『GODZILLA ゴジラ(2014)』

・これじゃムトーさんが主役じゃないの?

ゴジラが全然怖くない。おそろしさもない。凶悪でも凶暴でもない・・・おっきな猫か? ゴジラの意思が全然感じられない。

・脚本は正直言って低レベル。あれこれお話を継ぎ合わせただけで、一本の物語として完成していない。もっとキツく言えば、なにがなんだかメタクソ状態の本からできた映画。

・なんなんだ、このお話は・・・少し日本の怪獣映画を観てる人なら、この第二弾ハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』のストーリーに ”ん?なんかあれそっくりじゃん” と思うところがあるだろう。そう、平成ガメラの第一話 1995年『ガメラ 大怪獣空中決戦』にプロットの元となる設定が似すぎでしょ。ムトーさんはギャオスだし、そのムトーさんをやっつけに古代から生きていた生物が蘇ったって、平成ガメラ対ギャオスの戦いをGODZILLA 対 ムトーさんに置き換えたって、もうそのまんまじゃない。なんたる粗製ストーリーだっての。観ていてだんだん呆れてきた。

・脚本の最終稿が出来上がるまでにずいぶんと紆余曲折があったということだが、何人も脚本家を替えてスタジオ側が納得する脚本を作ろうとしても、これでは何のために何人もの脚本家を使ったのかまるで意味不明。映画不況以降、ハリウッドがダメになったその根本がここにも見え隠れしているようだ。ようするにスタジオ側は、スタジオの幹部連中が求めている映画、脚本は “金になる、動員の見込める”映画であり、そしてそれ以上に“株主から批判されぬ、自分たちの責任が問われぬ” 映画なのだ。

・まったく新しい、創造的な映画、今まで見たことがないような映画、映像、ストーリーは敬遠する。感性で判断することを避ける、逃げる。心の声に従うことに怯える、逃げる。自分がイイと思った感覚、感情を恐れる、信じようとしない。全てにおいてこの逆をする。なるべく多くの人が頷く可能性ばかり模索し失敗する可能性を少しでも下げようとする。思い切ってやってみようという気持ちがない。兎に角リスクの低いことだけをやろうとする。個性や独創性などよりも、今までに受けたこと、過去に評判の良かったこと、周りがすでにやっていること、周りが直近でやっていることに倣おうとする。



大体似てること書いてる
http://newsphere.jp/entertainment/20140519-2/