『あしたの私のつくり方』(2007)


・話は別になんでもなし。10代中頃の少女の不安定な心の動きを表現しようとしているのかもしれないが、なんだか話はあってないようなもの。成海璃子は演技はうまいがそういう不安定な女の子を想起させるような子ではないはつらつとした感じだし、そういう意味ではなんだか暗くてはっきりしなくてもじもじと内向的な雰囲気がめちゃくちゃ漂っている前田敦子がいるから少女の不安な気持ちが辛うじて漂っているといえるかもしれない。

・なんだかそれこそ携帯小説とかの映画化と同じで、ざっくりとした筋だけなぞって別に何をどうしたいとか、こういう映画をつくりたいとか表現したいとか、そういうの作り手の心意気とかやる気とか情熱とかいうものが全然なしで紙芝居を動く映像に置き換えただけという感じの映画である。

・見終わった後に「だからどうなの? で、なんなの?」と疑問に思った瞬間に全てが霧散して消えてしまうような感じである。

・携帯画面を割り込ませるシーンやパソコンやメールなどを多用しているのは煩いし新しさを感じるわけでもないし、複数画面を上下左右に組み合わせた映像なども斬新さを醸しだそうとしているのかもしれないが軽薄な映像でしかない。携帯画面の文字がドンと大きく映し出されるシーンがたびたび出てくるとその度に頭がイラッっとして顔をしかめてしまう。

成海璃子は相変わらずの堂々たる演技。表情から何からこの子は本当に上手い。20歳、30歳、40歳、60歳とこの子はどんな女優になっていくのか。年齢を重ねたら相当の大女優になるのではと思わせる内在する演技力の高さ、そもそも持っている付け刃ではない才覚の発育が楽しみでもある。

・最初はこの娘だれだろうねと気が付きもしなかったが、AKB48のトップ前田敦子の初出演作だったのか。内向的でクラスでしくじってのけものにされて、ちょっと暗くて・・・ってまさに本人にぴったりの役だったのだろうか? 流石に今の前田敦子はこの頃の自信無さげな表情も暗さも引っ込み思案的なところもかなり無くなっている。まあこの頃はまだまだほんとに少女少女している感じ。内向きな雰囲気以外は今とは大夫違うな。

・たぶん2007年当時に観ていたら成海璃子のほうに殆ど目を向けていてAKB48前田敦子のほうは「なんかちょっと変わった感じの脇役だな、この子は暗い印象だから伸びないだろうな」なんて思っていたかも?2007年頃はAKB48なんて名前もしらなかったんじゃないだろうか?

・それが2012年の今観ると「へぇ、前田敦子ってこんな感じだったんだぁ。ずいぶん今と感じが違うなぁ」と自然と目を向けてしまう。前田敦子のびっくりするくらいの幼さに比して、キーヴィジュアルで使われている成海璃子の写真ってあまりに作り過ぎ。いくらなんでもここまで成海は大人びてないだろう。このビジュアルだと20歳過ぎの超美人OLだ。いやはや全く成海で売ろうとしてたにしてもどうしょうもない。