『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』

・『シン・ゴジラ』の公開前に、昨年公開されて映画史上イチニを争う超駄作、どうしょうもない映画と評される『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の前後編を観てみたが・・・。

・なるほど、最近の映画製作にありがちな、人気女優、俳優、アイドルをズラリと並べて出演させれば、それだけ客の入りが見込めるという作品の本質にはほとんど関係のない客寄せキャスティングの典型のような映画。個々にどれだけ人気があろうが、雁首ずらりとならべたところでその人気が累乗して重なっていくわけではない。こういう見苦しく浅ましくおぞましいまでの“雁首並べキャスティング”が行われるようになったのは『20世紀少年』あたりからだろうか。豪華キャスト勢揃い!なんて宣伝コピーじゃ動員は稼げないってことが未だにわからないのか。作品の中身、クオリティーよりも兎に角コケないように、大失敗して自分が責任とらされないようにってことで、人気者、知名度の有る者を集めよう!なんてやって、却って大ゴケを導いているってことに・・・気がついてもそれを是正できない、それが日本映画界というやつかもしれないが。

・それにしても本の酷さは有り余るほどだな。映画になにより大事なのは脚本だというのに、その脚本、物語がここまででたらめでメチャクチャじゃ誰も支持するまい。一本でまとまるような内容の作品を二本に分けて興行収入少しでも稼ごうってのも最近の邦画界のしょうもないところだが、今回の「進撃の巨人」に至っては前編が1時間38分、後編が1時間27分と・・・もうね、そこまでして観客から金を巻き上げたいのかと。前後編二本にするならどっちも2時間ものにして、内容もじっくり練り上げて、どっちを見ても充分満足というのにしろよと! 映画一本分の製作費で撮ったものを冗長に編集して2本仕立てにして鑑賞料倍にして取り上げようという魂胆があまりに酷い。

・監督の樋口真嗣にしろ、脚本に顔をだした映画評論家の町山智浩にしろ、また、今回の映画化に首を出した原作者の諫山創に、この映画のラッシュでも見た時に「なんだこれ、話の整合性がなってない、筋が通ってない、わけわかんないじゃない」って思わなかったというのか。いやぁ、普通に考えたらこれだけメチャクチャな展開で「なんでこうなるの?」ってストーリーに疑問をもたないわけがない。というかもっと最初の脚本の段階で話のつながりがおかしいだろう!って気がつく。そして撮影をしている最中でも、編集をしてるさいちゅうでも、どうかんがえてもフツーにこうくるのは見ていて疑問詞が着くだろうと思うはず。少なくとも映画という世界で仕事をしている人間なら、ギョーカイの外にいる一般の観客よりもその点にかんするアンテナは敏感なはずだ。いやそうでなくてはならない。それが・・・・

・その辺の裏事情に関しては嘘か誠かは不明として、ここに詳しく書いてあった。これを読むと町山は悪くない、悪いのは樋口と渡辺と諫山だ!ってことになってしまうが。http://d.hatena.ne.jp/type-r/20150822

・結局のところ、いろんな人間がいろんなところから首を突っ込んで、自分勝手なことを主張して、エゴモロ出しにして、ひとつの作品としての全体像を誰も見ることをせず、あっちこっちをネズミがガシガシ齧ってボロボロにするように脚本と映画をボロボロにしてしまったということだろう。

・正直、樋口真嗣にはアクションシーンや特撮シーンなどの「シーンをつくる」ことにかけては秀逸だと認めてはいるが、こと物語を紡ぐということ、一本の映画として物語をまとめあげるという能力にかんしてはもうダメダメどころかゼロといってしまってもいいくらいだ。特撮に力を集中させて監督なんて大業には今後手を出さない方がいい、出すのだとしたら脚本家が綿密に組み上げた映画の設計図である脚本を一字一句修正せず、脚本のままに映画として撮り上げることだろう。残念ながらこの『進撃の巨人』においては脚本そのものが最初からダメだった上にさらに改悪が随所に繰り返され、最後には見るも無残なボロボロつぎはぎだらけで、ストーリーにリズムも一貫性もなにもない最低映画に成り下がってしまったというほかあるまい。

・最初にキャスティングのことを書いたが、一人ひとり単独で見てみると、石原さとみにあのクレイジーなトンデモキャラをやらせたのは良かった。(話としてではなく、単純に一人のキャラとしてだ)映画のなかでは浮きまくりトンデモまくりだったが、石原さとみにあの手のキャラクターがこれほどピッタリとは驚きでもあった。

水原希子もミカサ役として映画のなかで他の登場人物と絡むと、なんだかなぁ〜という感じだが、じっと黙って何かを訴えるようなシーンで一人だけスクリーンに映っていると、なかなか味のある顔だし、顔だけで演技が出来る風でもある。顔に力があるのだな、モデルということもあるし。しかしそれが喋ったり演技をし始めると・・・ダメになる。

・サシャ役の桜庭ななみもナイス。大食のお馬鹿ちゃん的イメージが実にピッタリだが、弓を射るときはなかなかの眼力でカッコイイ。まああんまりセリフもなかったし、この娘も他と絡むシーンになると大根っぷりが出てきてしまっていたが、それでも存在感はあった。

・それに引き換え、男性のキャストは、なんだか薄っぺらで印象に残らない連中ばかり。シキシマ役の長谷川博己はいい感じかと思ったが、リンゴを食わせたり、シャンパングラス傾けたり・・・オイオイ、勘弁してくれよという演出の軽薄さが俳優の良さを台無しにしていた。

・2004年は「デビルマン」「キャシャーン」と最悪の実写映画が続いたが、10年経って悪夢は蘇り、この「進撃の巨人」の後に「テラフォーマーズ」という更に最悪の漫画実写化作品が公開されたわけで、考えてみると2015年は史上最低映画といわれる「進撃の巨人」で、その次の2016年に更に最悪といわれる「テラフォーマーズ」が続いたわけだから、去年から今年は邦画史上でも最悪の年だったのかも。まあ、その間にも「ガッチャマン」とかもあったけどね。

・そして今年2016年夏は「シン・ゴジラ」が公開される。監督の樋口真嗣は最近じゃプロモーションに一切出てこない。噂では、当初は樋口真嗣に「進撃の巨人」の監督をさせて、そのヒットの勢いで樋口の名前を広め、次に“あの「進撃の巨人」の監督である樋口真嗣最新作「シン・ゴジラ」と宣伝するつもりだったのが、あまりに「進撃の巨人」の評判がわるく酷すぎたので「シン・ゴジラ」の宣伝班は「だめだ、樋口の名前は使うな。せっかくの東宝の看板映画であるゴジラで失敗するわけにはいかん! 樋口の名前をだしたら「あの進撃の巨人を撮った監督だろう、じゃあだめじゃん」となってしまう。今後プロモーションで樋口の名前は極力伏せろ、そうだそのために総監督としてもっとオタク層に人気のある奴をもってきて樋口の名前を隠してしまえ」なーんてことになってるんじゃないだろうか。「シン・ゴジラ」の完成報告会見にも監督の樋口真嗣は顔も出さず、どこのも映らず、メディアの取材や記事も総監督庵野秀明で統一されちゃってるからね。もう明らかに樋口の名前を伏せようという意図が見えていてなんというか可哀想というか・・・監督やってるのにねぇ。

・そんなことを思いながら、進撃の巨人に出てくるあの巨大な巨人を見ていたら・・・ん、なんかに似てないか? 体の表面の奥に筋肉というか赤い肉のようなものが見えているこの造形、イメージ・・・・おいおい、シン・ゴジラも似たデザインじゃない・・・大丈夫なんだろうか? シン・ゴジラ・・・・・