『亀も空を飛ぶ』(2004)

●最初の30分が苦痛だった、クルド人の村でアンテナの修理をしたり、出会った女の子の注意を引こうと変なことをしたり、子供達を従えてああだこうだと指図するサテライトという子供の姿が妙に白々しく、ノイジーで、絵から何かを感じさせるものが全くやって来なかった。途中で出ようかと思ったほどだった。イラクでの戦争の悲劇を描いた作品だと聞いていたのに、なんだこれは?という感じで。

●まあ最初の30分は、一つの対位法でとしてあの部分を冒頭に置いたのであろうけど。少し長すぎた、五月蝿すぎた。だが、子供たちだけではなく、大人も含めて皆が、戦争や弾圧の中で希望を失わず、明るく今を生きているんだというこのがあったからこそ、この映画は悲惨さだけでなく、希望を持ちえているということになるのだろうなぁ。悲劇だけを連ねて全編を作っていったら、いたたまれない、暗く、重いだけの作品になっていただろうし。

●子供たちが僅かでも現金収入を得るため地雷原から地雷を拾い上げている姿。両腕を吹き飛ばされた少年が地面を這って、口先で地雷を摘み上げている姿。フセイン政権下でのクルド人弾圧で、フセイン軍の兵士が幼い処女を強姦している姿。その強姦によって身篭もってしまい、幼いながらも子供を生んだ少女。生まれた子供は、目が見えず、母親となってしまった少女も「フセイン軍の兵士が生み付けた子供など欲しくない」と、生まれてしまった子供を嫌悪する。子供には何の罪もない・・・。

●こんな状況下でも子供たちの姿は元気に生き生きと描かれている。こんな状況の中でも出会った少女に恋をし、振り向いてもらえないのに、なんとかその子の注意を引きつけようと努力するサテライト。

●頑張り、元気に、ある意味無邪気に生を求めて生きている子供たちの姿が、戦争に対する至上のアンチテーゼになっているわけなのだな。

●愛することの出来ない自分の子供を夜中に森の中に引き連れていき、木に結びつけて置き去りにしてくる少女。子供は夜の間にヒモを解き、我知らずに地雷原の中に迷い込む。その子供を助けようとするサテライト。しかし地雷は爆発し、子供は吹き飛ぶ。何とか助かったサテライト、だが、母親である少女は崖から実を投じて自らの命を絶つ。

●後半は飲み込んだ息を吐き出せないような重苦しさ。

●両腕を失った少女の兄は予知夢を見る。そしてその予知夢は当り、アメリカ軍がイラクに進行してくる。弾圧されたこの村の人々はアメリカ軍を歓迎し、自分たちを弾圧したフセイン政権が倒れることに歓喜する。

●だが、フセイン政権の弾圧が消えても、その後、また別の悲劇がイラクでは起きる。進行したアメリカ軍がもたらす悲劇だ。

●一つの状況が変わり、何かが良くなっても、また直ぐその次に別の苦しみが舞い降りてくる。そんな中でも人は生きていかなければならない。

●こんなことが実際に自分たちが生きている今と並行してリアルタイムで起きているわけなのだから・・・・。

●「亀も空を飛ぶ」というのは”なんだって、できないこてとはない”という比喩らしい・・・・そうか、それは本当だろうか?

●この映画を通して、この状況を見る、そして知る、ただそれだけである。何もしない、何もできない、ただわなわなと震える・・・・それしかできないのが今の自分である。