなくなってるのかもしれないが、この映画のなかではチョイ役だがいい役を演じていた。

●エンドクレジットではWETA、ILMをはじめとして実に多くのCGIスタジオの名が連なっていた。今の映画業界の映像クリエイト集団のトップともいえるCGIスタジオ総動員でこの映画が作られたかのようだ。なるほどそれでこそこの映像と言えるのだろう。(キャメロン自身のCGIスタジオであるデジタル・ドメインの名前がなかったので変だな?と思ったのだが、なんだブラッカイマ―に買収されたとかごたごたがあったのだね、全然知らなかった)

●この映画はやはり"観る"べき一作。正真正銘のエンターテイメント映画。久しぶりにハリウッド作品のハリウッドらしさ、映画らしさを感じさせてくれる一作だった。やはりこれは3Dで、しかもベストポジションで映像の中に自分がすっかり取り込まれてしまうような位置で"観る"ことが一番だろう。(試写会というのはそういう意味では映画を"観る"には劣悪な環境でもあるのだ、場合によっては端の席だったり、ずっと後ろの席だったりと、映像を"観る"にも映画の音を聞くにしてもベストな位置というのはめったにないのだから。人もぎゅうぎゅう満席なのだから試写会というのは仮にセンターの座席に座れたとしても、けっして良い環境で映画を視聴できているわけではない。そういう意味では映画批評家というのはほとんどが映像を"観る"にしても、映画の音を"聞く"にしても全く理想からはかけ離れた座席位置で、しかも込み合った中で映画を単に”見ている”だけなのだ。映画というものを”堪能”なんて出来ないのに、映画の絵とストーリーだけを業務的に"見て"、あれこれ書いている人たちであるともいえるのだ。試写会とはそういう環境で映画を"見る"ということなのだ。だからこの映画は大きな劇場で人の少ない初回にでもベストな位置で"観る"べきなのだ。そうしなければキャメロンがこの映画をわざわざ3Dで作った意味など伝わるはずなどない。そして、不完全な場所で映画を”見た”映画批評家によって映画は批評される。

●こういうサイトは参考として役立つ:http://cinefun.blog89.fc2.com/blog-entry-46.html この映画を売りたい側、スタジオ、配給は決してこういうことを表にしないが。

アバター公式サイト:http://movies.foxjapan.com/avatar/
2010年10月に特別編として再公開されるらしいが・・・8分の未公開映像の追加・・・この映画のファンにとってはうれしいことかもしれないが、たった8分の映像追加で特別編として公開するというのも、どんなものか? 守銭奴的ハリウッド的。
ジェームズ・キャメロン MSNインタビュー
http://movies.jp.msn.com/features/interview/article.aspx?cp-documentid=3500788