『トラトラトラ』(1970)

●超が付くほど有名なのに長い間観ないまま来てしまった一作。

黒澤明が監督を解任された後、日本側監督として舛田利雄深作欣二の二人が選ばれ、最終的にはアメリカ主導で完成に至ったというべきであろう。

●映画開始早々から戦艦の上にずらり並ぶ白服の海軍兵士とそのバックに流れるチャラリララ〜という妙な和楽。余りのアンマッチさに、これはダメだなと思ってしまう。いかにも日本という雰囲気を強調しようとした外人がやりそうなことである。監督が黒澤明であったら映画の最初からこんな妙チクリンなシーンを入れようはずも無いであろう。

●その後も、どうも精彩のない抑揚もないだらだらと絞まりの無い感じのシーンが続き、これは飽きるな。この映画は話題にはなったが、つまらない作品であったのかと思いつつ観続けていた。しかし、真珠湾攻撃のシーンが始まるとそのリアルさに退屈感は驚きに変わった。

●リアルさ、ではなく、そのままリアルとでも言うべきか? この映画が製作された1970年頃はCGなんてあるべくもなく、飛んでいるゼロ戦も爆破シーンも全て実物。戦艦などはセットや模型を使っている部分もあるとは思うが、とにかく飛んでいる戦闘機、飛行場の爆破シーンなど全てが本物の凄さでCG慣れしてしまった目には驚きのリアルさであった。

●今の映像のようなスピード感はない。飛行機も最初はなんだかゆったり飛んでいるなぁと思えていたのだが、実際に飛んでいる戦闘機を別の飛行機から撮影しているわけで、動き自体はスローに感じるのだが本当の飛行シーンであるから絵の重さと熱さが圧倒的に違う。

●実物の撮影だとここまで場面にリアル感が出てくるのだなぁと痛切に実感。

空爆を受け、爆破する飛行機の側から逃げ出す米兵の姿など、嘘偽りのない必死さ。そうであろう、実際に自分の直ぐ近くで実際の爆発が起きているのだから。腰が抜けて這うように逃げる兵士なども、演技では無いからそのシーンのリアルさがひしと画面から伝わってくる。爆破した飛行機のプロペラが吹き飛び転がっていくシーンなどはよくCGで使われているが、この映画の中では本当にプロペラが吹き飛び、転がるプロペラと逃げる兵士の姿までも画面に映し出されている。

●1970年の映画、今から40年近くも古い映画だが、こうして実際に飛んでいる飛行機を撮影し、実物の飛行機が爆弾を落とし、飛行場が爆破しというなにもかもが実物で作られた映画は製作費も凄かったであろうし、その撮影も相当な難しさを乗り越えて行われたものであろう。これだけの空襲シーンを実際に再現し、それを何台ものカメラで撮影し、良いシーンを巧みに繋ぎ合せたものだろうから、よくぞこれだけのシーンを作ったものだともう感嘆してしまう。

●昨今のCG映像、そのスピード感、迫力感はもう実物と見間違う程なのではあるが、やはりこれはCGなんだよなと醒めた目で見てしまっている。それに引き換えこのトラトラトラの映像はまるで違う。スピード感なんてものを強調しなくても生の迫力がCG映像の何十倍も感じられる。やはりこれがスペクタクルの映像であり、これが映画なのだと息を呑むばかり。この感じは地獄の黙示録にもあった。

●最初はつまらない映画かと思っていたが、久しぶりにこれが生、これがリアルという凄さを認識させられた。やはりこの時代の映画作りは今とは違って手の掛け方、力の入れ方が格段に違うなと思う。凄い映像である。

●映画のストーリーそのものはちょっと気だるくはある。それにしてもこの映画、アメリカ主導で作られたというのに、中身は真珠湾攻撃に至るまでのアメリカ側の不手際、実際には攻撃が行われるであろうことを知っていながら故意かどうか、その情報を放置した。また、日本側に最初に攻撃させ開戦の口実を作ろうとしたなど、アメリカ側のマイナス面がたくさん語られている。

●この映画を観ると「リメンバー・パールハーバー」という言葉はいかにも日本に対する敵対心を煽ろうとし、真珠湾攻撃をその象徴として利用しようとして吐き出され言葉なんだと思えてくる。アメリカ人が「実際には真珠湾攻撃は事前に分かっていた」ということをあからさまに描いている点は、ある意味凄いことであり、驚きである。製作陣の懐の大きさ、歴史に対する正視した眼差しを感じ驚く。

●この映画はアメリカでは非常に不人気でヒットしなかったということだが、確かにこれだけアメリカ側のミスを露にし、真珠湾攻撃におけるアメリカ側の対処の拙さをモロに描いているのではアメリカ人がこれを見てもイイ気持ちにはなれないであろう。「なんでアメリカ人がこんな映画を作るんだ」とでも観客は思っていたのではないだろうか? 

●しかし、今も度々「リメンバー・パールハーバー」と言っている連中には、この映画を観てどう思うのかを聞いてみたいものだ。「この映画は嘘だ」とか言うのかもしれないが、現状のアメリカ世論は完全に真珠湾攻撃は日本の奇襲であり、アメリカはその奇襲で甚大な被害を受けた、日本は卑怯だとなっているのだから。そう思想コントロールされているわけだから。

●色々と曰く付きの作品であり、登場人物、セリフ、シーンなど語り始めたらキリがないほどあれこれ話題があるようだ。しかし、攻撃シーンは凄いの一言だが、映画としては今ひとつ締りが無く、全体のストーリーとしてはダイナミズムもなく、活劇というものでもなく、ラストに至っても「こんな終わり方?」と思うような出来でもある。しかし、やはりこれは映画の歴史に名を残す一作であろう。こういった映画はもう二度と作られることは無いだろうし。

●長年にわたって観よう観ようと思いつつ観ることの無かった作品であるが、戦争シーン、爆撃シーンなどの本物の映像を感じたいと思うときには今後もこの作品を繰り返し観ることになりそうである。


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●ハリウッドが真珠湾攻撃を日米双方の視点から描き、一本の作品としようと試み、日本側の監督として黒澤明を指名。しかし黒澤明は撮影途中で病気だ、ノイローゼだ、奇行を重ね、頭がおかしくなったなどとして監督を降板させられる。この顛末と、本当に黒澤明はノイローゼだったのか、頭がおかしくなっていたのか、黒澤降板の真相などは様々な書物で色々に書かれている。日米の映画の撮影方法、予算、映画作りのシステム、そしてプロデューサーの思惑、無知、誤魔化しなど、この映画と黒澤明に関する事は下記の二つの書物で概要を知った。この映画に関わったたくさんの人の証言、当時の様子などを如何に集積しても、最終的には日本側プロデューサーであった青柳哲郎が口を開き真実を包み隠さず話さなければ、真相は未来永劫闇の中に埋もれたままであろう。

黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて』 田草川 弘

『回想 黒澤明』 黒澤 和子

参照:文藝春秋 自著を語る(本の話より)「黒澤明、今だから話そう」トラ・トラ・トラ監督解任前後の事 田草川弘野上照代
http://www.bunshun.co.jp/jicho/toratora/toratora02.htm

真相を握る人物であり、詐欺師だ、問題の根源人物だなどと言われ、黒澤明当人からも最終的には蔑まれ、追いやられたプロデューサー青柳哲郎を未だに野上照代田草川弘が”哲ちゃん”と呼んでいるのが不思議でも不気味でもある。ある意味当時若かった青柳哲夫をこんな風に、まるで粗相をした弟か子供をかまってってやるような態度で、大目に見てしまっている当時の黒澤組の人たちの姿勢も真相を闇に留めてしまっている一原因ではないだろうか。黒澤明の側近中の側近である野上照代がこんな大事件の、黒澤明を貶めた張本人とされる青柳哲郎を「テッちゃん」と未だに愛称で呼び、前述の書物を執筆した田草川弘も青柳哲郎を「テッちゃん」と呼んでいる。なんだか黒澤明を守るべき回りの人までもが青柳哲郎という人物に丸め込まれてしまっているのではないかとさえ思ってしまう。
黒澤明集成3』の「『トラトラトラ』と黒澤明問題」というキネマ旬報に連載されたルポを読んでみれば、青柳哲郎を巡る様々な事実があからさまにされている。田草川弘の著作ではそういった部分はあまり取り上げられてはいない。これでは”その謎のすべて”という書物の題ではありながら、とても”すべて”とは思えない。田草川弘も青柳哲郎を擁護する気持ちがかなり入った上で書を書き進めたというようにしか思えない。
「『トラトラトラ』と黒澤明問題」はかなり厳しく青柳哲郎の行動を曝け出しているが、これを読むと異常な行動をしていたのは黒澤明ではなく青柳哲郎ではないかとさえ思えてしまう。問題となる日本側プロデューサー青柳哲郎は公開された質問にも答えず、誰からの問いかけにも口を閉ざしている。それはそのまま自分の非を肯定していることに他ならぬ。どれだけ行為を大目に見てやろうとしてもそれは確かだ。

結局、黒澤明をトラトラトラの監督から解任に追い込んだのは黒澤明自身の行動もあるが、やはり青柳哲郎の詐欺的な行為であり、それを数十年経ったいまとなっても有耶無耶な状態のままでおいているのは何よりも黒澤明を慕い信奉していた、その当時から黒澤明の側に居た人たちの、正常ではない青柳哲郎に対する甘さなのではないかと思えるのだ。

黒澤明を支えていた一部の人たちの青柳哲郎を庇いだてする態度と行為こそが、あなた達のそんな気持ちこそが、逆に、より一層黒澤明を苦しめ、貶める要因になったのではないの?そう言いたい気分である。