『なごり雪』(2002)

監督:大林宣彦

●この作品に漂っているものは、懐かしさ、懐古、田舎の村での誰もが経験しているような青春の思い出。この映画の懐かしさはほろ苦いというのではない。大切な思い出、心の中にいつまでも残っている懐かしい風景。そこに居る自分。それは、なにか恥ずかしく、照れ臭いもの。ぎゅっと抱きしめたら壊れてしまいそうなもろさがあって、両手でそっと優しく包んでおかないと破れて壊れてしまいそうな思い出。まるで大きなシャボン玉風船のようなもの、誰しもが持っている幼かった頃の思い出とはそういうもの。その雰囲気がこの映画にはとてもよく映し出している。

●神社、夏祭り、浴衣、提灯、たいまつ、祭囃子、日本の昔ながらの風情を感じさせる定番の素材だが、やはりこれがないと日本の夏を感じることは出来ない。これがあるだけで、やっぱり日本の夏はいいなという郷愁が心に沸き上がってくる。

●若い学生達の姿はとてもいい。ここにも懐かしい温かさがある。甘酸っぱいのでもなく、ほろ苦いのでもなく、照れ臭く、恥ずかしい、胸が締めつけられる感情。この表現は大林監督の一番の得意技、大林監督が作り出す独自、独特の世界。

●中学生、高校生時代の描写はとてもいい、懐かしさに胸が締めつけられるようだ。だが、50歳過ぎて田舎に戻ってきた男、田舎に残っている男の姿は、情けなく女々しく、心魅かれない。皆が同じなはずはないけれど、50歳を過ぎると人はこんな風になってしまうのかと悲しくなる。学生時代の部分の爽やかで清水のような純粋さ対比して、大人になってからの部分は、人間や社会や人生が抱えるさまざまな粘液をまとっているかのよう。

●全体でとしてはいい出来の映画だとは全然思わない。けれど、心に引っ掛かる部分はある。それはやはり懐かしく愛おしい学生時代の部分。この部分だけで一本に仕上げたら、また別種の大林ファンタジーの傑作ができ上がっていたかもと思うくらいなのだけれど、もう大林監督はそういった作品を撮ろうとはしないのだろう。

●中学生を演じる少年少女の演技がもうぶっきらぼうでセリフも棒読み、ほんとに下手。演技なんてまるで出来てないなぁ・・・と思いつつも、その下手さが不思議な映像の安堵感を醸し出しているようだ。昔の、田舎の純真、純朴な少年、少女のイメージとしてはなんだかこの下手さが合っている。いくら経験のない新人とはいえ、あまりに演技が下手だなと思いつつも、この朴訥としたしゃべり方、この目茶苦茶下手な演技をずっと見ているとなんだか心が和む、胸がむずがゆくなるような懐かしい思いがする。

●中学生時代の雪子を演じる須藤温子。最初はこの娘、下手で全然だなぁと思ったが、ずっと見ていると、真っ直ぐな祐作に対する思いと、その思いをうまく伝えられず、表現できなず、じっと胸に抱いている姿に和の乙女らしさ感じるようになっていって、段々と雪子が魅力的になっていった。
(今はどうもキャラの違う女優になっているようだが)

ベンガルにしても宝生舞にしても長澤まさみにしても、三浦友和以外の役者の演技もびっくりしてしまうくらい下手。娘の夏子役が長澤まさみだったのは後で気がついたが、長澤まさみもホントに下手。

●この映画はびっくりするくらい演技の下手な役者だらけ、大林監督がわざとこんなふうにさせているのか? 

●最後に男泣きする水田(ベンガル)の姿はなにかそれまでのいい雰囲気が一気に崩れてしまった。このラストシーンはカットしたい。

●「50という歳は人の生よりも死の方を信じやすい・・・」か。嫌なセリフだ、だが人はみなそう思うようになるのだろうか。

なごり雪は大好きな曲。伊勢正三よりもイルカの方が好きだけれど。同じ歌詞なのにイルカが歌うなごり雪は女性が男性の様子を見て、その心を歌っているように聞こえるし、別れを悲しむ女性の歌に聞こえる。伊勢正三が歌うなごり雪は少し頼りない男性が女性を見送る気持ちを歌っているように聞こえる。

●DVDの特典映像に入っている大林監督のインタビューがなかなかいい。やはり大林監督独特の世界、思い。
「映画を映画としてみたらリアリズムじゃない、不自然さはある。だがそれでいいのだ」
「セリフ回しからなにから自然であることだけが映画じゃない」
臼杵は町興しじゃなくて、町残しか。なるほど、今の世の中、新しい観光施設だ、B級グルメだ、古いものは捨てて新しい町に変わろうという話ばかり。そうでなければ町は若者が離れ、廃れていくというのが現実なのだろうが、そんな中で昔からの町の姿を残そうという考えは時代や資本主義経済と逆行している。だけど、本当は昔の姿を残していくべきだし、それで成り立つのが正しい道のはず。ヨーロッパはそれができているのに、日本は・・・歴史、伝統、文化、自然よりも金が優先されている。

臼杵駅、この作品を観るまでは知らなかった町、駅。調べてみると大分のすぐ隣、豊後水道に面した場所だ。ロケの大半は臼杵市で行われているようだが、実際の臼杵はもっと海の匂いがするような町ではないだか。映画で描かれる臼杵は、海とは縁遠い山の中の町という感じだ。臼杵の駅も実際の撮影は日豊本線重岡駅というかなり山間の駅で行われているらしい。この映画が映し出している臼杵の町の雰囲気は、本当の臼杵の町の様子とかなり乖離しているのではないだろうか? これは実際に行ってみないと分からない、感じられないだろうけれど、映画の中の臼杵はまるで飛騨高山のような山の中の古い町である。 

http://loca.ash.jp/info/2002/m2002_nagoriyuki.htm

http://www5b.biglobe.ne.jp/~sasuraib/sub5_zatsu/eiga/nagori.htm