『クライマーズ・ハイ』

原田眞人はもう監督やるなと。というかもう映画界でプロデューサーだ、監督だとかとデカイ顔してデカイ図体とデカイ腹をさらしてるな!という感じをもってしまった。(怒)

●よくもまあこんな映画を作ったものだ。というかよくもまあこんな原作を貶めるような映画を作ったものだと腹立たしくなって来た。

●映画のPRコピーが「命を追ったあの夏」となっているが、新聞社内の葛藤はピリピリするものがある。(TV版には足下にも及ばないが)しかし、一体この映画のどこが、あの夏の520名の”命”を追っているのだ。あの520名の命を追うような真剣さや真摯さはこの映画の中にどれだけあるというのだ!

●あの歴史上最大の航空機事故、大惨事を扱う映画だからといって、登場人物は全員しかめっ面して、みんな口元を引締て、みんな怒っていればよいとは言わない。だが、この映画は本気であの事件を、真摯に伝えようとしているのか? 新聞社の登場人物の茶化した演出。原田眞人は、あの夏の、あの日航機事故にまで『突入せよ!「あさま山荘」事件』と同じオフザケを持込んでいる。それが、観ていてどうしょうもない不快さを感じさせる。

横山秀夫の原作は日航機事故のみを扱ったものではない。「クライマーズ・ハイ」という小説はあの日航機事故と、その時新聞社という場所で、あの大惨事に向きあった人たちを通してあの事故はどうゆうものだったのか、そして未曾有の事故に直面したとき、それを伝えるマスコミはどうだったのか、新聞記者はどうだったのか・・・そういう人間の苦悩の部分までを掘り下げている小説である。横山秀夫本人も書いているように「クライマーズ・ハイ」は日航機事故だけを追った小説ではなく、あの事故と、それに関わる人間を追った小説である。それが、この映画では事故も、人間も、どちらも薄い。新聞社内のゴタゴタやつまらぬ人間関係、僻み、嫉み、そんなものを描くのであれば日航機事故もなにも要らない。観ていてうんざりするような会社の人間関係だけを何処かの企業を題材にでもして撮ればいい。あの日航機事故があって、それを世の中に伝える責任と義務を自分たちに課した新聞記者という存在、特ダネを他者に先駆けて抜きたい、自分の手柄にしたい。そういった思いを持ちつつも、あの大惨事を正確に伝えなければいけない、起きたことの真実を、本当のことを遺族に、社会に、正確に伝えなければいけない。事件に関わった新聞記者たちの、名誉欲を越えた、そういう使命感、責任感、情熱こそをもっともっと強く浮き立たせるべきなのだ。

●この映画は全てにおいて表面的だ。上っ面だけを絵筆でなぞって、話しとしての都合あわせをしている。あの事件とそこに関わった人たちを真剣に見据えていない。只のお話として見せ物映像を作っている。だから、響かない。響くのは520人もの人が瞬時に亡くなったという事実の重さだ。これが本当に起こった事故だから観る人に迫ってくる重さがある。だがそれは、真実の事故の重さであり、この映画が作ったものではない。この映画の背景にあるものを観るものは感じ取っている。この映画を感じ取っているわけではない、この映画はその真実の重みというものを邪魔してチャカしている。

森田芳光にしても、原田眞人にしても70年代、80年代に名を上げた映画人は今となっては負だ。この映画の中で連赤大久保事件を扱った古参の記者は今は局長やデスクになり、会社の中の恐竜と呼ばれている。それと同じなのだ、昔何かで評判になった邦画界の連中はもう連赤大久保の”恐竜”と。

●邦画バブルと言われて数年、少し陰りも見えてきたが、それでも今は邦画の方がパターン化した洋画よりも面白味がある。しかしその邦画の隆盛を貶めるのは、邦画の足を引っ張って、また再び「日本の映画はダメだね」という時代に逆噴射して戻しているのは、こういった作品を作る連中になるのではないか?

●原作、原題の”クライマーズ・ハイ”に関してはなんら作中で意味を持って語られていない。この映画を観た人は「ところで、クライマーズ・ハイ」ってなんだったの? この映画のタイトルどう言う意味? 映画の内容とどう関係あるの? と思うのではないか? 監督の原田眞人は原作者の横山秀夫から「君は『クライマーズ・ハイ』がやりたいのか? 日航機墜落事故がやりたいのか?」という示唆を受けたということだが、それでこの内容なのか? これは「クライマーズ・ハイ」という作品すらなんら具現化していないではないか。

●墜落現場が長野なのか、群馬なのか・・・どちらで一面を書くのだ!それを決定する日航全権悠木の苦悩がまるで描かれていない。墜落現場がどっちなんだという重大なモチーフが映画の中ではあっさり流されている。だから、ラストで圧力隔壁原因説を取上げるか、否かで悩む悠木の姿が薄い。初の特ダネを抜けるかもしれないと奮闘する玉置千鶴子の姿も生かされてこない。この辺りの表現はTV版に大きく劣る。

●親と子供の間にある溝、そして親子の葛藤、苦悩・・・TV版であった、重要なシーン。日航全権として仕事に追われる悠木だが、家庭内では自分に馴染まず、反目する息子との葛藤にも悩まされる。そこからラストに繋がっていくハーケンのシーンの重要性も出てくるのだが、映画ではなんだか訳の分らないシーンでさらっと流されている。親子の乖離、溝、それがあれっぽっちの空港お別れシーンだけで伝わるというのか? だから響かない、薄い、もうなにもかもこの映画は薄っぺらで表面的だ。

●米軍とパンパンのシーンや、社長のセクハラのシーンなど無用なシーンもごちゃごちゃに入っている。何の意味がある、何を伝えたくてこのシーンを入れた、それが悠木と社長、そして同僚との葛藤にどう絡む?・・・何も表現されていない、どうしょうもない。

●山仲間である安西耿一郎との絡みも殆どわけが分らずだ。何故山を登ろうとするのか、その行為のどこに安西が絡むのか、そして日航事故の日、谷川岳に向かっていた安西がクモ膜下出血で倒れるながれも、これでは取って付けだ。これでは安西はワケの分らぬチョイ役のオバカな同僚役にしかならない。安西役の高嶋政宏もこれではあまりに可哀想だ。

●そして、ラストのニュージーランドのシーンは一体なんだ? 「せっかく沢山予算付いているんだし、ちょっとは海外で撮ろうよ、むこうで少し休んで美味しい物でも食べてさ、その位いいでしょ」なんて感覚で付け足されたシーンじゃないのか? まるで市役所の役人や国会議員の税金を流用した海外視察=自腹ゼロの慰安旅行 目的で付け足されたシーンじゃないのか、これは・・・・。

●もう数え上げたらきりがない程、どうしょうもなさの連続だ。最初の一時間位は、語られるストーリーの余りの薄さに「オイオイ、このエピソードがこれっぽっちで流されていいのか!」と観ていて憤慨して。

●新聞社内での争いのシーンは緊張感がある、だがそれは前にも書いたようにこの作品で伝えるべき所ではないのだ、それは全体を作っていく余談の一つなのだ、それなのに映画評などでは「新聞記者のピリピリした緊張感が伝わってきた」「迫力がある」などと書かれているものがあるが、あなた達は映画のどこを見ているのだ!そんな事をこの映画の良さとして褒めるなら日航機事故なんて要らない「新聞社、会社苦悩物語」って映画でも観ていればいいだろうと言いたくなる。

●少しは時代考証もやってマトモな映画に見せたかったのだろう。シーンに見え隠れする車はキチンと当時(20年近く前)の古い日本車を揃えている。新聞社の電話も古いNTTの電話・・・・しかし、一ノ倉に向かう悠木と安西の背負うザックはなんとキスリング。しかも態とらしくザイルを外に結びつけている。これで時代性を出そうという考えだったのかもしれないが、1985年当時でキスリングで一ノ倉にアタックをするような登山家など居ようはずがない。そして、現在のシーンに戻ると、最新のウエアや装備に包まれているが、ハンマーは木製の柄の物を使っている。しかもハンマーだけでなく、カラビナもヌンチャクもブランコもなにもかもピッカピカ。上っ面だけの時代考証と小道具は映画作りの真剣さを疑うものでしかない。

●2005年にNHKで放映されたTVドラマ「クライマーズ・ハイ」は素晴らしい出来の作品であった(原作の小説も非常にイイと付け加えよう)自分はNHKのドラマ放送地に見て、画面に齧り付くくらいにこの作品に見入ったのを覚えている。TVドラマは原作の中のエピソードを見事に映像化し、冗長になる部分はザクッと捨て(悠木の母親がパンパンだったエピソードなど・・・これはNHKだからかもしれないが)極めて完成度の高い、名作ドラマに仕上げている。このドラマをそのまま劇場で映画として掛けてもなんら問題もない、いや今回の映画版を遥かに上回る感動を多くの人に与えられる作品であろうと思う。

注)TVドラマがDVD化されてからコメントを書いている 
2006年5月17日の記事参章この頃はあまり長い文を書いていなかったが。もう二年も前か。

●映画版「クライマーズ・ハイ」はTVドラマ「クライマーズ・ハイ」の極めて良く出来た完成度の高さに、これを越えるべく、TV版とは違う映画としてのアイデンティティーをだそうと、無理にあれこれエッセンスを注ぎ込んで結局失敗している作品である。脚本そのもののエピソードの詰め込みすぎで、全てのエピソードが薄っぺらで、分かりにくくなり、全体として本当に薄っぺらな映画になっている。

●そして、この事故と原作の持つ真摯さ、真剣さ、厳しさをに真っ正面から対峙せず、上っ面だけで話しをなぞった、ていたらくな作品だと思う。それは、脚本家、監督、プロデューサー、この映画の幹を束ねる人間が、どれだけこの映画、この事件、この小説に真剣に向かい合っていたのかということに起因する。映画を作るという真剣さ以上に「クライマーズ・ハイ」を扱うという真剣さ、日航機事故を扱うという真剣さ、それがこの映画の製作陣に大幅に欠けているのではないのか?そう想像してしまうのである。

●最後に、事故の原因は国家陰謀説だ、なんだかんだとあり未だ不明だ、というようなテロップが出る。取って付けもここまで来るとあざとらしさ甚だしい。それまでの映画の内容から一気に飛躍してこんなテロップを入れるのは、少しでも映画に重みを持たせたかったというスケベ根性か? こういった点にも作品に対するいい加減さ、場当たり的に作っている臭いがプンプンとしてきてしまう。

●最後に一点だけ褒めておくところを書いておくと、2時間25分という超長尺にも関わらず、途中飽きもせず、思った以上長さを感じさせずに最後まで作品を観る事が出来たという点か? これは映画作りの演出と構成の巧さであろう。だが、それ以前に、観る人を引きつけるあの日航機事故という真実の重さがあるから、ストーリーに引きつけられるんだとも言える。

●長尺を飽きないで観ることが出来たからイイ映画だということではない、それは技巧の為せる部分、作品の要素の一部分。

●『観終えた後の余韻』『最後に受けるえも言われぬ爽やかな感動』壮絶な事故を扱いつつも、原作小説とTVドラマには共通してそういうものがあった。しかし、2008年のこの映画には、それが・・・・無い。それがこの映画に対する自分の評価のすべてというべきであろう。

追記

山崎豊子沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 が映画化され、予定では2008年の今夏公開ということだったが、原作者が脚本にOKを出さないだとか、角川が対企業として日航に気を使い映像化が頓挫しそうだとか、いろいろ噂されている。御巣鷹山篇には批判も多いようだが、読み物としては迫真の一つであった。そして日航機事故を知る一つの文献としても。出来ることならば、日本映画界渾身の力で映画化を実現してもらいたいと思う。

参章:
2007-07-25 TV『ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実』 真実の重さ映画の完全なる敗北

2008-08-04 『ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実』(TBSドラマ再見)

2009-02-20『ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実』(再々見)

2006-05-17 『クライマーズ・ハイ』(NHK)硬派、重厚、映画に勝るTV演出

2008-07-06 『クライマーズ・ハイ』(NHK)再見:圧倒的迫力とリアリティだ

2008-08-03 ー御巣鷹山への道ー2008年8月1日〜3日

2009-11-03 『沈まぬ太陽』力作ではある。が、拒絶したい部分あり。