『ワルキューレ』

●史実を描いた映画だというのに史実の重みがない。驚くほど。それは監督、脚本、役者が史実を再現し何かを伝えようという意志が薄く、ただ単に史実のお話だけを面白く再現しようとしたからだ。作品の中に何かを訴える目も、心も、思いもない。つまり上っ面だけをなぞって舐めているだけなのだ。だから軽薄なのだ。だから観る側に訴えてこない、押してくるものがない。

●ブライアン・ジンガーとトム・クルーズは歴史を語りたかった訳でも、ヒトラーを暗殺しヨーロッパを救おうとした人物を描きたかったわけでもなく、そういう人間の皮を被ってそういう人間の物真似をし演じてみただけであり、その精神や主張に手を伸ばそうともせず、みてくれと動きだけを再現したのだ。

だからこの映画は軽薄で心に響くものが希薄なのだ。

ヒトラーを悪者として描くのは実に単純で簡単だ。世の中でヒトラーほど悪人という認識が定着している人物もいないからだ。ヒトラーを悪者として描いてそれを非難する人はまずいない。だからヒトラーを叩く映画を作るというのは超確実に安杯であり、非難されることはまずない。だからそこに乗った映画というのはあまりに多く作られ、ヒトラー非難は定番化し、定型化し、類型化し、誰も何も言わずに受け入れる常識になってしまった。認識が固定化してしまった。

常識や固定化した認識をなんども後追いし、描いてもなんら面白みも興奮も、ときめきもないし、そこに新しさも何もない。

●『イングロリアス・バスターズ』でも似たようなことを書いたが、あの映画には別のセンスとエグさがあった。それがタランティーノの才能であり、センス。しかしブライアン・ジンガーとトム・クルーズにそれは皆無だ。

●二時間の尺で一時間半までは退屈で詰まらない。一時間半を過ぎて、クーデターが起きてからようやく画面に緊張感が出てくる。面白みがあるのは最後の30分だけだ。(こういうパターンの映画も割と多い)言ってみれば最後の30分だけ観ればそれでいいような映画であり、それだけしか観る価値がないのであれば全部を観る価値がある映画ともいえまい。

●歴史映画でもなく、アクション映画でもなく、サスペンスといっても最後の30分だけ。いわば子供の人形劇を観ているようなものだ。

ヒトラーを題材にした映画は星の数ほどあるが、その中でもトップクラスに中味のない映画。