『パッチギ!』(2004)

●久しぶりに鑑賞した。この映画は何度観ても心を揺さぶられる。公園でイムジン河を歌うシーン、葬式のシーン、そしてラストにラジオ局でイムジン河を歌うシーン・・・繰り返し見ても、繰り返し涙が流れてくる。イムジン河のメロディーとその歌詞が耳から入ってくるとこの唄の持つ悲しさが体に染みこんで来る。強く心を揺さぶられる渾身の映画である。

沢尻エリカは文句なしに可愛い。それでありながら演技も良い。葬式の場で皆と共に嗚咽し泣いているシーンは嘘っぽさが感じられぬ本当に悲しい泣き姿だ。

●改めて気がついたが、真木よう子笹野高史余貴美子江口のりこ加瀬亮小出恵介 その他も含めて脇役も豪華であったのだなぁと感心。最近の邦画の常連とも言える脇役人が出揃っているのだな。笹野高史の日本に強制的に連れてこられ苦しみ耐えた自分たちの歴史を語る部分は非常に重く迫力のある場面だ。

●1960年当時の日本にはまだこんな状況があって、フォーク・クルセイダーズイムジン河のレコードは発売禁止、放送禁止にまでなったという。戦時中ではなくても、そんな不当で自由を圧するようなことがまかり通っていた時代が確かにあったということを心に記しておきたい。そんな時代から比べれば今はよほど良いといえるのだろうか。YOU TUBEを見れば禁止になったイムジン河のビデオは何種類もアップされている。未だに放送局などではイムジン河を掛けるということははばかる風潮があると言うが、ネットというまったく別のメディアのなかでいつでも自由に音楽を聴くことが出来るというのも今の時代の良さなのだろうか?

●この映画を日本人が作った反日差別映画だという考えがたくさんあるようだ。いったいこの映画のどこが反日差別映画だというのだろう? こういう事実が本当にあったのだということを真正面から伝えている作品として素直に心に響く映画だ。

●オリバーストーンがアメリカを非難する映画を作り、クリント・イーストウッド「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」ミスティック・リバー」で自分たちの国の嘘を描いた。ロバート・レッドフォードなど多くの映画人がアメリカの政治批判、自国批判を堂々と行っている。これが反米的だと揶揄されているだろうか?(もちろんそう言う人もいるだろうが)映画人の自国批判をアメリカ人はきっちりと受け入れている。そしてアメリカ最大の輸出産業である映画の中でそれは行われ世界中に発信されている。そこがまだ残るアメリカという国の自由さであり、その精神の片鱗なのであろう。それが日本ではどうだろう?こういった映画、特にアジア圏の国々との過去の歴史を描いたような映画となると狂ったように噛み付く人々がいる・・・きっとそういう人の心はイムジン河を発売禁止、放送禁止とした1960年当時の差別的な人と変わっていないのだろうと思ってしまう。「歌っちゃいけない歌なんてないんだ」大友康平が演じるラジオ局のディレクターの言葉がこの映画を差別する人には届くことは無いのだろう。ヤフーの映画ユーザーレビューをみたら、いまだにこの映画を中傷するコメントが続いているようだ・・・背筋が寒くなると同時に表立っては見えなくなったけれど日本人の中に根深くのこっている差別意識を垣間見るようで悲しくなる。

●日本人に対して大きな影響力を持った映画であるともいえるのだろう。

イムジン河という唄、そのメロディーは「花」「島唄」「涙そうそう」などのように国境も人種も越えて心に伝わる音楽性を持っているのではないだろうか?  (思いついて書いたらなぜか全て沖縄の唄だった・・・これも意味深いかもしれない)

イムジン河の日本語訳を作詞した松山猛氏のインタビュー http://www.jinken.ne.jp/kyousei/matsuyama/
参照:『パッチギ love&peace』批評

http://www.youtube.com/watch?v=ibh_sHE8YOc:movie:W300http://www.youtube.com/watch?v=wBrNDaU9PrI:movie:W300