『ブラッド・ダイヤモンド』

●血のダイヤモンド、血塗られたダイヤモンド・・・紛争ダイヤモンド・・・・初めて知る言葉であった。利益追求至上主義、金を稼ぎ、それで楽をする、そこで犠牲になるものは巧妙に布を被せる。暴走した資本主義の権化であるアメリカとその経済、豊かさは自分たちの作る歪みを後進国や戦争当事国に塗り付け、覆い被せ、その上に成り立ってきた。そしてその一連の流れの端っこに日本も座しているのだろうが。

●狂った資本主義、経済優先主義が生み出した偏った裕福、その裕福さは、自分たちが声を上げて叫んでいる世界の平和ではなく、戦争を助長することによってもたらされている・・・巧妙にその仕組みは隠され、利益を提供する富の所有者側は騙されている、いや気が付いているが自分は知らぬ存ぜぬか?だが、裕福さのなかで己をきらびやかにすべく手に入れたダイヤモンドは、シェラレオネでの内戦、虐殺からもたらされている。この告発は暴走した資本主義国家アメリカの暴走資本主義に上手く乗じた階層には痛烈なダメージを与える。何重にも塗り重ねた偽善の仮面をびらびらと引き剥がす。そこには弁明のしようのない慌てふためき、困惑し、己を取り繕い、自己保身に走る顔しかない。

●この映画が公開されたとき、アメリ国務省が映画の内容に関して抗議、批判したという。「今はこんなことは我々アメリカはやっていない」と。自分達の恥部を公に曝け出され慌てふためいた。アメリカが抱え、隠蔽する、自らの資本主義を保持し私服を肥やす為の恥部はこのブラッド・ダイヤモンドの何百倍在ることだろうか・・・・。

●メジャーなスタジオがメジャーな俳優と監督を使い、大予算で自国の恥部を取り上げた映画を作る。アメリカの最大産業、最大輸出品である映画においてそういったことを行なうというのは最近ちょくちょく見受けられる傾向だ。このブログの中でもそういったアメリカの自己批判、反省、後悔、自国政府に対する映画を用いた告発を何度か書いてきた。アメリカという国はもう行き詰まり、どうにもならなくなり、もがいているのであろうと。だが、最近ちょっと思うところが変わってきている。

●大なる悪を隠蔽するために、自分の真の部分に影響を及ぼさない程度に調度良い悪を自ら表に出す。そして非難を受け、反省の姿を示し、その一部の悪を悔い改める。しかしそれはより大きな悪に告発の手が伸びてこないようにするためのスケープゴートなのだ。最近目立つようになったアメリカの、アメリカ人の、ハリウッドの映画産業での自国批判、自国告発、自己反省、贖罪の取り上げ方は、アメリカへのより大きな、徹底的な、根本的な批判をかわすためのスケープゴートなのではないのかと感じるようになってきた。

●この「ブラッド・ダイヤモンド」という作品はアメリカ人のダイヤモンド欲に起因するダイヤ産出国の現実問題、内紛、殺戮、戦争というものに言及している。その問題を当事者であるアメリカに対して突きつけている。こういったメジャーな大作で紛争ダイヤの問題を取り上げることは世界中の多くの人に紛争ダイヤとそれにまつわる悲惨な現状を認識させる大きな役に立つことであろう。だが、この映画を観終えて、なにか釈然としないものが、わだかまりが残る。それはこの映画が完全に娯楽作品になっていることだ。

●一つの映画としてこの作品はしっかりと出来ている、アクション、サスペンス、人間ドラマ、多様な要素を取り入れていかにもハリウッド的なきっちりとした娯楽=エンターテイメント作品だ。そして、この作品はエンターテイメントが明らかに主軸にある。紛争ダイヤモンドという厳しい現実の問題を物語の端緒としながらも、その現実問題に対する厳しい目は薄い。こんな酷く厳しい問題をテーマとして扱いながらも、この映画はそのテーマを漂わせるだけに過ぎない。そのテーマに本気で四つに組もうとはしていない。本気で告発(accuse)をしていない。この作品はアクション映画に社会性をスパイスとしてちょっとブレンドした本質娯楽映画である。紛争ダイヤモンドの問題は味付けとして利用されているのだ。

●この作品、観賞後はアクション映画としての印象が圧倒的に強く、娯楽作品を観た楽しさは残れど、ブラッドダイヤモンドにまつわる裏の世界の告発の部分の印象が薄くしか残らない。ある映画評では「紛争ダイヤの問題を正面から取り上げ、説教するのではなく、アクションとして描いたのが見事」と書いているものもある。だが自分の感覚ははまるで逆だ。敢えてアメリカ社会や映画産業が関わる重要な部分のタブーを取り上げたとする向きもある。だが自分の感覚はそれも違う。一見そういった問題告発を内包した社会性の高い作品のように見えても、実はそれはスケープゴートではないのかと訝しく感じる。この映画は厳しい現実問題を取り扱い、そこに関わる人間を告発しているように見えて、実はそれにたいする真剣さやは薄く、告発が手柔らかだ。

●娯楽作品の中に重要な社会問題をスパイスとして入れて利用している。その姿勢が作品のなかから見え隠れしている。この映画には、この監督やこの映画を作った製作陣、そしてスタジオの姿勢には大きな偽善が感じられる。だから自分はこの映画に拒否感を感じる、作った人々に嫌悪感すら覚えてしまう。

●娯楽作品としては立派な出来上がりなのだが・・・この映画を自分は評価する気持ちになれない。

●ダイヤの大産出国であるシェラレオーネは成人の平均寿命が30数歳だという。繰り返される内戦、テロ、クーデターで多くの人が若くして死ぬ確率が非常に高いからだという。トップクラスに危険な国だという事だが、そこを訪れた人の話しでは大人も、子供も普通の人は皆優しく平和的だったという。余りに長く続く争いの中で、普通の人々は切実に平和を願っている。争いが終わることを願っている・・・・だから治安の良いとされる国よりも、普通の人々はもっと優しく、もっと平和的なのだという。・・・・・争いの継続がもたらした人が本当に求めているものへの枯渇なのだという。