『レッドクリフ Part I』

●戦闘シーンに迫力がまったく感じられないのはなぜだ? 人の頭数だけは多いのだが、何十万人もの兵が争っているというイメージが全く伝わってこない。
不思議なほど。
黒澤映画で素晴らしく迫力ある戦のシーンを沢山観たからだろうか? それにしても戦が小振りだ。この辺はやはり黒澤明とは比べようもないほど劣る。

●個々の将はそれぞれ実にいい役者を揃えている。顔つきだけで演技できるような超一流が勢揃いだ。役者の認知度が低いせいもあるだろうが、先入観がないのでまるで本物の武将のように思えてしまう。

●武将に引き替え、ぞろぞろと大勢居る兵卒にこの映画の大きな問題点がある。映しだされた兵卒のどの顔にも緊張感が無い。戦いのシーンでものらりくらりと動いている。槍を構えていざ合戦、衝突というときも早歩きのごとくゆっくりぶつかっている。殆どが中国でのエキストラなのだろが、この大勢のエキストラがコントロールされていない。ここからここまでこうゆうふうに動くのだという指示を出して、その通りにしているのだが、どうも「ああ、疲れるなぁ、早くこのシーン撮り終わんねぇかなぁ。真面目にやってられねぇ」という感じで動いているのだ。兵卒にそういう雰囲気が嫌というほど出ている。
きっと合戦のシーンに緊迫感や迫力が無い大きな原因はこのせいであろう。

●一人ひとりの武将にフォーカスした立ち回りは実によく計算されていて、流石中国映画、流石ジョン・ウーという芸術性まで感じるのだが、それはあくまで一人の武将の戦い方に画面がフォーカスしたときに限る。全体の合戦シーンになると途端にダラダラとした締まりのない絵に陥る。

ジョン・ウーにはこんな大規模な合戦を撮る力量はなかった。こんな合戦シーンならロード・オブ・ザ・リングCGI方が数十倍迫力があった。黒澤映画なら数百倍の迫力だ。ジョン・ウーは戦争、合戦の撮影を、それこそ黒澤映画などを観てもっともっと研究しこの映画に取り入れるべきだった。

中村獅童甘興役は思ったほど悪くはなかったが、これは明らかな対日本人向けのフック。日本での話題作りと宣伝のネタ素材としても役に立つ使い方。こういうあざといやり方は映画製作の一部としてもう一般的ではあるが、自分は好きにはなれない。これで日本での興行が少しかは上に動くのか? 少しは動くだろうけど。

三国志は中国の古い話しだが、日本人なら知らない人の方が少ない。自分は横山光輝の漫画がまっさきに思い浮かぶが、小説やら漫画やら学校教育やらで必ず聞かされる話しだから、馴染み深い歴史絵巻であろう。だが、実際には武将の名前などは何人かは知っているが、話全体まで知識があるという人となると限られてくる。そういう意味ではこの映画、結構丁寧に国と国との戦いや武将の個性などを描いているので三国志入門としてもいいのかもしれない。それでもやはりこれだけ登場人物が多くいと人間関係を理解するのもちょっとしんどい。漢語の名前もスッと頭に入ってこないから覚えにくいし。だから顔で覚えて話しを追っているという感じになる。映画という分かりやすい表現手段になっているとはいえ、いきなりこれだけの話を全て頭の中で理解するのは難しい。そこは長大な三国志を映画にしたのだから仕方ないと割り切るしかない。

●2時間25分の長さは流石に後半ではだれた。

●パート1はこれから始まる赤壁の戦いの前段階というところで終わる。よおし、やっとこれから本格的な戦いが始まるんだな、というところでパート2に続くとなる。仕方が無いとはいえ、これは素直にがっかり。2時間30分近く映画を見ておきながら中途半端な気持ちで映画館を出ることになる。これも正直気持ちの良いものではない。しかもパート2の公開は来年の4月だという、半年も先。戦略としてこれでいいのか?  半年先にはストーリーがうろ覚えになっている。パート2公開前にパート1をソフト化して販売するからそれを観てね!ということなのだろうが、一本のストーリー、一つの映画としての臨場感や高揚感は大いに削がれる。パート2も観ることにはなるだろうが、こういう映画の作り方、興行の仕方ははっきり言って、最低!!である。

キル・ビルも1,2を期間をあけて公開という似たようなことしてコケている。映画を劇場で観る。感動してすっきりして、晴れ晴れとして、いろんな気持ちをもって劇場を出てくる。そして映画のことを、ストーリーを語り合う。そんなことが映画鑑賞の大きな楽しみでもあるし醍醐味でもあるのだ。そういう映画というものの楽しみ方をこの映画は、この映画の興行の仕方は全然分かっていない。映画を観る観客の側の気持ちを全然理解していない。この映画からプンプンと臭うのはビジネス、金儲けの作為ばかりだ。

●「まぼろしの邪馬台国」もそうだったが、この映画も三国志ということで観客層は若いカップルなどよりも中高年齢層が中心になるだろう。美男子の男優を沢山登場させているから、それを目当ての若い女性客層も掴めるか?とも思うが、たぶんイケメン俳優を観に来てうっとりしているのは主婦や中年のおばさんたちだろう。

●唯一、この映画を観てこれは良かったなというのは小喬役のリン・チーリンを見れたことか。正直リン・チーリンのしっとりとして潤いを漂わせたような美しさにはうっとりとしてしまった。久しぶりに美しい女優をみたなという感じである。「グリーン・ディステニー」でチャン・ツィー・イーを見たときと同じような気持ちになった。なんて美しい女優なんだろうと。(これじゃイケメン男優目当てのおばちゃんと変わりないが)

●久しぶりに大規模な宣伝をしている映画だが、果たして興行成績はどこまで伸びるかな? この内容とこの長さでは思ったほどは行かないだろうと予想するけれど。

追記:ヤフーの映画評を見ていたら、この映画が「前後編に分れた二本ものだという告知が公開二週間前位からしかされなかった。Part1という見出しも告知もしないで宣伝していた。」というのがあった。ん、確かにそうだ。事前の告知物にもポスターにも予告編にもPart1という表記は無かった。故意に抜かれていた・・・・なるほど、確かに自分も「あれ、これって二部作だったの」とつい先日気が付いた。自分も騙されていた一人か。まあそれならそれでいいと流していたんだけれど・・・。

●Part1の無粋な終わり方は非常に腹立たしい。それをギリギリまで隠して行こうとしていた魂胆はさらに腹立たしい。観客側の事は一切無視というわけだ。二部作ということを隠したのも、この映画の宣伝担当者、広告代理店が戦略として考えたことだろう。もうすべてに金儲け、拝金主義の臭いがする。しかもその臭いがあからさまでやりかたがミエミエというのが愚かである。金儲けの戦略くむならもっと巧みにその小汚さが見えないようにでもすればいいものを。大枚叩いてるから広告代理店も頑張ってPR戦略というより回収戦略を組んだのだろうが、こういう宣伝でもチケットばらまきでもなんでも、えげつないやりかたをした映画は大抵評価されない。後々に渡ってそういうことをしたという話が体臭のように作品に付きまとう。いつまでも「あの映画ってこうだんたんだよね」と語り続けられる。それは今までの山ほどある事例が示しているのだ。愚挙は期間をおいて繰り返される。