『椿三十郎』(2007)

●「悪い脚本の後に良い監督も良い映画も生まれることはない」「監督の前に脚本アリ」「映画は脚本60,キャスティング30,演出10」などと言われる映画製作の名言が実に良く分る作品。

●名脚本家3人が練りに練ったこの脚本は流石。話しの展開が非常に巧い、面白い。黒澤版のオリジナルを見ていない人でも、このリメイクは映画としてそこそこに楽しめるであろう。いや、却ってオリジナルを見ていない人のほうが素直に作品を観ることが出来るかもしれない。

●最近はロクな映画を撮っていない森田芳光であるが、この「椿三十郎」に関してはそこそこの出来だ。映画公開時はかなり評判が悪かったので結局観ないでしまったのだが、改めて今ゆっくり見てみるとまともな出来上がりである。それもこれも、名作である黒澤版「椿三十郎」をきっちりと再現しようとし、妙なアレンジを加えないで大筋ではオリジナルに忠実に映画を撮ったことによる功績である。やはり、それほどまでに脚本の良さというものは大事なのだと認識させられる。良い脚本があれば、ダメダメ映画ばかりを撮り続けている監督でもこれだけの作品を撮れるのだ。ましてや撮影の構図からカット割りまでをも極力オリジナルに忠実に撮影したということなのだから、良い脚本の上に、良い映画監督の最高級のお手本があり、それをきちんとなぞったのだ、ここまでして悪い作品になろうはずもあるまいか。

●昨年の黒澤作品のリメイクでは樋口監督が「隠し砦の三悪人」をリメイクではなく、リボーンだと称して撮影し、全くもってグシャグシャな映画にしてしまったが。(これは脚本家とプロデューサーの姿勢にも大問題アリ)あのどうしょうもない2007年度版「隠し砦の三悪人」の、あの卒倒しそうになる長澤まさみらの「裏切り御免」のセリフを聞くよりは、オリジナルに沿った森田芳光の「椿三十郎」の方が数十倍良い。樋口版「隠し砦の三悪人」は最悪の映画であった。森田版「椿三十郎」は充分に面白い作品である。(監督の力によるところではないというのは前述の通り)

●但しだ、黒澤版と比較すると、これは相当に落ちる。一つの作品としてはそこそこだが、オリジナルがやはり圧倒的に素晴らしい出来であるため、比べて観てしまっては森田版がいかに黒澤版をなぞっていても、それを超えることは出来ていない、やはりそこまでは無理だなというのがあざあざと分かってしまう。やはり巨匠黒澤との比較は森田にとっても可哀想であろうとしか言えない。それほどまでに黒澤版は素晴らしい出来なのであるから。

●森田がオリジナルを忠実に再現したといっても、演出のミスやら変更などは所々にある。

●映画が始まって直ぐに「これじゃあ変だろう」と気がつくのが椿三十郎の登場の仕方。オリジナルでは密談している若侍たちに真っ暗な奥の間から「ふぁぁぁ」と椿のあくび声が聞こえ、そこで椿三十郎が寝ていたのだなと分かるのだが、森田版ではいきなり密談の中に「ちょっとマッタァ」と現れる。この二つの演出の違いは大きい。森田版では椿三十郎がまるで奥に隠れて本当に盗み聞きしていたかのようだ。黒澤版は奥で堂々我関せずと寝ていたということが分かるだけで椿三十郎のキャラクターが明瞭に観る側に伝わる。これだけのワンシーンだが、やはり黒澤版は優れている。森田版との差は非常に大きい。

●また、森田版では登場した椿三十郎の衣装が非常に綺麗だ。旅籠代もなく、しばらく飯も食っていないほど貧乏な浪人侍なのに、紋付袴が全然汚れていない。これでは貧乏暮らしして社殿で寝転がっている浪人というイメージと折り合わない。後半に井坂が「あの人は着ているものは汚いが・・」というセリフまであるのに、着ている物がこざっぱりして綺麗なのだ。これは詰めが甘すぎる。細部までこだわって作られた黒澤組の映画とのレベルの違いを感じざるを得ない。

●映画史に残るワンシーンとして有名な、ラストでの椿三十郎と室戸半兵衛の対決シーン、そして室戸半兵衛の血しぶき噴出シーンはなぜ変更されたのだろう?最後の最後で豪快で強烈な見せ場を作り映画を観る興奮を最高に高めるという、黒澤版の演出が敢えて森田版では外されている。このあたりは大いに疑問。お陰で森田版はいまいち締まりが悪い結末になっている。

●黒澤版は白黒映画であったが、椿三十郎の髪は鬢まで縮れ毛が荒れ、全く整髪されていない。無精髭もいかにもという感じで汚らしく、また衣装の襟などは白黒でありながらもピカピカとテカリが出ているのが分かる。こういった細かなところで椿三十郎の貧乏浪人具合が観客には手に取るように分かるようになっているのだが、森田版ではそういった細かなツメは殆どされていない。こういった小さなことの積み重ねが映画全体の雰囲気をも支配しているのだ。残念ながら森田版はそういう部分では大きく劣っている。

●この映画の二人の主役だが、黒澤版と比べると、どうも軽い。ずっしりとした役の重さが顔に出ていない。織田祐二には三船敏郎が滲ませていたような本当の武士の強さ、凄みがまるで感じられない。豊川悦司にしても汚職した悪の側に付き武士でありながらも不正者の用心棒として生きる糧を稼ぐ悪人の面は出ていない。だから作品にも重厚感やリアルさが薄いのだ。

椿三十郎役:三船敏郎 42歳、織田祐二 30歳、 室戸半兵衛役:仲代達也 30歳 豊川悦司 45歳 織田祐二は頭が切れて狡賢く、剣の腕も相当という役柄には少しばかり合ってないか。顔格好にもむさ苦しさやうっとうしさが感じられないと貧乏浪人というイメージが沸かないのだ。仲代達也はあの当時で30歳か。それにしては目つきといい、立ち回り、凄みの利いた声といい、いかにも悪というイメージが如実に出ている。それに引き換え豊川悦司は尖がり具合もイマイチだし、顔つきが優しすぎるか?仲代達也は目だけでも凄みを表現できているのだから。こればかりは役者の器の違いと言わざるを得ない。

●黒澤版と比べてしまうと大分見劣りしてしまうのだが、仮に黒澤作品を観ていない人が森田版を観たら、そこそこ以上には楽しめる充分なエンターテイメント作品として仕上がってはいる。それほど酷い出来ではない(監督の力量によるところではないというのは前述のとおり)敢えて言うなら、森田版「椿三十郎」を観て、これは面白かったと楽しめた人が、それじゃあオリジナルも観てみようかな、となったときに初めてボロが出てきてしまう。そういう作品である。それにしても昨今のどうしょうもない邦画よりはずっとマシである。