『風と共に去りぬ』(1939)

ビビアン・リーって、昔は奇麗とも可愛いとも思っていなかったが改めて美しい映像でみると、なるほど特徴的だけれどいかにもアメリカ・ヤンキー娘てきで可愛らしくも美しくもある。

・歴史映画、大作、演劇的、絵画的、詩的、映像に血が通っている、熱がある、品格がある、今の映画と根本的に違うものがある。

・古いのだけれど古臭くない、荘厳さがあり、物語や風景の雄大さもちゃちな映画にはない、対策らしさを堂々と見せつけている。どのシーンも嘘ではない作り込みがなされているから「やはり昔の映画は凄いな」と感心し溜息をついていしまう。

・前半はアメリカの南北戦争までを描いたあたかも歴史映画のごときであり、黒人奴隷制や南部の様子、当時の風俗、人々の暮らしなどで歴史の勉強をしているかのようでもある。後半は南北戦争に敗れてから、苦しみの中で立ち上がろうとする人々を描く人間ドラマになっているが、前半で好感を持っていたビビアン・リーにたいして段々と苛立ちのような気持ちを抱くようになっていく。

・もう既に結婚しているのにその男を諦めきれず、いつまでもその男にしがみつこうとするすがた。戦後の苦しい状況のなかで愛していない男と結婚し事業をけいぞくしようとする姿。レッドに対しても思いを抱いているのにいつまでたってもひねくれた気持ちで優しさを表そうとしない姿、そんなビビアン・リー演じるスカーレットの姿に段々と嫌気が刺してきた。

・そして、最後までレッドの気持ちを受け入れようとせず、周りの人間までを不幸と悲しみに巻き込んでしまうスカーレット。後半のスカーレットは強い女性ではあるけれど、憧れや羨望の目で見るような女性像ではない、どうしょうもない嫌な女の姿になっている。

・希望を失わず生きる人間の物語・・・という風に思っていたけれど、後半から最後のシーンに至るまでは、ダメな生き方を止められないダメな女性の映画のようになってしまって至極残念だ。こんなラストでは夢や希望ではなく、そこにあるのは「いいかげんにしろよ」と言いたくなる人間のわがままさだ。

・誰でも知っているような名作なのだけれど、ずっと以前にTVで放映されたときにちょっと観た記憶があるだけで、通しで観たことは一度もなかったのだけれど、なんだか随分といままで抱いていたイメージが変わってしまった。

・いかにも映画らしい映画であり、大作らしい大作であり、古き良き時代のハリウッドを代表する一作ということに異論はないが、この後半から最後までの意固地で嫌になるほど我を通すスカーレット・オハラの姿は、あまり好ましく思えない。