『ドラゴン・タトゥーの女』(2012)

・のっけからオープニングの映像に、その感性の良さ、映像の格好良さ、その極めて高い質に驚く。まるで007シリーズのようなオープニングではあるがそれを遥かに越えるセンス。このオープニングだけでも一見の価値はある。それほどまでに素晴らしい映画の始まり。

・「フェイスブック」もなかなかであったが、立て続けに取ったこの「ドラゴン・タトゥーの女」も想像を遥かに越えるの高品質な作品であった。

・「映画はそれなりに面白いのだが、あまりに過激なシーンに女性として嫌悪感を抱く」という声があったが、確かに、いきなり男根を加えさせられフェラチオを強要されるシーンや、その後トイレの水道で精子で汚れた口内を濯ぐシーンだとか、ベッドに手錠で身動きできないように縛り付けられそのまま後ろから強姦されるシーンなどは男として見ていてもちょっと過激だし嗚咽をもよおすものがある。これは女性が見ていたらかなりの不快感、嫌悪感をもよおすシーンだ。

・だが、それ以外の映画の中身はオープニングに匹敵する質の高さ。久しぶりに実に硬質で面白い映画を観たという感じだ。

・デビット・フィンチャーは何気ない場面でも映像に味を出すのが上手い。そして大きな抑揚を付けなくても画面に話に作品に観客の気持ちを引きこませる演出が秀逸。これ見よがしの派手な演出や仕掛け、伏線を貼っていなくても充分以上に話が面白く惹きつけられる。

・こういう一族の秘密だとか、隠された伝説だとか、血縁の因習なんていう話だと、日本であろうが世界のどこであろうが、どうしてか話は近親相姦、異常な性交、幼児虐待といったものが殆ど。親が娘を犯すだとか監禁して性の奴隷として使うだとか・・・あとは家族の暴力というのも一つのこの手の話のよくある典型であるが、古今東西、日本人だろうがアジアだろうがヨーロッパだろうが、アメリカだろうが・・・なにか人間一族のおぞましき過去なんてものには必ず性とセックスがつきもの。人間はどんな人種、国籍、文化だろうが結局は性欲に溺れる動物だということなのだろう。それを理性で制御するのがまた人間なのだが、その理性がなにかの原因で欠如すると、どんな国、人種の人間もかならず性欲と暴力に陥る。旧家、因習、性的暴行、近親相姦、血脈、怨念、そういったものは人間の本性であり、世界共通の人間の業なのだろう。

ルーニー・マーラは「ソーシャル・ネットワーク」でそんなには目立たなかったがまあまあ可愛い女の子役をしていたのが、この映画のリスベット役は凄いな。いきなりレズでコンピューターマニアでドラックに浸り、男の男根を咥え精液を飲まされ、ベッドに縛り付けられ強姦されるなんて役をするとは予想もつかず。本人も主役級の大抜擢ではあったが、まさか台本をよんだときにこんなハードな役でこんなハードでコアなシーンを演じると知ってオファーを受けるかどうか躊躇したのではないだろうか?

・リスべットを新しいダークヒロインだ!と書いていた記事があったが、いや正にダークだ。ヒロインか?と言われると違う気がするが、ここまでダークで汚れた異常とも言える役をするというのはかなりのものである。次のシリーズもこのまま行くのだろうか?しかしこのリスベット役をやってしまうと他の役のオファーがこなくなってしまうんではないだろうか?

ダニエル・クレイグは007の強靭で不屈の男という感じではなく、スーパーヒーローでもなく、ちょい頼りなく弱々しい役。このクレイグを観てしまうと却って007のイメージが崩されてしまうかな。

・実に息もつけぬ展開と面白さに映画を堪能できた。しかし最後の最後でリスベットがプレゼントを買い、それを思いをよせるミカエルに届けようとするが・・・結局はゴミ箱に捨てるというのは、ありきたり。最後の最後まで凄い、流石だと思わせてきたのに、このなんとも使い古された類型的な最後の演出で少々がっかり、評価も下がった。このラストは終わりわるけりゃなんとかといいたくなる。なんでこんなシーン最後にいれたのかね? 最後に少しでもリスベットに女性らしさとか観客にこんなリスベットも一人の少女なんだという共感を持たせたいとでも思ったのだろうが、これは稚拙である。


・ちょどBSでスゥエーデン版のミレニアム3部作が放映されていたので、後で見比べてみることにしよう・

・ハリウッド版はあとの二作品はどうなってるのかな?