『『最"狂"絶叫計画 SCARY MOVIE 3 』(2004)

●三作目は「劇場公開しました」実績を付けるため銀座シネパトスでちょろっと公開しただけだった。 (その後の地方レイトショーやムーブオーバーは不明・・・殆ど無いと思うが)

● はっきり言ってこのSCARY MOVIE3は、まったく面白くない、詰まらない。1と2でハチャメチャに尖っていたブラック・ジョークのセンスがすっかり消えてなくなり、オイオイと頭を抱えてしまいそうなシラけるオヤジギャグだらけになってしまっている。
● 笑わせようと作っている映像とセリフが、目を細めたくなるような詰まらないジョークのセンスがまるでないものだらけ。出だしから最後まで「どこのどいつがこんな詰まらないギャグを考えてるんだ? 呆れてものも言えない」状態。話の展開もテンポが悪く、スローでボソボソだ。

● オープニングで思いきり笑わせてブラッグ・ジョークの世界に一気に引き込む展開の1と2だったが、3はそのオープニングが全然面白くない。「なんだこれ、どこがおもしろいんだ?」と最初からマイナスのすべり出しなのだ。

● この詰まらなさの原因は一にも二にも監督と脚本家の交代によるものだ。1と2の監督はキーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ、脚本もコメディー・メーカーであるウェイアンズ一家が総動員で取り組んでいる。1と2の徹底的なお下劣ギャグの爆発はウェイアンズ一家の功績によるところが大きい。かれらのギャグ・センスが1と2の面白さを作り出した。だが3では監督と脚本家が交代され、監督はデヴィッド・ザッカー、脚本がクレイグ・メイジン 、パット・プロフトとなった。

デヴィッド・ザッカー は裸の銃(ガン)を持つ男 フライングハイなどでギャグの大御所と呼ばれてはいるが、いかんせんこの映画が撮影された2003年には56歳。若者受けするコメディーやギャグを創造するには歳が行き過ぎだ。56歳のザッカーに当節のギャグの波長を理解することも難しいというか世代として無理なのだ。1と2の監督をした時のキーネン・アイヴォリー・ウェイアンズは42歳。この年齢と世代のギャップは大きい。

● さらにキーネンには脚本にウェイアンズ一家のもっと若い世代が何人も付いていたわけだから、ギャグのセンス、ノリ、テンポにこれっぽっちも古くさなんて感じなかった。しかし脚本家も含めて老人世帯。映画で使われるギャグがもう空気を凍らせしらけさせるようなオヤジギャグばかり。もうどうしょうもないのだ。笑いを取ろうと自分の代表作「裸の銃を持つ男」のレスリー・ニールセンを引っ張りだしたものだからシラケ度がさらに倍増。今更レスリー・ニールセンが出てきたからといって面白さがUpするなどと考えたのがそもそもの間違いで、作品の詰まらなさに拍車を掛けることになってしまった。1と2では考えられなかった超有名俳優のチャーリー・シーンデニス・リチャーズを使っても作品の詰まらなさにはまったく効果無し。最終的にもう本当にどうしょうもない作品に仕上がってしまったのだ。

● 少しは笑えたのが鏡の中の貞子(アメリカ版The Ringだからサマラか)と殴り合いをするシーンとマイケル・ジャクソンが出てくるシーン位だけ。あとはもう涙が流れるほど詰まらない。

マザー・テレサをネタに使うのはワルノリの悪い例。悪事や不正を働き、なにかと裏がありそうな奴をおちょくるのはいいが、マザー・テレサはその対象にはならない。こういったところも作ってる人間のセンスの無さが露呈してしまっている。

● 1,2でHな演技連発のかわいい黒髪のシンディー(アンナ・フェリス)がブロンドで出てきた。元々ブロンドなのかもしれないが、なんだか急にオバンが入った感じ。額にも皺がよっている上にブロンドが白髪のようにみえて異様に老けたオバサン化しているのもマイナス点。

● さらにこのパート3で最悪なのは吹き替えの質。1,2の超ノリノリ、吹替え翻訳やった人から吹替の声優までみんなで楽しんで下ネタ、エロ話までサイコーに面白くやっていた吹替が、3では平々凡々、普通の映画の吹替みたいに淡々として全く詰まらない吹替になってしまっている。

● 日本語吹替訳は(1)原口真由実、(2)松原桂子、(3)木村純子となっているが、こういったオフザケ映画の日本語訳は言葉を正確に訳すだけではなく、思いっきり意訳してでもオフザケのニュアンスが伝わるようにするのだし、ちょっと常識外れなくらい吹っ飛んだ訳をしたほうがいい。その点でパート3はどうにも教科書的な訳で、全然詰まらない。1と2は配給したヘラルドやポニーキャニオンの翻訳スタッフにもノリのよさ、遊んでいるかのように自分達が楽しみながら訳をしていたんだろう。言葉に楽しさがのっかっている。だが3は・・・詰まらないんだなぁ、これが。真面目すぎるというかなんというか。

● 3の詰まらなさは吹替声優の変更にも起因している。1と2でシンディーの吹替をした根谷美智子は3で山田里奈に、1と2のブレンダの吹替をした、まるたまりも3では変えられているようだ。1と2では吹替声優もこれまたノリノリで楽しみまくってセリフを喋っているかのようだったのに、3ではそんなノリの良さも泣く、与えられたセリフを黙々とこなしている感じだ。

● 結局このパート3は監督、脚本家の変更で1,2にあった元気のイイ、ノリノリの面白さは無くなってしまい。さらに日本語訳、吹替声優もノリノリ感が全然なく、1,2に比べてまったく詰まらない白けた作品になってしまっているのだ。この映画の詰まらなさの一因は配給元かソフト販売会社が犯した日本語訳の大失敗によるところが大きい。

● 1,2で成功を収めた、ウェイアンズ一家と3の製作でなにか揉めたのか? それとも新機軸として、もう歳よりだがギャグの大御所デヴィッド・ザッカーを起用したのか? なんにしても監督の交代、脚本家の交代、配給会社の交代と、1,2とは映画を取り巻く状況ががらりと変わってしまったことにより、SCARY MOVIE3は 1,2の面白さをすっかり失った詰まらない笑えない大失敗のギャグ映画に落ちぶれてしまったことは確かだろう。

● パート4は監督が3と同じくデヴィット・ザッカーだということで、期待できそうにないから観ていない。動員も落ち込んで3は遂に日本では劇場未公開となっているし。ソフトの販売もまた変わりブエナ・ビスタに移っているし。ギャグの元ネタも「呪怨」や「SAW」だというので(両方ともこんなのいいやと思って観ていない) 元ネタ知らなきゃさらに面白くないだろうということで観る気になれないでいる。

● SCARY MOVIE(最終絶叫計画)シリーズは1,2でもう終わってると言ってもいいのかもしれない。