『フォッグ・オブ・ウォー』(2003)

マクナマラ 元米国防長官の告白

マクナマラ元米国防長官の告白。戦争の記録映像、大統領との会話音声なども混ぜて編集してあるが、2時間殆どが老人マクナマラがしゃべりまくる独白のようなもの。あまりに問題のある発言などはカットしてあるのだろうが、それでもそのままの状態にかなり近い。

●個々の発言の是非を一概に判断するわけにはいかない。良しとするものもあれば甚だしく不快、非道徳、非人道的というものもある。しかし発言の内容、真意はどうあれ20世紀の政治、歴史資料として一定の価値はあるだろう。年老いたレイムド・ダックが喚き散らすかのような姿は見ていて気持ちのいいものではないが。

マクナマラの発言の間に挟まれる、NHKの戦争ドキュメンタリーのような実際の戦争、空爆の映像のほうがはるかに興味深い。

●戦争の映像とマクナマラの発言を交互に観ていると、ほんの数十年前に人間は、人類はなんて愚かなことをしていたのだろうという思いが諦めとともに沸き上がってくる。

●第2時世界大戦、日本空爆、原爆投下、ベトナム戦争キューバ危機、20世紀の戦争の中で強権をふるい大国アメリカとその軍隊を動かしていた男。このドキュメンタリー映画で映し出されるマクナマラ老いた姿にはその威厳も威光も感じられない。俺はやったんだ、やらざるを得なかったんだ、俺がやらなければもっと悪いことになっていた、俺は間違っていない、と自分を正当化しようとする悲しきレイムド・ダックの姿でしかない。

●9.11の同時多発テロから始まり、アフガン紛争からイラク戦争へと国際世論も捩じ曲げ、ねじ伏せて強行していったアメリカとブッシュ。その愚挙を重ねつつけていた2003年、アメリカ政府の方針や戦争突入に反対することが非難され、表立って平和主義を声に出すことが憚られるような状況がアメリカの中にあった。そのど真ん中でなぜこんな映画が作られたか。

●このドキュメンタリー映画老いマクナマラが喚く姿を2時間たっぷりと見せることで、その哀れで惨めなかって権力の中枢にいた男の姿を見せることで、アメリカという国はこんな人物ととも愚かしい歴史を刻んできたのだと遠回しに伝えようとしている。俺たちの国はこんなことをやってきた、そして今また同じことを繰り返そうとしている、それでいいのか? 俺たちの国は今またアフガニスタンイラクで同じ過ちを繰り返そうとしているんじゃないのか、この男の姿を見て、言っていることを聞いてそうおもわないか? そう訴えるために作った映画なのではないだろうか?

●あのベトナム戦争アメリカの若者を十数万人も送り込み戦死させた愚かさを、この映画を見たアメリカ人は再認識し、ブッシュや企業の金儲けのために中東へ若者が送られることを阻止する、ウソの戦争を継続することに反対する、この映画をそのきっかけにしたい。この映画の製作者はそれを願ったのかもしれない。だが、アメリカ人はこんな映画を突き付けられても、ブッシュの再選を許し、大義のないウソの戦争を継続させた。戦争反対の運動やデモは弾圧され押し潰された。銃口を人民に突き付けないとしてもそれは今のリビアアラブ諸国の独裁君主国が行っていることと変わりはない。

マクナマラの教訓とされるものが語られている。
教訓1「敵に感情移入せよ」
教訓2「理性は頼りにならない」
教訓3「自己を超える何かがある」
教訓4「効率を最大限に高めよ」
教訓5「戦争にもバランスが必要だ」
教訓6「データを集めよ」
教訓7「信条や見聞にはしばしば間違いがある」
教訓8「論拠を再検証せよ」
教訓9「善をなさんとして悪をなすこともある」
教訓10「“決して”などと決して言うな(Never say never)」
教訓11「人間の本質は変えられない」

こんなものは人生40歳にでもなれば誰でも考えるようなものだ。人間なら誰でも一度や二度は同じようなことを考える。マクナマラの特別な経験から引き出された教訓などというほど示唆に富んだものではない。こんな教訓で話をまとめるなど笑止千万である。ただし、教訓9,10,11だけは彼が戦争と政治という中で嫌というほど感じた重みが少しは宿っているだろう。

シネマ・トゥディ:http://www.cinematoday.jp/movie/T0002339