『キングコング対ゴジラ』(1962)

ゴジラ映画第三作目、監督 本多猪四郎(本編)、円谷英二(特撮)

●第一作、第二作ゴジラの怖さも恐ろしさも何もなし。なんともはや第三作目にして、ゴジラを子供向けの怪獣にしてしまったわけだ。子供向けが悪いというわけではないし、そのほうがビジネスとしても大成功し、幅広い観客層を動員したわけだが、ゴジラそのもののキャラクターを180度ひっくり返し、完全に変えてしまったことは第一作や第二作の社会性を持った大人の鑑賞にも耐えられる怪獣映画でゴジラのファンには残念な、納得の行かない改変。好き嫌いもあるだろうが、せっかく本多猪四郎が監督として戻ってきたというのに、ゴジラ映画をこんな風にしてしまったのは、残念。

円谷英二が尽力したという特撮映像もリアルさを求めるという方向性はない。ゴジラキングコングの動きをいかにして映像に収めるかに努力し、驚くような映像を作ろうとしたのだろうが、そこにリアルさの追求という要素が欠けている。この映画の中のゴジラキングコングは、おもちゃの怪獣であり、街の造形や格闘シーンもおもちゃの動きを見ているかのようだ。

●人間側のストーリーも大きくコメディー路線に振られている。今見るとちょっと笑えないコメディだが・・・・・・溜息。

●ラストも「あれ、これでゴジラは殺られちゃうのか? 終わりなの?」 と思ったら次にはキングコングが海の彼方に消えていくシーンに切り替わってしまうし。ゴジラが死んだかどうだかはっきりさせず続編に繋げたいのだろうが、訳の分からないしゃっきししない怪獣決闘の結末。酷いものだ。最後に博士が「人間は・・・・・・」なんて偉そうなことを言うのも蛇足にしか思えない。ここまでおふざけの内容で作ってきて最後に取って付けで人間社会を語られても白けてしまう。

●ぶつぶつと途切れる編集も粗いし、もうなんだか観ていて溜息が出てきた。(この当時の編集はどれもこれもぶつ切りに近く粗いが)

●ハリウッドの人気怪獣、キングコングを持ってきてゴジラと戦わせるというアイディアは凄いし、それで興業としては大成功したのだろうが、作品としてはその質が第一作、第二作に比べてかなり落ちる。

●なるほど、ゴジラシリーズは第三作目にして子供向け娯楽、怪獣映画にスタンスを変え、それがその後の昭和、平成のゴジラにまでずっと続いて行ってしまったわけか。

○かなり小さいころ、多分劇場で予告編かなにかで観たワンシーンが頭の中に引っかかっていた。そのワンシーンは、白黒画面で、真っ白な氷の下から氷を打ち破って真っ黒いゴジラが現れるというものだった。そして上空を飛んでいる飛行機に乗っていた多分アメリカ人の軍人が「ゴ・ディ・ラ」とたどたどしい発音で叫び、画面の下に日本語の字幕で「あ、ゴジラだ!」と出ていた。そのワンシーンがゴジラ映画の原体験でもある。しかし実際に映画を観ることはなかった。古いゴジラ映画が公開された当時はまだ生まれてもいないから、多分何度かリバイバル公開されたときの予告編を観ているのだろう。そしてずっとゴジラが氷の下から現れる映画はゴジラの第二作目だと思っていた。今回初めて古いゴジラ映画を観て、あの頭に焼き付いているシーンが、ゴジラ第三作目『キングコング対ゴジラ』に入っていたんだと初めて気がついた。そしてそのシーンを何度か繰り返し観たけれど、記憶に残っているシーンとはかなりギャップがあった。

○頭の中に残っているあのシーンは本当に北極か南極の氷の下からゴジラが氷を割って現れ、「ゴディラだ!」と叫ぶパイロットの恐怖感、驚きが迫真に迫っていた。映像もゴジラ第一作のようなシュールな白黒映像だった。しかしそれは自分の頭の中で何十年にも渡って創り上げられてきたイメージだったのだと分かった。あの衝撃的なシーンはオモチャっぽいゴジラがちいさな氷の島から現れるシーンだったし、カラーだったし、飛んでいるのこれまたオモチャっぽいヘリコプターだった。なんだかこのシーンを観て物凄くがっかりしてしまった。頭の中に残っていたあんなにかっこいい、あんなに衝撃的なシーンが、こんなチンケなシーンだったのかと、哀しくなった。

○何十年もの時間が経過して初めて観た『キングコング対ゴジラ』は正直残念な作品であった。そして自分の頭の中に引っかかっていた思い出のワンシーンも見事に打ち砕かれた。それも仕方あるまい。頭の中でずっと描いていたあの衝撃のゴジラ登場シーンは、映画とは別物の、自分が頭の中で撮影したナンバーワンのゴジラ登場シーンとして自分の頭の中だけにずっと保存しておくのがいいのだろう。