『風立ちぬ』

零戦を作った男の物語と聞いていたので第二次世界大戦やその時の兵器工場などの絵を頭に描いていたのだが・・・、映画が始まるといかにも宮崎アニメといった穏やかで平和そうな昔の町並みの映像が流れる。その風景描写が実に美しく心を和ませる流石という巧さで、アニメーション独特の柔らかい色と映像がほのぼのとした気持ちを醸し出す。しかし、ホッとしてその気持ちに浸っていると、唐突に美しい風景の中を静かに波紋のようなものが走る!「え、なにこれ? これって地震な? いきなり地震がくるのか!」と、ハッと息を飲み込み目を見開いて驚く。静かに地面を伝わり広がっていく波の線がこれから起こることへの身震いするような恐怖の予感を駆り立てる。そして、次に現れたのは幾重にも強烈に上下に揺れ動く家屋と耳の奥まで届き脳みそを振動させるような重低音。まさに今ここで自分が地震のど真ん中にいるような錯覚におちいる。この場面が出てきた時、まさか零戦を作った男の物語に地震が出てくるとは考えてもいなかったため、かなりの衝撃であった。(この上下に揺れ動く家屋の映像は『風の谷のナウシカ』にでてきたオームの外郭の動きに似ている。いかにもジブリ流の表現なのかも。それがこんな地震の描写にも生かされているというのもまた驚き)

・出だしからいきなりこの関東大震災描写地震の描写にとは、これにはガンと頭に衝撃を受けた、そしてこの地震描写はまるで今自分があの3.11の時に戻ったかのように、あの強烈な地震の中にいるかのように激しく怖かった。いままで映画で観た地震の映像でこんなにも本物の地震を感じ、その押し寄せてくる恐怖を感じ。まさに自分が地震のどまんなかにいるような恐怖感を覚えたものは未だかってない。それほどまでにこの地震の描写は凄かった。ざまな実写映画の地震の描写よりも遥かに凄まじく恐ろしかった。3.11の東日本大震災を体験してしまったことも一因かもしれないが。

・そしてその後の大火、逃げ惑うたくさんの人々。一気に心は映画の世界に引きずり込まれた。

・TVのインタビューで宮崎駿は「昭和を描くには関東大震災から始めなければいけない」というようなことを言っていた。(関東大震災は大正に起こったが)巨大地震の後のボロボロの中からの復興ということが昭和の始まりということなのであろう。昭和は日本の真ん中の東京がボロボロになってゼロになって、そこから立ち上がって行く時代だったということであろうか? そして戦争に突入し、再び焼け野原になりまたそこから立ち上がっていく、それが昭和という時代だということであろうか。

・また、宮崎駿は「とにかく軍隊が行進するとか、戦火が広がるとかそういうことは映画着たくなかった、そうしたらドキュメンタリーに取り込まれてしまう」「堀越二郎を描かないと、この国のおかしさは出てこない」とも言っていた。

・なるほど、そういう気持ちで作られた映画なのかと改めて思う部分はあるのだが、実際に自分がこの映画を観た後に感じたものは、先に書いた地震描写の凄まじさはその1つとして、映画を見終えた後にすぐに映画全体として映画全てとして感じた印象は、戦争でも戦争の悲惨さでも、あの頃の軍隊のおかしさや、この国のおかしさでもなくて、《純粋で純粋で純粋極まりない“恋愛”》というものだった。



生きて、生きろ、生きろという言葉は愛する妻への言葉、全人類でも戦争当時の日本人でも、だれにでもなく極めて個人として愛する結核にかかって残り少ない命を灯している妻への言葉。

自分の素直な印象では、宮崎監督が描こうとしていた昭和という時代、戦争、この国のおかしさ・・・そういったものは映画全体から感じ、受け取ることはなかった、部分的にそういう描写があったという記憶は残っているが、全然、マッタク、戦争の映画には思えなかった、感じなかった。純粋な、純粋すぎるほど美しく、汚れない、極めて真っ直ぐでなんのけれんもない本当の純愛物語だと思った。人それぞれであるけど、監督が戦争や昭和を描きたかったと言っていたのに、その作品から受けるものがマまったく違っていたというのは、監督の思いと、描いて出来上がったものが発するものが別の方向を向いているということではなかろうか。そういう意味で皮肉な言い方をすれば、この映画は監督が当初描こうと思っていた思いが伝わってこない、別のものが伝わってくる、つまり描こうとしたものを伝えきれない失敗作という捉え方も出来る。だがそれは作品としての失敗作ということではなく、監督の思いの描き方としての失敗作であり、作品としてはジブリの中でも断トツの素晴らしい作品であると思う。結局宮崎監督には戦争の悲惨さやあの時代やこの国のおかしさを描くことは出来なかったのだ、完成した作品は別のものになっていた、別のものが強く描かれていた。作品には監督の心が宿る。とするならば、監督の優しさや純粋な愛という心がこの映画に強く宿っている、宿ってしまっているのだと思う。そして監督が口にしていた戦争や昭和やこの国のおかしさが描かれていなくても、自分はこれでよいと思う。

・この映画は監督の思いや意図が全然違う方向へ伸びて、発展して作品となった大いなる失敗作であり、だけどそれ以上に、口に出していった考えや思いを遥かに超えて、監督の心が投影され描き写された素晴らしい作品だともいえる。口に出す思いよりも心のなかにある思いのほうが本当なのだ、その人をあらわすものなのだという証明なのかもしれない。

声優の声も実に良かった。