『革命待望』

『1968年【上】若者たちの叛乱とその背景』『1968年【下】叛乱の終焉とその遺産』


●2008年から2009年にかけてこういった著作が続けて出版された。人の心の底で、いつもの暮らしの中で、足下にもやっとした雲がわき、ゆっくりとうねり漂い始めているのではないかという気持ちがする。出版の世界ではこういったものが出ているが、邦画の世界では今の日本、政治の、社会批判をするような作品は全くといっていいほど作られない。映画が完全に金もうけの道具という土台の上に乗ってしか作られない。アメリカは暴走した自国を批判する作品が数多く作られそれが世界に輸出されている。堕落した大義、ねじ曲げられた自由の国だが自国最大輸出産業の映画というメディア使って自国を批判し是正しようという動きがある。だが日本は・・・・・映画興行のマーケットとしてはアメリカに次いで世界第二位といわれる日本は・・・・邦画は・・・・今この日本を批判する映画が作られメジャー公開、いや単館であっても公開され人々の目に触れられる機会はあるだろうか? そういう映画が作られて然るべき状況に今の日本はあるのではないか? アメリカを模倣し追従しねじ曲がってしまったこの国は。マイケル・ムーアにしてもJ・キャメロンにしても、R・レッドフォードにしても映画の中で自国批判、そして自国のこれまでの過ちを多くの人に認識させようとしている。日本でもそういう作品が作られて然るべき状況にあるはずだ。

小熊英二氏の『1968』(上)の出版を知ったとき、その表紙写真を見て自分は最初「これはかなり作為的だ」と感じた。安保闘争から40年が経過した昨年より1968年をテーマとした著作が続けて出版されたが、それは文字の世界から今のこの国をなんとかしなければといううねりが起き始めている気配と感じた。しかし今年出版されたこの『1968』(上)の表紙を見たとき、可愛げな女の子がためらいがちにヘルメットをかぶり、あごひもを締めようとしている写真が表紙になっているのを見たとき、ある種の拒絶心が心に湧いた。これは「1968年という激動の時代を、出版界の時流に乗っておべんちゃらで書いた本なのではないか? 表紙を見た人の興味を引くために、作為的にこんな可愛い女の子がヘルメットをかぶっている写真を表紙に据えたのではないか。編集担当者が本を少しでも目立たせたいがため、売りたいがためにこういう写真を表紙に据えたのではないか? そう邪推した。なにせ映画や音楽の宣伝ではそういった手口は常套手段として使われているから自分の感覚もちょっと見邪なものを感じてしまうとすぐに裏で手をすり合わせる人間の存在を想像してしまうようになっているのかもしれない。

●そんな感じでプイと顔を背けたままであった本に再び興味が湧いたのは、年末に向けてあちこちの雑誌で2009年に出版された新書のランキングなどが発表されるようになってからだ。なにげに手に取ったとある雑誌に『1968』が紹介されていたのを目にしたからだ。表紙を見ただけで拒絶していたこの本だが、1000ページにも及ぶ大著であり、しかも上下巻にわたって1968年という時代とその時代に起きた若者の叛乱を詳細に検証しているという。これがいい加減な気持ちで書かれた本などでは到底あり得ない。またしても先入観から自分は一つの事象を一方的に邪と判断し拒絶していたわけである。

●ちょうどマイケル・ムーアの番組を見た直後ということもあるし、日本で「世界革命」だ「政権打倒」だなどと大きなうねりが起きていた時代のことをもう少し知りたくなった。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が公開されたのも2009年 あの映画の中でも表現されていた、あの頃のあまりに未熟で組織化も体制化もされず、ただ若者が、大学生に限らず、看護学校の女性や、中学生、高校生、そして社会人までもが世界同時革命だ、共産主義革命だと叫び、日本中でデモを繰り広げ、最後にはあさま山荘事件でのむごたらしいリンチが明るみに出ることにより急速に収束していったあの時代の激しいうねりが何故起きたのか、それをもう少ししりたくなった。上巻だけで1000ページ。読むにはそれなりの時間が掛かるであろう分厚い本だが、年末に向けて読んでみることとした。


●2008年に1968年や全共闘学生運動などを主題とした書籍がここに揚げた意外にもずいぶんと出版されていた。2008/9/23には立教大学で「1968+40 全共闘もシラケも知らない世代へ」と題するシンポジュウムが行われていたということをあれこれ本を調べるうちに知った。こういったことがあることを知っていれば是非行って聞いてみたかったとも思う。その時の会場の雰囲気も感じてみたかった。至極残念。