『キラー・ヴァージンロード』(2009)

・監督:岸谷五朗

・これも邦画バブルなんてものが終焉にむかうちょっと前にどさくさまぎれに作られたような映画か?

・あきらかに三木聡の作品を意識し模倣したかのような映画。しかし笑うに笑えない、しらける話と演出は背中を丸めてうつむいてしまいそうなほどのどうしょうもなさだ。

・少なくとも三木聡の映画には知性的なものも滲んでいたし、シニカルにクスリと笑える”笑いのツボ”を押さえたものがあった。しかしこの映画二関しては、雰囲気や作りは三木聡にそっくりだが・・・全然笑えない。面白くもない。なんんだんだこれはという呆れるつまらなさ。

・そもそも岸谷五朗はこの映画を監督して何をしたかったのか? 何を獲りたかったのか? この映画を観るだけでは岸谷五朗の存在は、映画の大統領である監督でありながら全く感じられない。

・プロデューサーにカメラマンと役者とスタッフを集めさせて、脚本をよういさせ、それをちょろっと見て「ああ、いいね、これ」「ここはちょっと変えようかな」「ここはこういう演出にしようかな」程度の関わりだけもって、用意されたカメラとスタッフと監督席というイスを用意してもらって、スタッフの中に”監督”という肩書きだけもらって立って、ああだこうだと思いつき、表面的、形だけの指示をして、スタッフはハイハイとそれに従って、はい映画ができました・・・なんて感じだったんじゃないかと想像したりしてしまう。

・笑えないギャグ、コメディーにすらなっていないお話、演出、どっかで見た場面をそのまま持ってきて真似ただけのような映像。思いつきと前に見た映像を脈絡があるかのように繋ぎ合わせ、その実、なんらそこには中味のない映像の集合物が出来上がっただけ。

・映画といっているが、これ映画になっていないのだ。思いつきの映像を繋ぎ合わせて1時間数十分にしてもそれが映画になるはずがない。作文が文学、小説にはならないのと同じく、これは文字で言えば作文レベルであり、映画にはなっていないのだ。思いつきの映像と思いつきの話を繋ぎ合わせただけで映画になるはずもない。映画の域には達していない、言うなれば小、中、高校生の演劇ほどの段階にしかないものである。