『ゆきゆきて神軍』

第二次世界大戦終戦直後の部隊内での部下射殺事件、そしてその中で白豚と称しての人肉食の事実。強烈なドキュメンタリー。

●ドキュメンタリーは何故にこれほど面白いのである。人の注意を喚起するのであろう? 人の気持ちを引きつけるのだろう? 奥崎 謙三という人の姿を映しているだけの映像なのに目が離せなくなる。この人の過激な行動、しゃべり、そういうものにもやはり人を引き寄せるなにかがあるようだ。

●戦時中の日本軍内部で人肉食の行為があったということは、今の今までまるで知らなかった。731細菌部隊のことは森村誠一の著作などで一般に知れ渡ることとなったが、独立工兵第36連隊で発生した兵士銃殺事件、そしてそこで行われていた隊員の肉を食って飢えを凌いだということは、殆ど公になっていない、いや、封殺されているのではないか? 日本軍にとって、恥ずべき以上の恥である非人間的な行為、それが同じ日本兵の間で行われていたとは・・・甚だしくショッキングだ。

●それにしても、この作品のもつパワーは強烈だ。映画を観ているというより、映像を目に押し付けられてくるかのようだ。

●こんな強烈な生き方は、それを在りのままに撮影するだけで、こんなにも映画として面白く魅力あるものになるのだな。

●真実の重みの前に映画は負ける。観客を盛り上げ楽しませようとする、演出、演技、装飾、科白、そいったものがこの映画を見ていると白々しく感じる。何の演出も、演技も、見る者に媚びることもなく、ただ撮影しているだけだというのに、作為した演出などよりもよほどこの映画の方が面白い。

●あちこちで賞をとった理由も納得できる。これは作り上げたストーリーの上にある映画を遥かに超越しているのだ。

●非常に面白い。強烈な驚きの作品である。

●脚本家である橋本忍が「複眼の映像」の中で映画「八甲田山」の軍隊シーンについて批判され、こんなことを書いていた。
「軍隊の上官なんてのは、部下に気をつかったり、優しくしたりして、機嫌を取ったりする。上官だからといって、上から何でも部下に強圧的に命令し、軍隊の縦の理屈で強圧的に部下を自分の思い通りに従わせたりは出来ない。イジメを行ったり、鉄拳制裁を加えたりするようなことはまずない。そんなことをして部下に恨みを買ったら、森の中を進行しているときにいつ後ろからズドンと鉄砲で打たれて殺されるかわからない。だから上官だからといって、専制的に振る舞ったり、通らぬことを押し付けるということはできないのだ」大体こんな内容だったと思う。それは八甲田山の雪中行軍の陸軍の描き方にイチャモンを付けて来た人への反論だった。 この映画を見ていて、その橋本忍の言葉が思いだされた。

●「ゆきゆきて神軍」のなかで当時の上官が奥崎 謙三の質問に答える。「食い物も無く、熱帯の森の中を彷徨っていると、いつ仲間に殺されるか分らない。いつ殺されて自分が白豚として仲間に食われてしまうか分らない。だから位が上だからと言って安心していられるものではなかった。自分は感がよかった。深い森のなかでもどっちに行けば開けるだろうとか、どっちに行けば水があるだろうとかが何となく分った。だから自分は利用の価値がある人間ということで殺されることは免れたのだ」と・・・。

●奥崎 謙三は当時軍隊の中でなんども上官を殴り、上官に与えられた食量を奪い自分で食べていたという。上官はそれが知れると自分の名誉と上官としての立場がなくなると、一度も事を表に出さなかったという。殴られても、それで自分の食糧を奪われても、それが下の軍人に取って利用価値があることであるから、自分は殺されることはない。食い物を盗まれているうちは後ろから撃たれることはない。そういうことだったのであろう。

●そんな状況のなかで、何故同じ軍隊にいた二人が撃ち殺されたのか。上官だけでなく、その下の人間も拳銃を撃ったのか・・・・それは、軍隊の規律違反という言い分けを自分に与え、同じ軍隊の軍人二人を殺し、その肉を食うためだったのだろう。

●真実の言葉であろう。戦争という狂気のなかで異国の熱帯雨林の中に投げ込まれ、食い物もなく、ただただ生きるために彷徨った当時の軍隊。そこに所属していた軍人。第一次、第二次大戦、太平洋戦争、日中戦争・・・その他沢山の戦争。映画や小説、テレビで我々の目に触れる戦争の悲惨さは、ごく一部なのであろう。真の悲惨さや、人間性までをも捨てた地獄の状況は、語られ、知らしめられることはないのであろう。