『オカンの嫁入り』(2010)

宮崎あおい・・・演技がいい。こなれているというか、角がなくぎくしゃくしてなくて自然。演技っぽさが表に見えない。それでいて可愛い。いつまでたっても幼な顔で女って雰囲気はないのだけど、演技はうまいなぁ。悲しくて泣いているところなんて実に素晴らしい。

國村隼・・・この人もほんとうに味がある。どの映画に、どんな役ででてきてもこの強烈に濃い顔と演技で印象が強い。どんな映画でもだいたい似たような役をあてがわれているのだけれど、どれも同じような役でありながら同じようなオジサンを演じていながら、すべてがキチンと別の人間になっている。別の個性を微妙にくっきりと演じ感じさせてくれる。やはりもう名演、名優の域といって間違い無し。

大竹しのぶ・・・下手じゃないんだが、味がない。どこにでていても強い個性のいつも同じ個性であり、いつも同じ大竹しのぶ。どこでもおなじ大竹しのぶというオバサン。この辺りが國村隼との画然とした演技力の差ということ。

・谷川創平の演技、この役の描き方も類型的(ステレオタイプという言い方は嫌い)すぎる。

・監督・脚本 - 呉美保、撮影-谷川創平・・・絵はなかなか。ただし、カメラの視点や構図やらアングルやら移動撮影やらは極々一般的、というかなにかどこかで見慣れた、いや見飽きたような切り方が多い。斬新さやハッとするような驚きが殆ど全く無い。イイ意味でも悪い意味でも余りに凡庸であり平均的であり絵、シーンから熱や想いや情熱やなにかを伝えようというような力がまるで出ていない。

・話も余りに凡庸。観ていて魅かれない、わくわくしない。ときめかない。詰まらない。演出というようなものではなく話をただなぞっているだけという感じだ。だから面白くない、詰まらない。映画は朗読を聞いているのでもなく、お話をただ目で追っているだけではないものなのだから。

・すべてがそこそこのレベルでそこそこにまとまっていて、及第点なのだがあくまでそこに留まる。テストなら毎回50点ギリギリ確保している生徒であり、際立ったものも、特徴も、ましてや突き抜けたものや心を揺さぶるようなものもない。平々凡々、あまりに標準点段階。だからまったく面白くないし詰まらないのだ。

・駄作まで落ちてはいないのはカメラマンと監督(脚本)のそこそこの良さがあってのものだろう。だがそこそこはそこそこまでであり、それ以上にはまったく伸びていない。

・教科書通り、指定された、教えられた、雛形通りの撮り方、作り方をして出来上がった映画。それは最終的には雛形以下に納まってしまうものだ。